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第199話 銀のエンゼルみたいに

 腹がいっぱいだと言う博士の分のデザートもしっかりと平らげる。

 食後にはコーヒーと紅茶の両方が出てきた。


 こちらも個別に淹れられたものではなく、ガラス製のポットにたっぷり入ったものが運ばれてきた。

 トレーに積まれたカップがポットの横に置かれる。

 カップを手に取り、博士がコーヒーを、俺が紅茶をそれぞれ注いだ。


 彼らはコーヒーに興味を惹かれたようだ。

 飲みたいと思っているわけじゃなく、「なんだこれは?」と慄くようなリアクションだった。

 別世界には、少なくとも彼らには、コーヒーを飲む文化がないみたいだ。


 確かに冷静になってみると、黒く濁った苦い液体を好んで飲むなんて変な気がする。

 彼らはコーヒーを美味しそうに飲む博士を畏怖するように見ていた。


 小柄な女性が立ち上がり、カップを一つ手に取った。

 そして紅茶を注ぎ、それを脱メイルさんの前に置く。

 その所作に、俺は「おや?」と思った。


 脱メイルさんは彼らのリーダーだ。

 その事実は疑いようがない。

 でも小柄な女性の振る舞いからは、それ以上のものを感じる。

 リーダーだからとか、一番強いからとか、それだけじゃ説明がつかない敬意のようなものを。


 彼女は次に、自分の分の紅茶を注いで飲み始めた。

 男性二人には見向きもしない。

 彼らもそれを当たり前のことのように受け入れていて、不満そうにする素振りを見せなかった。


「なんか彼女の態度、気になりますね」


 俺は博士に、こそっと耳打ちする。


「あ? 今更何言ってやがんだ。ずっとそうだったろ」

「ふむ」


 どうやら博士は、とっくに気づいていたようだ。


 さすが博士だぜ!

 観察力が常人離れしてやがる!

 そこに痺れる憧れるぅ!


 こういう時、二人きりだと楽だ。

 相手を全力で持ち上げることで、


「自分が無能なのではなく相手がすごいだけ!」


 ということにしてしまえるのだから。

 食事に夢中になって別世界人のことなんて、気にもかけていなかった間抜けな自分と向き合わなくて済む。

 大人数だとこうはいかない。


 大盾の男性が、コーヒーが入ったポットに恐る恐る手を伸ばす。

 そしてカップに三分の一ほど注ぎ、理科の実験みたいに手で仰いで匂いを嗅いでいた。

 そして驚いたように目を見開く。


 どうやら香りは気に入ったようだ。

 隣に座る槍使いにカップを差し出した。

 槍使いは疑わしそうな目を大盾に向けながら、同じように匂いを嗅ぎ、やはり驚いたような顔をする。


 バケツリレーのように、今度は小柄な女性に手渡された。

 仲間二人が確認済みなのに、だからこそ怪しいとでもいいたげに、小柄な女性が男性二人を横目に睨む。

 それから恐る恐る匂いを嗅いで、やはり気に入ったようだった。


 三人はしばらく何事かを言い合っていた。

 多分だけど、お互いに飲ませようとしていたのだろう。

 しばらくして彼らは、唐突に両手を使って印のようなものを結んだ。


(えっ? なに!? 忍術!?)


 俺は警戒半分、ワクワク半分でその様子を見守る。

 でもそれは忍術なんかじゃなくて、別世界のじゃんけんのようなものらしい。

 何度か印の応酬をした後、小柄な女性が悲鳴をあげ、男性二人がお互いの手の甲をコツンとぶつけ合った。

 何がどうなったのかわからないけれど、小柄な女性が負けたようだ。


 彼女はカップを持ち、恐る恐るコーヒーを一口啜る。

 そして、うげぇと顔を顰めた。

 ああ、口に合わなかったんだなと俺は思ったんだけど、男性二人は困惑するような仕草を見せた。


 いや今のはどう考えても不味かった時のリアクションじゃ……と思っていたら、女性はニヤニヤと挑発するような顔を仲間たちに向けてから、口に合わなかったはずのコーヒーをもう一口飲んだ。

 そして今度は、美味しそうなリアクションをする。


 わけがわからず俺も困惑する。

 美味しいのか不味いのか、どっちなんだろう。


 男性二人が協議するように話し合う。

 そして二人同時に飲むことにしたようだ。

 さっきの印合戦は、三人以上じゃないとできないのだろうか?


