消えた誓いと、特盛りの温もり
夜風が管制所の鼻を突く消毒液の臭気を吹き散らし、それに取って代わったのは、路地の奥から漂う炭火の煙、脂の焦げる匂い、そして濃厚な醤油とタレの混じり合う下町の生活臭であった。
そこは狭い路地の底に潜む、古びた佇まいの居酒屋であった。軒先には油煙に燻されて黒ずんだ深紅の赤提灯がぶら下がり、色褪せた藍色の暖簾が夜風に揺れている。
軋む音を立てる木格子の引き戸を開けると、中は狭苦しく立て込んでおり、空気中には焼き肉の白い煙、微かに爆ぜる油の粉、そしてアルコールと客たちの喧騒が醸し出す熱っぽい体温が澱んでいた。
無垢材の長いカウンター席は年月に磨かれて光を放ち、拭い切れぬ油膜すら帯びている。壁には手書きの短冊メニューが歪に貼られ、黄ばんだ端が反り返っていた。
息が詰まるほどに濃密な生活の匂いが充満するその片隅の、四角い木製のテーブルの上に、ルルカが生涯で一度も目にしたことのないご馳走が所狭しと並べられていた。
何よりも目を引いたのは、彼女の前に恭しく据えられた、特大盛りの牛丼であった。
そのすり鉢のような深丼は途方もなく大きく、白米はまるで切り立つ丘のように盛り上がっていた。その上を、つややかに脂の乗った薄切りの牛肉と、透き通るまで煮込まれた玉ねぎが隙間なく覆い尽くしている。
濃厚な甘辛い煮汁が艶やかな米の一粒一粒の芯まで染み渡り、中央にはオレンジ色の淡い光を帯びた生の温泉卵が、ぷるぷると震えながら鎮座していた。
立ち上る湯気とともに鼻腔を突く肉の香りは、乱暴なまでに強烈であった。
大丼の両脇には、湯気を放つ炭火焼き鳥の皿が幾つも並んでいた。香ばしく焼き縮んだ皮付きの鶏もも肉、黒々としたタレの絡むつくね、微かに油の泡を吹く豚バラ、そして粗塩を振られた軟骨と、こんがりと焦げ目のついた葱の串。
そして、それら油分と塩気の強い品々の傍らに、透き通るような冷たいリンゴジュースのグラスが、至極丁寧に添えられていた。
丸みを帯びた分厚いガラスの器には細かな水滴がびっしりと結露し、甘酸っぱく爽やかな果実の香りを漂わせながら、静かに滴り落ちていた。
ルルカは木の長椅子に呆然と腰掛け、両手を揃えて膝の上に置いていた。常日頃から無機質な合成糧食しか握ったことのないその細い手は、生命の熱気を放つこの食卓を前にして、どこに置けばよいのかすら分からずにいた。
彼女が立ち尽くしていると、向かいの席の女が、まるで別人にでもなったかの如く動き出した。
白熱灯の下で冷徹に処刑の権限を告げ、倦怠を全身に纏っていたはずの研究員エヴリンが、いまや白シャツのボタンを無造作に二つ引き外すと、袖を肘の上まで乱暴に捲り上げていたのである。
彼女は卓上の泡立つ巨大なジョッキを掴み上げ、喉を反らせると、「ゴクリ、ゴクリ」と黄金の麦芽の光を放つ生ビールを半分以上も一気に喉へと流し込んだ。
「プハァ――ッ!」
エヴリンは重い厚底ガラスのジョッキを、粗末な木のテーブルに叩きつけるように置いた!
