第206話 神の子も配慮の対象
「ラストさ〜ん」
アンリの声が空虚に響く。
返事はない。
お兄さんの妹で、なによりダーリンさんの娘だ。
アンリの呼びかけになら応えてくれるんじゃないかと期待していたが、事はそう簡単には運ばないようだ。
「オレたちが近くにいるからですかね」
「それはあるかもね。ジローが言うには、私たちのことを嫌ってるみたいだし」
「じゃあ姉御を一人にしてみますか?」
「えぇ〜、一人にされるの?」
ギンとアマンダさんのやり取りに、アンリが難色を示す。
「まだまだ浅層だし、姉御なら危険はないですよ」
「そういう問題じゃなくて……」
「じゃあ何が問題なんです?」
「それは……」
言い辛そうにしているアンリに代わって、私が説明する。
「モンスターが怖いわけじゃなくて、知らない場所で一人にされるのが不安なんだよ。ね、アンリ」
アンリがコクコクと頷く。
ギンが何かを言いかけたが、その言葉をグッと飲み込んだ。
昔、似たような状況で「そんな普通の人間みたいな……」的なことを言っていたけれど、ダーリンさんのことが発覚した今、ちょっと洒落になっていない。
現代においては、神の子も配慮の対象らしい。
「じゃあ春奈と二人ならどうだろう」とアマンダさんが言った。「春奈は嫌われたりしていないらしいからね」
お兄さんの話を聞く限り、嫌われていないと言うよりも眼中にないって感じだったけれど。
でも試してみる価値はあるかもしれない。
アンリも「春奈がいいなら」と言っているし。
戦力にならない私が付いてきたのは、こういう時のためだ。
私に異論があるわけもない。
「じゃあ私とギンは万が一に備えて、周囲のモンスターを追い払っておくから。何かあれば大声を出すんだよ」
「わかりました。ありがとうございます」
アマンダさんがギンに目配せする。
ギンは頷いて、当たり前のようにそれぞれ別の方向に歩き去っていった。
いくら浅層とはいえ、ダンジョンで単独行動は御法度だ。
モンスターに襲われて敗走中に仲間と逸れた、みたいな危機的状況でもない限り、普通は一人になったりしない。
お兄さんは例外中の例外だとしても、やっぱりアマンダさんもギンも普通じゃないよなと痛感する。
アンリの反応の方が、よっぽど普通だった。
ともかく私とアンリは二人で行動する。
ダンジョンマニアの私だけれど、こうして実際にダンジョンに入った経験はほとんどない。
いくら浅層とはいえ、私のような一般人には危険な場所だ。
ビクビクしながら進む私を、アンリがグイグイ引っ張ってくれた。
なんだか中学生の頃に戻ったみたいで懐かしい気持ちになった。
(そういやアンリって先輩なんだよな……)
どっかで聞き齧っただけの雑学みたいに、「あれ、本当にそうだっけ?」と脳内検索をかけて、多分間違いないはずだと結論付ける。
久しく忘れていた事実だった。
思い返してみると、こうしてアンリと二人っきりになるのも久しぶりだ。
アマンダさんとギンのおかげか、モンスターの影も形もないから、次第に緊張しなくなっていく。
「うわ、何あれ」
「ああ、あれはね」
私は耳年増ならぬ耳冒険者なので、ダンジョンの知識だけは豊富だ。
アンリも次々に、じゃああれはこれはと尋ねてきた。
私は意気揚々と解説する。
「へー、すごーい」
「そう?」
「うん、めちゃくちゃ面白い!」
「ふ〜ん、そっか。でもなんか意外。アンリってダンジョンに興味ないんだと思ってた」
「あー、まあダンジョンにはあんまり興味ないんだけど」
「え、じゃあ……」
「でも楽しそうに話してる春奈は好き」
「あ。そ、そうなんだ」
「それになんか早口の春奈、懐かしいなーって。中学生の頃に戻ったみたい。あはは」
「…………」
「え? ど、どうしたの? なんかいけないこと言っちゃった?」
「ううん、そんなことないよ。でもこれだけは覚えておいて。オタクはね、早口を指摘されると心を閉ざしちゃう生き物なんだ」
「そ、そうなんだ。ごめん……」
だから逆に、厄介なオタクを黙らせる退オの言葉でもあるのだが……。
オタクの端くれとしては、あまり流行ってほしくないティップスだった。
そんなやり取りをしつつも、本来の目的を忘れたわけではない。
定期的にラストさんに呼びかける。
お兄さんの名前を出したり、ダーリンさんの名前を出したり。
それでもやはり応答はなかった。
アマンダさんたちと合流し、他にも色々な方策を試す。
深層にまで足を運んでみたり。
姿を現すのは無理でも意思の疎通だけならと、コックリさんやウィジャボードを試してみたり。
なんか女子四人で普通に盛り上がってお兄さんの好きな人を尋ねてみたり。
最終的にはジャンケンで負けた私が(この三人にジャンケンで勝てるわけがないと負けてから気づいた)全力でイタコの真似事をしてみたり。
でもその全てが空振りに終わる。
そのまま丸四日が経ち、体力的にもかなり厳しくなってくる。
いやまあ厳しいのは私だけで、三人は全然ピンピンしているけれど。
でもここまで梨の礫だと、体力は平気でも気力は削られる。
なにせこうしている今も、お兄さんは別世界のダンジョンで命懸けで頑張っているのだから。
ダンジョンにいると配信を観られないから、実際にお兄さんがどんな状況かはわからないけれど。
でもお兄さんはやる時はやる男だ。
(早く終わらせて、お兄さんの配信を観たい……)
できればネタバレなしで一から全部。
きっといつも以上に格好いいお兄さんを目にできるはずだ。
そんなこんなで、私たちは最後の手段に打って出る。
ほとんど喧嘩を売るようなやり方だ。
それこそが、お兄さんのアカウントでのアンリの配信——
できれば平和的にコンタクトを取りたかったけれど、致し方ない。
「あ、違うっ。アンリュじゃなくてアンリですっ。アンリ!」
”顔真っ赤やん”
”アンリュちゃんカワヨ”
”今『ジローの妹』って言った?”
