第14話 悪魔は、最後の取り立てに迷う
取り立ての後始末というのは、存外、事務仕事だ。
私は救貧院の帳場で、この三ヶ月の帳簿を、一件ずつ締めていった。
――ヨナス。
偽証と記録焼却の罪で服役。ただし刑期の後の身の振り方が、先日決まったそうだ。共同墓地の、墓守。
リーゼの空の墓が、まだそこにある。彼が三年守るはずだった主人の、守れなかった墓を、これから毎日掃くことになる。裁いた王国の役人は、何も知らずに配置しただけだ。世界というのは、時々、私より意地が悪い。
――侍女二人。
偽証の罪で追放。市場で見かけた者によれば、身分を隠して他の街で女中の職を探したが、「王都の聖女裁判の顔」は絵物語の挿絵で国中に出回っていて、どこの家も雇わなかったそうだ。嘘で得た給金の、利子の払い方としては妥当なところだ。
――処刑を急いだ廷臣。
審問から執行まで、異例の速さで判を押して回った男だ。処刑の日、退屈そうな声で処刑状を読み上げていた名代――あの声の主でもある。王家の内部で更迭。いまは北の国境で、羊の数を数える職にあるという。数え間違えても、今度は、誰も死なない。
――王国。
これは支払う側だった。王室の名で、公式の謝罪布告。リーゼの列聖の請願。そして救貧院への、王室後援の勅許。ニナが「王さまのお金で粥が太る」と大喜びした。表現はともかく、事実だ。
――それから、名前のない連中。
判決の翌朝から、救貧院の門の前に、物が置かれるようになった。芋の袋。薪の束。銅貨の包み。それから、季節外れの薔薇が、一輪。名札は、どれにもない。
一度だけ、置いていく背中を見た。処刑の日、広場で揚げ菓子を売り歩いていた、あの男だ。焼き菓子の包みを門柱の下に置いて、逃げるように去っていった。
処刑の日、広場で泣いたのは一人で、嗤ったのは万だった。その万から、謝罪の言葉はどこからも来ない。だが、詫びる者の帳簿というのは、だいたい無記名なのだ。受け取っておこう。利子は――付けないでおいてやる。
――オズヴァルト。
僧衣剥奪、全財産没収、辺境の独房修道院へ終身幽閉。
護送の朝、私は塀の外から、一度だけ検分に行った。商売柄の癖だ。堕ちた債務者の魂は、たまに拾い値で買える。
やめておいた。
七年の横領と、保身の嘘と、聖女殺しの決裁で煮しめられたあの魂は、もう、どう磨いても輝かない。腐り切った品は、地獄の蔵でも棚を汚すだけだ。
「……取り立ての価値もない、か」
悪魔に買い叩かれもしない。それがあの老人の、いちばん正確な末路かもしれん。
果報と思うか。少なくとも、私はあれを蔵に置かない。どの帳簿にも載せない。……商人に言わせれば、値のつかないことこそ、いちばん深い地獄だ。
*
そして――クラリッサ。
幽閉先への移送を三日後に控えた彼女から、面会の願いが来た。宛名は、聖女リーゼ。
《行きます》
魂は、即答だった。
「馬鹿正直に応じる義理はないぞ。縋られるだけだ」
《ええ。……でも、最後のひと掬いは、あそこにあると思うんです》
ほう。商品が、自分で見立てを立てるようになった。
――多分、当たりだ。私も同じ見立てだった。
面会室は、石壁に小窓がひとつ。鉄格子越しに、聖女だった女が座っていた。
化粧のない顔を、私は初めて見た。年相応で、疲れていて、そして――今も、綺麗に背筋が伸びていた。この女の背筋だけは、十年、嘘をつかなかったのだろう。
「……来てくださると、思いませんでした」
「呼ばれましたから」
鉄格子越しに、彼女は私の顔を、長いこと探るように見つめた。
「……リーゼさまは、まだ、そこにいるの」
私は席を、内側の魂に譲った。今日の名義も、リーゼだ。
「わたしです、クラリッサさま」
嘘かどうか、彼女に確かめる術はない。それでも、張り詰めていた肩から、力がひとつ抜けた。……信じたのではあるまい。信じるほかに、残っていなかったのだ。
「リーゼさま。ひとつだけ、聞かせて」
クラリッサの声は、審問の日の割れた声ではなかった。静かだった。
「あなた、あの日……霊薬を見つけた日。どうして黙っていたの」
《……》
「言えばよかったのよ。皆の前で、暴けばよかった。そうすればわたくしは、あの日に終わって、あなたを殺さずに済んで……どうして、庇ったりしたの。どうして、憐れんだの」
沈黙が、石壁の部屋に満ちた。
やがて、リーゼは答えた。私の口で。静かに。
「憐れんだのでは、ありません」
「……え」