「ドンッ!」と鈍い音が響き、底に残った白い泡が数滴飛び散って木目を濡らす。
エヴリンは手の甲で口元の白い泡を乱暴に拭うと、灰色の瞳に徹夜明け特有の放縦と痛快さを宿し、喉を鳴らして豪快に吐き捨てた。
「ハァーーッ! たまんないわね! 生き返るわ!」
アルコールに火をつけられたその豪胆で粗野な振る舞いには、学者然とした気品など微塵も残っておらず、泥沼の中でもがきながら酒で憂さを晴らす底辺の野暮天そのものであった。
ルルカが見開いた琥珀色の瞳で見つめる中、エヴリンはニヤリと口の端を持ち上げ、竹串の筒から脂の滴るきつね色の鶏もも肉を一本ひっつかむと、そのまま口へ運んでガブリと食らいついた。
口いっぱいに熱々の脂と肉を頬張って咀嚼しながら、彼女は竹串の先をルルカの目の前の牛丼へ向けて雑に振り、口ごもりながらも、抗いようのない熱っぽい口調で言った。
「何突っ立ってんのよ? 食いなさい! アンタに奢ってんだから、遠慮なんてするんじゃないわよ!」
エヴリンの腕を振り回して酒を煽る豪快な食べっぷりは、ルルカにとってひどく見慣れぬものであった。
だが、死人の山と泥濘の中で育ち、妖魔の爪の下から残飯を奪い取って生き延びてきた少女は、そもそも「気後れ」というものを知らなかった。
立ち込める白い湯気の中でその琥珀色の瞳を二度ほど瞬かせると、戦場に不意に打ち上げられた照明弾に順応するように、彼女はごく自然に目の前の温かい食事を受け入れた。
ルルカは薄いタコの残る右手を伸ばし、粗陶器の丼の縁に置かれた金属のスプーンを握った。
その指はあまりに細く、節くれ立って痛々しいほどであったが、柄を握る仕草は異常なまでに慎重であった。
最初の一杯を思い切りすくい上げると、甘辛い濃厚なタレを吸い込んだ白米が、脂の乗った薄切り牛肉を二片巻き込みながら持ち上がり、口の中へと運ばれた。
スプーンの先で突かれた温泉卵の黄身が弾け、米粒の隙間を伝ってねっとりと流れ広がり、熱々の肉の旨味を包み込みながら、舌の上で強烈に炸裂した。
ルルカの頬が、木の実を頬張るリスのように途端に膨らみ、懸命に、何度も何度も噛み締められた。
喉が激しく上下して飲み込むと、久しく忘れていた本物の温もりを宿す満腹感が、一筋の炭火のように食道を伝って、冷え切った空っぽの胃袋へと滑り落ちていく。
その拍子に、背中から半ば覗いていた骨の尾が、椅子の傍らで微かに、本当に微かに揺れた。
「それにしてもさぁ……」
エヴリンは肉のなくなった竹串をつまみ、テーブルの縁を苛立たしげに二度ほど指先で叩いた。金縁眼鏡の奥の目元を落とし、麦芽の香りと煙の混じったため息を吐き出す。
「今朝のあの薄汚い連中のことなんて、気に病むんじゃないわよ。この世はクズだらけなんだから、あんなゴミどものせいで自分の胃袋まで痛めつける必要なんてないんだからね」
ルルカは舌先を器用に伸ばし、唇の端についていた一粒の米粒を熱心に舐め取っていたが、その言葉を聞いて、ぴたりと動きを止めた。
咀嚼をやめ、小首を傾げると、髪の間に埋もれた半ば垂れた銀灰色の狼耳がパタパタと二度ほど揺れた。
「……悪辣な、連中ですか?」
口元にまだタレの染みた柔らかい米粒を残したまま、少女は舌足らずに疑問を口にした。その声には悔しさも怒りもなく、ただ聞く者の胸を突くような、純粋無垢な困惑だけが滲んでいた。
濁りのない琥珀色の瞳には、居酒屋の吊りランプの揺らめく光が映り込んでおり、まるで異国の隠語を理解できぬ幼子そのもののようであった。
エヴリンのジョッキを握る手が、ピタリと宙で固まった。
ルルカのそのあまりに無知で無垢な佇まいを見つめるうちに、彼女の胸の奥へ、まるで汚水を吸い込んだ濡れ雑巾をねじ込まれたかのような重い圧迫感が込み上げ、息の詰まる息苦しさに襲われた。
彼女は唐突に悟ってしまったのだ――この小さな狼の仔の頭の中では、今朝、金の延べ棒を瓦礫のように足元へ投げつけ、白日の下で尊厳を踏みにじったあの同僚たちの行いすら、「悪辣」の範疇にすら入っていなかったのだと。
生体兵器を家畜同然に防衛線へ埋め殺すこの世界で、彼女はこれより遥かに残酷で、下劣な仕打ちを嫌というほど見てきたに違いない。
