第190話 まだズボンも乾き切っていないのに
なぜだか博士が黙り込んでしまって、車内に気まずい空気が生じる。
反面、荷台はとても楽しそうだった。
相変わらず言葉の意味は微塵もわからないけれど、きゃいきゃいとはしゃぐ声がする。
それこそ観光客のような賑わいだ。
はしゃいでいるのは槍使いと大盾と短剣二刀流の三人だ。
最後まで一番警戒していたはずなのに、即オチ二コマ並みの変わり身の速さだった。
それはきっとフルメイルへの信頼の裏返しなのだろう。
フルメイルが選んだことなら後悔しない。
仮に酷い結末を迎えたとしても、文句はない。
そんな狂信とも思えるようなクソデカ感情が伺える。
ザガンさんに関しては、彼らよりも二回りくらい歳上に見えるし、そもそも体調が万全じゃないからとても大人しい。
そしてフルメイルだ。
彼女ははしゃぎこそしていないけれど、リラックスした様子で風景を眺めている。
とはいえ無警戒というわけではなく、常に意識の何割かをこちらに向けているのがわかる。
俺も全く同じ状況だった。
窓枠に肘をつき、外をぼーっと眺める。
でも彼らの気が突然変わり攻撃を仕掛けてきても、博士を庇えるように常に注意を払っていた。
その態度が彼らを刺激しかねないから、争う気がないアピールのために窓の外を眺めていた。
きっとフルメイルも同じだ。
お互いがお互いを意識し、そのことにどちらも薄々気付きながら、興味がないふりをし合っている。
それだけを聞くと、思春期の素直になれない男女みたいな感じだ。
恋愛頭脳戦でも始まりそうな。
でも実際はただの冷戦だった。
不用意な言動一つで取り返しのつかない事態を招きかねない。
だから俺は緊張感を常に持ち、でも同時に楽観的に考えている部分もあった。
なにせこっちには博士がついているのだ。
守らなきゃいけない存在であると同時に、博士ほど頼りになる存在もなかなかいない。
だからきっと、なんとかしてくれるはず——
と思っていたのだが。
「あなた、自分が何をしたかわかってるの!?」
病院に着くなり、博士はヒグマみたいな体格の女性看護師にブチギレられた。
患者を強引に連れだしたのだ。
そりゃ怒られるに決まっている。
「…………」
博士もその自覚はあるみたいで、逆ギレしたりせずにじっと耐えていた。
身長差があるせいか、先生に説教される小学生みたいだ。
(あ、泣きそう)
自分の服をギュッと握ってる姿が痛ましい。
それに泣くだけならまだしも、下手したら追いお漏らしするかもしれない。
(まだズボンも乾き切っていないのに……)
そう思い、宥めるために割って入ったら、俺も巻き込まれて一緒に説教された。
俺も自分の服をギュッと握る。
車椅子が到着したことで、俺たちはようやく解放された。
ヒグマみたいな女性は車椅子を押して別世界人になんの躊躇いもなくずんずんと近づいていく。
そしてザガンさんに対して、横柄ともとれる態度で椅子に座れと指示を出す。
ザガンさんは連れ去られたわけではないのだ。
博士に誘われ、自分の意思で付いていった。
本当なら彼のことも俺たちと同じように説教したいのだろう。
でも怪我人だし顔色も悪いしで、それにはさすがに躊躇いがあるらしい。
ザガンさんは仲間たちに何かを告げる。
多分『大丈夫』とか『心配しなくてもいい』的なことを。
彼らは不安そうにしつつも、ザガンさんが病院の中に運ばれていくのを見守った。
ヒグマみたいな看護師さんに気圧されている様子だったのが、ちょっと面白かった。
まあ巻き込まれて説教された俺は、人のことを言える立場にはないんだけど。
「お腹の怪我、そんなに酷いんですかね」
「腹は問題ないらしい。外傷はポーションが効きやすいしな。問題は内臓だってよ」
「内臓?」
「日常的に毒でも飲んでんのかってくらい傷みまくってるんだとよ。多臓器不全っつーか、内臓が半分腐って生きてるのが不思議なレベルらしい」
「そこまで……」
見るからに体調が悪そうだったけれど、そんなに酷いとは思っていなかった。
俺は彼の、つんとする饐えた体臭を思い出す。
半分腐った内臓。
「まあ私らにできることはなんもねえよ。専門家に任せるしかねえ」
「そうですね。博士も早く、ほっぺの治療を受けないと」
「だからいいって、この程度の傷。さっきバックミラーで確認したけど、ほとんど塞がりかけてたし」
確かにその通りだ。
切り口が綺麗で、ポーションをすぐに使ったこともあり、傷跡が残ったりすることもなさそうだった。
「てかお前こそ治療してこいよ。全身傷だらけだろ」
「あ、大丈夫です。俺もほとんど治ってるんで。多分傷跡も残んないと思いますし」
さすがに抉られた脇腹はまだ全快とはいかず、体を捻ったりするとちょっと痛む。
でもとっくに血は止まっているし、今俺に必要なのは治療ではなく、失った血を補うための食事だ。
「……お前、ポーションもろくに使ってねえよな?」
「いや、一応飲みましたけど……」
「私が飲んだ後の、瓶の底に残ったちょびっとだけだろ」
「まあ、はい」
でもあのポーションはアマンダが用意してくれた最高級品だ。
たとえ一口に満たない量だろうと、飲むのと飲まないのとでは全然違う。
「…………」
博士は重いため息をついた。
「突っ込むだけ無駄なんだろうな」
なんだかわからないけれど、どうやら俺は博士に見捨てられてしまったらしい。
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