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扉の世界Ⅲ

 僕はまた夢を見ていた。

 玄関の土間の上に僕は突っ立っていた。裸足の下の玄関マットから柔らかい感触が伝わってくる。マットの下の光沢を放つフローリングは奥にあるリビングへと続いていた。壁紙は真新しくシミや傷などの劣化した部分が見当たらない。

 この空間は僕の記憶の中にあった。僕の家族が四人だった頃に住んでいた家だ。

 後ろを振り返ると、くつ脱ぎには靴が四足並べられていた。父、母、妹――そして僕が履いていた靴。その靴から、僕が見ているこの夢がマンションに引っ越してきて日が浅い頃の記憶なのだと推測した。

 また玄関に背を向けると、狐の老紳士が家の中に立っていた。


「うわっ! またあんたか……びっくりするから普通に出てきてほしいもんだ」

「それは申し訳ございません。何せ私は扉の世界の案内人。神出鬼没であるのは私という存在の性質上致し方ないことなのです。そのうち慣れて頂けると大変助かるのですが」

「あっそう。別にどうだっていいんだけどな」


 僕は狐の老紳士の横を通り抜け、フローリングの床をペタペタ歩き、リビングへと出た。新調されたばかりの家具や家電が室内に生活感を充足させている。


「僕が小学生くらいか? ここに家族四人で暮らし始めた頃は、それこそ新しい生活にワクワクしていたよ。今じゃもう他人の家になってるんだろうけどさ」


 僕が今住んでいるアパートに、この夢の中にあるものは何も残っちゃいない。全て売り払ったか、誰かに渡してしまったか。どうにか金のかからないよう処分してしまったか。


「懐かしいな。父さんもこの家に住んでいた頃はやかましいくらいに元気だった」

「…………」


 珍しく、というほど長い付き合いでもないし、数えてみればまだ三回しか会ってない狐の老紳士は、僕の感想には何も答えてはくれなかった。頭に被せてあるシルクハットのつばで目元を隠してはいたけれど、長く飛び出た口は隠しきれていない。


「というかさ、昨日は公民館の夢を見たよな? 望月と公民館で会ったんだけど、あれは夢の作用が働いたってことなのか?」


 シルクハットを抑えたままの狐の老紳士に構わず、僕は話しかけた。


「いえ、現実の世界そのものを、未来を変える力はこの夢にはございません。あくまでもご主人様が昨日の夢を見たことにより、行動を起こした結果にございます」

「なるほど。しかしつまり……この夢は未来を見ることができるのか?」


 公民館の夢を見たことにより望月と会って会話することができた。あれは僕も楽しかったし、望月も楽しそうに僕の相手をしてくれた。公民館に立ち寄らなければ、僕はいつも通り家の中で地味な生活を送っていたことだろう。

 断片的に未来を予見する夢。ひょっとして僕はすごい夢を見ているんじゃないか?


「ご主人様の夢はご主人様の記憶によって夢の世界を生み出します。それがどんな形をしているのかは、扉を開いてみないことにはなんとも言えないでしょう。以前言いました通り、夢は夢でしかないのですから」

「……あんたな、この夢の案内人なんだろ? もうちょっと詳しく説明してくれよ」


 曖昧な説明をするナビゲーターに嫌気が差してくる。


「んじゃあさ、ここで僕は……またどっかしらの扉を開けばいいのか?」

「……その通りでございます。いずれかの扉をお開きになってください。扉の鍵は既に開かれているのですから」


 父さんと母さんの部屋、そして仕切りで隔てられた僕と詩由の部屋を思い出す。後は洗面所とトイレの扉だけど、そっちはどうでもいいような気がした。

 リビングの奥へと続く廊下を辿り、僕はかつての僕と詩由の部屋の前に立った。両親と言えど、今はもう一緒にはいない父さんと母さんの部屋に入るのには少し抵抗があった。

 一番馴染みのある僕と、たった一人の妹である詩由の部屋。


「…………」

「どうかなされましたか?」

「いや、僕はこの家に未練はないよ」


 家族が四人だった頃の家を徘徊した挙句、僕は玄関まで戻った。


「今回ばかりは礼を言う。ありがとな。自分の記憶とはいえ、こんなにも鮮明に昔住んでた家を見せてもらったんだ。ここに未練はないけどいつまでも憶えていたい場所だ」


 律義に靴を履いてみると、少しだけきつかった。僕は真新しいピカピカのドアノブに手をかける。


「ご主人様」

「ここは、今の僕がいるべき場所じゃない」


 ドアノブを捻り、僕は玄関の扉を開いた。

 扉の開く、あの頃の懐かしい音が聞こえた。


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