肉の壁として魔獣の口元へ突き飛ばされ、命を繋ぐ合成糧食を毟り取られ、あるいは酒臭い官僚の軍靴で蹴り飛ばされるような日常。
そんな血生臭い現実と比べれば、肉の缶詰を数百個も買い占められるほど重みのある金の延べ棒など、彼女にとっては、むしろ途方もなく破格で、寛大極まりない「善意」ですらあったのだ。
平気なふりをしているのではない。ただ、慣れ切ってしまっているのだ。
蹴り飛ばされるのが当たり前で、たまに骨を放り投げられれば尻尾を振って喜ぶべき野良犬としての生き方に。
それゆえに、エヴリンの胸の奥で燻る遣る瀬無い憤りは、一層激しく燃え上がった。
彼女はこの冷たい収容所に長く身を置きすぎた。侵食率の限界を迎えて発狂し、獣の叫びを上げて逝った数多の兵器たちを見てきた。
世界に骨の髄まで搾り取られ、焼却炉の前で絶望と呪詛を瞳に宿した者たちを見届けてきた。
だというのに、眼前のこの小さな妖狼は、憎む力すら持ち合わせていないのだ。油塗れの無垢のテーブルの前にただ静かに座り、スプーンを握りしめて、丼の底に残った肉の破片を愛おしそうにさらっているだけなのだ。
居酒屋の換気扇が、片隅で鈍く重い唸りを上げ、二人の間に炭火の青い煙がゆらゆらと立ち上っていく。
エヴリンは奥歯をギリリと噛み締め、手にしたビールのジョッキを再びテーブルの上へ叩きつけた。底の黄金の酒が激しく波打ったが、胸に広がる不条理で鋭い痛みを拭い去ることは、どうしてもできなかった。
「本当に……胸糞が悪いわね……」
エヴリンは竹串を噛みながら、喉の奥底で消え入りそうな呟きを漏らした。
具体的に何に対して怒りを滾らせているのか、自分自身ですら判然としなくなっていた。床に投げ捨てられたあの金条があまりに目に焼き付いていたからか。
あるいは、消毒液に浸かりすぎて白くふやけたこの両目で、何年間ものあいだ、泥沼の中で朽ちていったあまりに多くの生体兵器の末路を見届けてきたからか。
培養器や借腹の温床から這い出してきたこの子らは、産声を上げたその瞬間、へその緒についた血すら拭われぬうちに、公的機関によって天文学的な額の「製造・育成債務」を冷酷に刻印される。
しかし、この世界は何と理不尽なことか。管理局は彼女たちに最も過酷な殲滅任務を押し付け、延命のための維持剤の支給量を切り詰め、精緻に計算された利息で二重三重に搾取し尽くす。
この制度が確立されてから今日に至るまで、人非人の如き責め苦を耐え抜き、真の意味で自らの身代金を完済して自由を買い戻せた生体兵器など、この巨大な高層都市、ひいてはこの荒れ果てた大陸全土を見渡しても、片手の指で数え切れるほどしか存在しない。
大半の兵器は、ある日の前線で肉片と化して回収不能となるか、あるいは数値が臨界点を突破した夜に、彼女のような看守の手によって焼却炉へと押し込まれ、灰となって冷たい夜空へと吹き散らされるかのどちらかであった。
ルルカの辿ってきた道はあまりに険しく、そしてその骨の髄まで染みついた過酷さは、徹頭徹尾、他者の底なしの利己主義と強欲の所産に過ぎなかった。
母は巨額の報酬のために子宮を売り払い、前のチームの者たちは我が身可愛さに彼女を扉を破るための消耗品として使い潰し、体制側は安全の名の下にいつでも引き金を引く準備を整えている。
エヴリンの視線はジョッキの縁を越え、夢中になって味噌汁を一口一口啜っている小さな狼の仔へと注がれた。
少女の飲み方はあまりにひたむきで、あまりに慎ましく、口元にはつややかな汁の雫がついていた。
硬骨の生えたその狼耳は、店内の喧騒を拾って警戒するように時折ピクリと震えながらも、温かい汁が喉を通るたびに、愛おしそうにふっと脱力する。
兵器というよりは、腹を空かせた流浪の子犬に近いその姿を見つめるうちに、ある突飛で、身の程知らずとすら言える大胆な考えが、エヴリンの微睡んだ脳裏の底からふつふつと湧き上がってきた。
(……この子がこれまで誰にも愛されたことがないというのなら、私が、母親のような役割を引き受けてやったっていいんじゃないかしら?)
