選択する僕と妹―5
≪南雲詩由≫
放課後の生徒会の雑務を終えた私は手芸部へと向かおうとしていた。私にとって手芸部は兄さんとの待ち合わせ場所みたいなもので、活動の内容にはあまり興味がない。
部員は兄さんと私の二人だけ。顧問の年老いた梅宮先生は月に一度も顔を出さない。私が部長を務めてはいるものの部活動としては全く機能しておらず、手芸部自体に存在意義を見出せるのは兄さん以外に誰一人としていなかった。
いつ廃部になってもおかしくない。それどころか廃部になったところでその事実を感知する人間がこの校内にどれだけいるのかもわからない。そんな存在自体が危うい手芸部である。
けれど、私にとっては兄さんが手芸部に所属しているだけで存続していく価値があると、そう強く教えてくれる。その為に生徒会に所属していると言っても過言ではなかった。
兄さん、今日は何か作ってるかな? 早く会いに行こう。
「ちょっと南雲さん。待ってよ」
隣の教室を通り過ぎようとした時、強気な声で呼び止められた。
「……望月さん。なんでしょう?」
昨日あなたとは関係を絶ったつもりでいたのだけれど、あれで相手の気持ちを推し量れないあなたではないでしょうに。
望月さんは私にかける言葉を探すように、目線をどこそこへと泳がせていた。
「あーえっとさ、手芸部ってどんな活動してるのかなーって」
「手芸部では主な活動内容を決めておりません。手芸品を審査対象とする大掛かりなコンテストを開催している地域はあるようですが、我々はそういった目標に邁進する部活動ではなく、自由な創作意欲を沸かせ、個人のつくりたい物を製作できるという方針で活動しておりますので」
稀に演劇部から小物や衣類をつくって欲しいという要請があり、義務ではないが兄さんはそれに律儀に対応している。部員が私と兄さんの二人で量産などは無理な話だけれど、兄さんがつくった物は細部まで作り込まれておりクオリティが高いと評判が良い。
兄さんをこき使うなんて演劇部も甚だ迷惑な連中です。まあ、兄さんの腕を買っているのは評価してやらないこともないでしょう。この間の演目で客を沸かせる為に兄さんの作った小物を爆発四散させた時にはどうやって廃部にしてやろうかと悩んだものですが。
「それで部活として成り立ってるの? 私手芸部があったってのも全然知らなかったんだけど」
「ええ。もっとも、手芸部は維持費などがほとんど必要ありませんので、場所と設備さえ整っていれば後の材料費だけで事足ります。あまり表立つような活動もしていないので知らない方がいるのも無理はないかと思いますが」
「へ、へぇ~。それじゃ最近部費が年度予算を圧迫してる現状については、手芸部単体で見れば影響を与えていないってことね」
「そうです。手芸部には何ら問題はありません」
そして会話は途切れた。こちらから話すこともなく、私は望月さんに背を向けた。
「これ以上なにもないのでしたら、私はこれで――」
「そうやって手芸部の何もかもを正当化していくのは、あなたのお兄さんがいるから?」
ここで、歩み始めた足が止まってしまったのは、私の心が弱かったせいだろうか? 振り向いた先にはいつもとは違う目つきの望月さんがいた。
「私の兄は手芸部の一員であるだけです。何をお考えなのでしょう?」
この女……まさか兄さんを引き合いに出してくるつもりですか? 自分が兄さんに告白されたからって調子に乗っていませんかね。
私が睨みを利かせると、望月さんは不敵な笑みを浮かべた。
「相手を威圧する声音。相手を射殺す眼光。相手の精神を蹂躙する威圧感……私はそんなあなたを始めて見たかもしれない」
指摘されて心臓が高鳴っているのに気が付いた。全身が総毛立ち、目の前の女にしか意識が向いていなかった。
「怖いわね……でもこの恐怖こそあなたの本心に触れた何よりの証拠。そんなにあなたはお兄さんのことが好きなのかしら?」
「……ふぅ」
私は小さく息を吐いた。そうして冷静さを取り戻せたのは、目の前で私を挑発しようと目論んでいる望月さんが右手で左の腕を掴み、必死に体の震えを抑え込もうとしていたからだろう。
「ええ。私は兄さんが好きです。愛していると言ってもいいでしょう。それだけ私は兄を慕っていますので」
誰に何と言われようと私は血の繋がった兄を心から愛し続ける――この気持ちはあの時から決して変わらないものだ。
「上乃君にはそれほどの魅力があるのかしら? 成績上位者にも入っていないし、手芸部で細々と活動しているだけのようだし。とても優秀な人間には見えないけれど」
それを聞いて私はほっと胸を撫で下ろした。
「よかったです」
「な、何がよかったってのよ」
「望月さんが目に見えるばかりで他人を評価するお方で、ですよ。そんなあなたに兄さんは到底釣り合いません。勿論、あなたの方が下なんですけれどね」
「んなっ、ふざけないでよっ!」
「――っ!」
激昂した望月さんは私の両肩を掴み廊下のまっ平らな壁へと押し付けてきた。荒い吐息と獰猛なる眼光。形を大きくした怒りは輪郭をはっきりさせ、私の眼前にある。
こうも安い挑発に乗ってしまうのですか。兄さんを否定するわけじゃないけれど、私には望月さんに恋心をぶつけたいほどの魅力があるのかどうかもわかりません。
兄さんには人を見る目があるけれど、一体この女のどこに惹かれたのですか?
「放してください。急ぎ兄の元へと行かなければなりません。私はこれで」
「あっ――」
力のこもっていた両腕を払いのけ、何事もなかったかのように私は手芸部へと歩を進める。こんな輩と問答する時間が惜しい。
「私を蹴落とすことより、私を追い越すことにどうして意欲を向けられないのでしょうか?」
望月玲は努力の果てに結果を出すタイプの人間だ。そういう人間は狡猾に、手の込んだ厄介事を運んでくる。今後危害を加えられる危険性を考えると、彼女は看過できない存在だ。
今しがたの望月さんの形相を頭の片隅に記憶する。手芸部へと向かう足は自然と速くなっていた。