「あの日のわたしは、あなたが羨ましかったんです」
鉄格子の向こうで、女の目が、見開かれた。
「わたしの治癒は、生まれつきの力です。祈りの所作も、言葉も、ぜんぶ後から、あなたの真似をして覚えました。礼拝堂の後ろから、いつも見ていました。……力がなくても、あなたの祈りは、綺麗だった。わたしは最後まで、あなたのようには祈れなかった」
「だから、言えなかったんです。あなたの祈りまで、嘘だったことに、したくなくて」
「……っ」
「それが、あなたを追い詰めたなら」
リーゼが頭を下げようとするのを――私は内側から、襟首を掴んで止めた。
《ザガン……!》
「駄目だ。取り立て屋として言うが、斬られた側が斬った側に下げる頭は、この世のどの帳簿にも載っていない」
《でも》
「言葉までは止めん。頭は、駄目だ」
リーゼはしばらく黙って――頭を下げる代わりに、鉄格子の向こうの目を、まっすぐに見た。
「これは、わたしの嘘でした。あなたを庇ったのではなく、わたしが、あなたの祈りを好きなままでいたかった。それだけの、わたしの都合でした。……その分だけ、ごめんなさい」
クラリッサは、長いこと、動かなかった。
それから――嗤おうとして、失敗した。泣き崩れるのでもなく、罵るのでもなく、ただ、初めて素の顔で、掠れた声を落とした。
「……わたくしが、ぜんぶ、したのよ」
「はい」
「告白書を書いたのも、ヨナスに偽証させたのも、猊下に取り入ったのも、あなたを……あなたを殺したのも、ぜんぶ、わたくし。誰にも騙されてなんか、いない。わたくしが、わたくしの意志で、した」
初めての、自白だった。
審問廷でも吐かなかった、最後の嘘――「わたくしも被害者」という嘘が、いま、本人の口から剥がれ落ちた。
「リーゼさま。あなたは、わたくしを許す?」
縋る目が、鉄格子越しに、こちらを見た。
三ヶ月前なら、聖女は何と答えたろうな。
いまの聖女は、こう答えた。
「いいえ」
穏やかに。感情を動かさず。
「あなたのことは、嫌いではありませんでした。でも、あなたのしたことは、これから先もずっと、許しません。……さようなら、クラリッサさま。もう、お会いすることはありません」
私たちは立ち上がり、振り返らずに面会室を出た。
背中で、格子を握る音と、押し殺した嗚咽が聞こえた。
赦しを乞う相手を失った人間は、そこから先、自分で自分を裁き続けるしかない。生涯の幽閉より、あれのほうが長い刑だと、私は商売柄、知っている。
*
その帰り道、王都の布告板の前を通った。
役人が梯子に登って、古い布告を剥がし、新しい布告を貼っているところだ。
『聖女録より、クラリッサの名を抹消す』
万の民に拝まれた名前が、糊の匂いのする紙一枚で、公式に、無になった。
《……終わり、ましたね》
「ああ」
胸の内で、最後のひと掬いの泥が――ゆら、と揺れる。剥がれかけている。
――聞いているか、商品。種を明かせば、あの残りは二枚重ねだったのだ。外側は、あの女が最後まで吐かなかった嘘――「わたくしも被害者」。他人の塗った泥は、吐いた本人の口からしか剥がれない。そして内側は、お前が自分の魂に塗った小さな建前――「庇った」という嘘だ。他人の嘘は暴けば剥がれるが、自前の嘘だけは、本人が認めるまで誰にも剥がせない。
彼女の自白と、お前の告白で――ようやく、両方が済んだ。
完全に剥がれ落ちるのは、この分だと、明日の明け方か。
「なあ、商品」
《はい》
「明日の朝、お前の魂は、完全に元に戻る。十年待った、完璧な、極上の魂に」
《……はい》
「契約の文言どおり、それは私のものだ。取り立ては、完了する」
《はい。ザガン、わたしの魂は、あなたのものです》
魂の声に、恐れはなかった。三ヶ月前から、一度も、なかったな。そういえば。
《……あ。ひとつ、零れました》
「聞いてやる」
《取り立てが終わったら、あなたは、あの蔵へ帰るのですね。……朝のない場所へ。粥の湯気も、子どもの袖引きも、ない場所へ。あなたがそこへ帰ることだけが、少し》
少し、の続きは、来なかった。零れたものを、自分で拾い直したのだろう。
《いいえ。なんでもありません。おやすみなさい、ザガン》
私は救貧院への夜道を、ゆっくりと歩いた。
食えば、六千年でいちばん旨い一瞬。飾れば、地獄の蔵の永遠の一等地。どちらでも選べる。明日の明け方、私はこの商いの、最後の勘定をする。
「……さて」
どうするのだったかな、私は。