その思考は、管理局の冷徹な規約に照らし合わせれば、紛れもない狂気の沙汰であった。
公式の教義には、黒々と明記されている。兵器が特定の「主」と魂の契りを結び、互いを独占し合う高い同調率の「男女の愛」や「主従の情」に浸ってこそ、神経回路の侵食率は最も効率的に鎮まり、抑制されるのだと。
だが、エヴリンは医学と神経科学の専門家であった。
彼女は誰よりも理解していた。いわゆる同調共振など、詰まるところ、強烈な感情のフィードバックによって暴虐な妖血に狂わされる核を宥めているに過ぎないということを。
男女の情愛が即効性を持つのは確かだが、人の世に存在するより純粋で、揺るぎない愛――例えば、大人が幼子へ注ぐ無条件の庇護や慈しみといった情愛もまた、その魂の亀裂へと染み込み、微かな調律の役割を果たすことだってあるのではないか。
だが、利益と効率を唯一の神と崇めるこの歪んだ社会において、雲の上の権力者たちが気に留めるのは「兵器がいつ戦場へ再投入できるか」という一点のみであった。
同調率の低い出来損ないに、何年もかけて温もりと忍耐を注ぎ込み、心を感化させることなど、彼らにとっては下水道へ金貨を投げ捨てるよりも愚鈍な埋没費用に他ならないのだ。
そしてルルカが今日のように誰からも顧みられず、死刑台の縁で立ち尽くす羽目になった最大の皮肉は、他でもない、あの出鱈目なデータのマッチング結果にあった。
管理局の地下深く、厳重に封印された中枢アーカイブにおいて、ルルカの魂の大規模なスクリーニングが行われたことがあった。
極北の王女の狂暴な妖核をその身に宿すこの獣に対し、この数十億の人間がひしめく世界において、唯一その魂と共鳴し得る「適格者」は、並の戦士でも一般市民でもなく――雲の上からこの世界のエネルギーの命脈を牛耳る、巨大財閥の令嬢ただ一人であった。
生まれながらにして金の匙を咥え、歩む先々を儀仗隊に傅かれる、真の特権階級の申し子。
万人に崇められる気高く冷徹なそのお嬢様を、幾重にも連なる名門貴族と権力者たちの取り巻きが囲んでいた。
そんな存在が、どうして泥沼の底へ視線を落とすことなどあろうか。生母に商品として売り払われ、骨の尾すら収まりきらず、いつ戦場で暴走して主を喰い殺すかも知れぬ「下等な欠陥品」と、命を預け合う主従の誓いを交わすことなど、許されるはずがなかった。
その令嬢本人の意思がどうあれ、財閥お抱えの幕僚や頭脳集団は、ルルカのファイルを一目見たその瞬間に、冷笑を浮かべながら契約の申請書をシュレッダーへと放り込んでいたのだ。
ドブ川に生まれた妖狼が、雲間に舞う鳳凰の翼に触れようなどと――支配層の連中にとっては、食後の笑い話にすら値しない戯言に過ぎなかった。
「……チッ」
エヴリンは苛立ち紛れに口の中の軟骨を噛み砕くと、黄ばんだジョッキを持ち上げ、残った苦く冷たい泡を一息に喉へ流し込んだ。
高貴がどうした。財閥が何だというのだ。
口を拭うことすら知らず、ただ丼の底に残ったわずかな汁まで名残惜しそうに綺麗に舐め取っているこの小さな生き物を見つめていると、エヴリンの心の奥底に眠っていた社畜特有の反骨心と苛立ちが、まるで野火のようにパチパチと音を立てて燃え盛っていくのを感じていた。
冗談じゃないわ。空の上の高慢ちきなお嬢様がアンタを要らないって言うなら、これから先、そのくたばり損ないの命は、煙草と酒の匂いにまみれたこの安月給の看守が引き受けてやるわよ。
「私が……守ってあげるから」
その呟きは極めて低く、掠れており、夜風に吹き落とされた枯葉のように、居酒屋の食器が擦れ合う喧騒の中へ音もなく呑み込まれていった。
「……え?」
ルルカは丼の縁から小さな顔を上げ、琥珀色の瞳に戸惑いを浮かべた。
聞き取れなかったのだ。
周囲には酔客たちの乱暴な怒号が飛び交い、鉄板の上では油がジュウジュウと苛立たしげに跳ねていた。その誓いはあまりに儚く、指を鳴らすほどの音にも満たなかった。
だが、ルルカの鋭敏な直感は、確かにその瞬間を捉えていた――向かいに座る、普段は厭世的で冷笑ばかり浮かべている女研究員が、その息を吐き出した刹那、眉根を痛々しいほどに寄せ、眼鏡の奥の灰色の瞳に、まるで手負いの獣のような悲壮と真剣さを宿していたことを。