 いや脱メイルさんが参加しなかったことを考えると、三人限定の対決方式なのかもしれない。

 気になったけれど、それを確認する術が俺にはなかった。


 それぞれのコップにコーヒーを少しだけ注ぎ、アイコンタクトでタイミングを合わせながら、彼らは同時に口に含んだ。

 別世界には「せーの」みたいな掛け声はないんだなと思いながら見守っていると、男性二人が唸り声を上げながらコーヒーを吐き出した。

 小柄な女性が爆笑する。


 愉快な人たちだなぁ、と思いながら、なんとなく仲良くやっていけそうな気がした。

 まあ彼らが俺にそう感じてくれているかはわからないけれど。

 この世は片想いで満ちている。


 別世界の人たちの口にはコーヒーは合わないんだなと思ったけれど、槍使いに促されて飲んだ脱メイルさんは、いたく気に入ったみたいだ。

 おかわりまでしていた。

 別世界の人にも、個人差があるみたいだ。


 いやまあ、当たり前の話なんだけど。

 でも俺は油断すると、すぐに人を属性で判断してしまうところがある。

 気をつけねば。


 脱メイルさんに触発された小柄な女性も、自分のカップにコーヒーをなみなみ注いで飲み始める。

 澄ました顔をしていたけれど、痩せ我慢しているのは明らかだった。

 その姿が妹と重なって、俺はほっこりした。


 結局紅茶は全部無くなり、コーヒーは三分の一ほど残った。

 そこで会はお開きとなる。

 俺と博士は、脱メイルさんと愉快な仲間たちの部屋を辞去した。

 エレベーターに乗り込んで、一階に着いたところで俺は博士に問いかけた。


「それで、どうしたんですか?」

「あ? なんだそれでって」

「ずっと上の空だったじゃないですか。食事中も心ここに在らずって感じで。何か気がかりなことでもあるんですか?」


 博士はハンと鼻を鳴らす。


「飯に夢中になって、別世界の連中すらろくに見てなかったお前が何言ってやがんだ」

「でも博士のことは見てましたから」


 俺は博士を守るためにあの場にいたのだ。

 どれだけ食事に夢中になろうと、そのことを忘れたことは一瞬たりともない。


「——っ」


 博士は言葉を詰まらせる。

 それから急に、


「うがぁあああ!」


 と、その小柄な体から出たとは思えない大声を上げた。


「なんなんだよテメェは!」

「えっ? な、なんだって言われても……」


 博士は相当感情的になっているようで、英語と日本語を交えながら喚き散らした。

 ほとんど聞き取ることができず、なにより博士が何に怒っているのか分からず、俺は戸惑うばかりだった。


「お前なんだよ! 全部お前のせいで、頭ん中がぐちゃぐちゃになってっ!」

「え? 俺の?」


 そう問い返すと、博士は急に黙り込んだ。


「うぐぅ……」


 唸り声を上げながら、ガリガリと乱暴に頭を掻きむしる。

 それから、


「……お前、そういう趣味があんのか?」


 と尋ねてきた。


「趣味って?」

「だからぁ!」


 ブチギレるための助走みたいな発声だったけれど、その先が続かない。

 一転してオドオドするように視線を泳がせ、赤面しながら上目遣いを向けてくる。


「だから……私におしっこかけられたいとか、そういう……」


 なんのことだろうと思ったけれど、すぐに思い当たる。

 風呂上がりの博士に動揺して俺は「どうすればおしっこを顔にかけてもらえるのか」みたいなことを口走ってしまったのだ。


「あ、違います。かけられたいとかじゃなくて……。ほら、俺って博士に生殺与奪の権を握られてるじゃないですか。だから俺も顔にかけられたら生殺与奪の権を返してもらえるのかぁ、みたいな」


 すると博士の顔から、すっと表情が抜け落ちる。


「は、博士?」

「絶対に返さねえ」

「えぇっ!?」

「……いつだったか、『お前は常にちょっと罪悪感を抱いてるくらいがちょうどいい』って言ったことがあるけど、あれは取り消す」

「は、はぁ。それはどうも」

「お前は常に誰かに生殺与奪の権を握られてても全然足りねえはボケがカス死ね!」


 いくらなんでも言い過ぎだ。

 さすがに言い返そうと思ったけれど——

 なぜか博士が涙目になっていたから、俺は何も言い返せなかった。


     *


 その日の夜。

 俺が部屋でくつろいでいると、ホテルマンが訪ねてきた。

 英語がそこまで堪能な人じゃなくて、困っているのは伝わってきたんだけど、何を言っているのかよく分からなかった。

 オランダ語とカタコトの英語で説明され、博士に何かあったらしいことがわかる。


(まさか……)


 俺はホテルマンに先導される形で博士の元に向かった。

 もっと急げと、小走りのホテルマンの尻を引っ叩きたくなる衝動を必死に抑える。


 だけど駆けつけてみると、俺が心配していたような事態ではなかった。

 博士がレストランで飲んだくれて、酔い潰れていたのだ。

 俺はほっと安堵する。


「何やってるんですか、博士。迷惑でしょ」


 そう言いながら肩を揺すると、英語でゴニョゴニョ言いながら手を振り払われた。

 これはダメだなと思い、おぶって部屋まで連れて行くことにした。

 従業員や連れてきてくれたホテルマンに平謝りしながらレストランを後にする。


 それにしても、と俺は背中でグースカ眠りこける博士を肩越しに見やる。

 博士がお酒を嗜むのは知っていたけれど、こんなふうにデロンデロンになる姿は初めて見た。

 何かやけ酒したくなるようなことでもあったのだろうか?


 そんなことを考えていると——

 カイロでも貼ったみたいに、じわりと腰のあたりが暖かくなった。

 その温もりは、ゆっくりと下半身に広がっていく。


(……ああ、また腰から下かぁ)


 銀のエンゼルみたいに五回かけられたら、顔に一回かけられたことになったりしないかなぁ、なんてことを俺は考えた。

【創作裏話】

「なんか博士が一番ヒロインっぽいムーブしてるな」って思いと「ヒロインってこんなんだっけ?」って思いがバッティングしてとても混乱しております。


 私は「フェティシズムとはアートであってエロではない」という思想を持っているのですが、皆様は己のフェティシズムとどのように向き合っているでしょうか。

 お聞かせいただけたら幸いです。

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