”ジロー妹いたんか”
早速アンリュ呼びされていた。
あわあわしているアンリに、目顔で落ち着けと訴えかける。
呼吸音が入らないように、私はエア深呼吸した。
つられたアンリが何度か深く息を吸い込み、幾分か落ち着いた声音で「えっと、それでですね」と言う。
「今ラストヘイブンダンジョンに来てまして……」
”ラストヘイブン?”
”こんな小柄で弱そうな女の子が?”
”コスプレしてるようにしか見えん”
”背景合成ちゃうか”
”ほんまに妹なんかな?”
”いや、さすがに疑わしすぎるやろ”
”ジローの妹がこんなに可愛いわけがない”
「とりあえず六十階層のボスを倒したとこなんですけど」
”あ、ジローの妹ですわ”
”マジでなんとも思ってなさそうなとこに本物味を感じる”
”この『とりあえず』は演技では出せんやつや”
”ジローの妹が普通にまともなわけがない”
「えっとですね、それで……」
アンリは視線を上に向ける。
事前に打ち合わせていた内容を思い出しているのだろう。
「お兄ちゃんから聞いた話なんですけど、このダンジョンにはラストさんっていう管理者がいるらしくて」
盛り上がっていたコメント欄が急に沈黙する。
いきなりのことで全員の思考が停止したのだろうか?
いや、そんなわけがない。
視聴者が何人いると思っているのだ。
(配信が切れた?)
タイミング的に「このダンジョンには」の辺りで切断されたみたいだ。
ドローンに異常は見られない。
プラットフォームにトラブルでもあったのだろうか。
(……いや、そんなわけないか)
そんな可能性を検討する意味はない。
ネットに繋がらないダンジョンで、なぜか配信だけはできる。
仕組みも理屈もわかっていない。
誰かの意思がそこに介在しているとしか——
なら逆に配信を切断するのだって意のままだろう。
「えっと、だからその、何が言いたいかと言いますと……」
一生懸命で配信が切れたことに気づいていないアンリが、あっぷあっぷしながら言葉を続けている。
なぜか両手の人差し指を立てて、空中をかき混ぜるような仕草をしていた。
そのジェスチャーの意味はわからないけれど、テンパっていることだけは伝わってくる。
アマンダさんがアンリに歩み寄り、肩に優しく手を置いた。
「もう大丈夫」
「え?」
「さすがジローの妹だ。大手柄だよ、アンリ」
そう言いながらアンリの頭を撫でる。
よくわかっていなさそうだったけれど、褒められて悪い気はしていないようだ。
アンリにとって『さすがジローの妹』なんて最大級の褒め言葉だし。
「さて」
アマンダさんが少しだけ声を張る。
「今更知らんぷりもないだろう? こんなことをしておいて」
ここじゃないどこかにいる誰かに語りかけるように。
「私たちも、君を追い詰めたいわけじゃないんだ。ずっと見てたんだろう? なるべく穏便に済むようにしていたことはわかっているはずだ。その気遣いを、少しは汲んで欲しいものだね」
返事はない。
「ダンジョンの外で同じ事をしたっていいんだよ? それでも同じように妨害できるのか、試してみようか」
その時だった。
視界の端を何かが横切る。
次の瞬間、
「ふぎゃっ」
と踏み潰された鶏みたいな声がする。
視線をやると、アマンダさんが見たことない少女を地面に押し倒していた。
そして、その首筋にナイフを突きつけている。
まず浮かんだのは、そんな乱暴なことしちゃ……という思いだった。
直後に、この子は誰なんだろうと疑問に思い、誰もクソもないことに気づく。
「はは、随分なご挨拶だね」
アマンダさんが愉快そうに言った。
「くっ……。離せっ、このっ」
まだ年端もいかぬ少女に見えるこの子こそが——
お兄さんのいうダンジョンの管理者、ラストなのだ。