それは少女がこれまでの人生で触れたこともなく、推し量ることすらできぬ感情の重みであった。
しかし、ルルカという少女は、痛々しいまでに分別を弁えていた。組織の暗がりで育った子供は、自らの好奇心を押し殺す術を骨の髄まで叩き込まれている。
大人の世界には他人に触れられたくない傷口や苦渋が山ほどあることを、そしてそれに無遠慮に触れようとすれば、冷たく突き放されるか罰を受けるだけだということを、彼女は痛いほど知っていた。
彼女はただ従順に探るような視線を引っ込め、俯くと、スプーンに乗った香ばしいつくねの団子を静かに齧った。
彼女の人生そのものを根底から覆し得たはずの、あの重々しい誓いは、こうして油煙と酒気の漂う空気の中を、何気なく擦れ違っていった。
運命というものは、いつだって無慈悲なまでに物惜しみをする。この瞬間に彼女が捉え損ねたほんのひと欠片の温もりを、おそらくずっとずっと先の、骨も肉も砕け散るような灰色の長い夜の底で、全ての真実が血と残酷さによって暴かれたその時にこそ、この小さな妖狼は胸の奥で幾度となく反芻し、生涯をかけて悔やみ続けることになるのだろう。
夜はさらに更けていった。居酒屋の片隅にあるその四角いテーブルは、濁って黄ばんだ吊りランプの微光の下で、周囲の喧騒からぽつりと切り離され、言葉にし難い侘しさと重苦しい沈黙を漂わせていた。
テーブルは使い古された杉材を継ぎ接ぎしたもので、年月をかけて染み込んだ油と酒の染みは木目の奥深くまで入り込み、黒光りして、角は数多の客の肘に擦られてささくれていた。
そのテーブルを挟んで向かい合う二人の姿は、あまりにも不条理で、あまりにも痛ましい情景であった。
片方は、全身に傷を負い、死の気配を纏う十五歳の異形の少女。死に装束のようにぶかぶかな粗末な古着を羽織り、華奢な鎖骨が襟元で痛々しく窪んでいる。
その体躯はあまりに儚く、夜風がひと吹きすればそのまま崩れ落ちてしまいそうであった。
背中の収まりきらぬ骨の尾は、油塗れのタイル張りの床へと力なく垂れ、その先端は周囲の人間の靴に踏まれるのを避けるかのように無意識に小さく丸まっている。
数多の巨魔を引き裂いてきたその細い手は、いまは居心地悪そうに、そして何よりも大切そうに粗陶器の器を抱え、タレの染みた最後の数粒の米を慎重にすくい取っていた。
まるで、いつ店の外へと蹴り出されるか怯えながら蹲る、傷ついた仔獣のように。
そして向かい側に座るもう一人は、組織の歯車としてその精気を搾り取られた社畜の女であった。
エヴリンの身に纏う白衣は屑籠の紙屑のように皺だらけで、胸元は無造作に開かれ、その鎖骨は徹夜続きの不健康な蒼白さを晒していた。
鼻梁の上の金縁眼鏡はわずかに傾き、背中へ投げ出された淡い青色の長髪は乱れ、灰色の瞳の底には蜘蛛の巣のような充血が広がっていた。
その表情には、死を見慣れ、利権の足の引っ張り合いを見飽きた果てに残された、麻痺して酸鼻を極めた疲労の色が濃く沈んでいる。
天井の古びた換気扇が、喘息を患った巨人のように「カタカタ……」と重い息遣いを響かせ、立ち上る青白い煙をかき乱していた。
床を濡らす血の匂い、冷酷な債務の掟、いつ暴発するかも知れぬ暴虐な妖血、そしていつ頭上から降ってくるとも知れぬ処刑宣告の公文書――生者を押し潰さんとするこの世界のあらゆる汚濁を、薄い黄ばんだランプの明かりだけが、束の間、外側へと遮っていた。
世界からゴミのように使い捨てられた生体兵器と、泥沼の中で良心を売り渡して生き長らえる底辺の看守。
この凍てつく人の世で等しく傷口を晒す二匹の獣が、こうして半分以上空いたジョッキと、散らばった竹串、そして温かい残飯の器を挟み、油煙の立ち込める街の片隅で、それぞれの骨の髄に染みる苦渋と冷気を無言のうちに噛み締めていた。
どちらも言葉を発することはなかった。ただ、氷の浮かぶリンゴジュースのグラスに結露した冷たい雫が、「ツッ……」と重く木目へと滑り落ち、傷だらけの湿った卓上に、黒ずんだ涙の染みを一つ、静かに広げていった。




