第13話 偽聖女、自分で組んだ火刑台に登る
異端審問。
三ヶ月前、リーゼを斬首台に送った、あの制度である。
審問長の席には、老司教。その隣に、王室監察官――教会法と王国法、初めての合同審問である。扉の外には、あの日と同じ、万の民。
被告席には――クラリッサ。
聖女殺し未遂の教唆、書記襲撃の教唆、偽証の教唆、そして、神聖冒涜。彼女があの日リーゼに着せた罪の衣を、寸法もそのままに、着せ返される日だった。
私は証人席にいる。今日の私の仕事は、少ない。
取り立ての最終日は、債務者が自分で払いに来る。それが理想形だと、前に言ったな。今日がその日だ。
「被告クラリッサ。聖女リーゼ暗殺未遂について、実行者はそなたの言伝を受けたと証言している」
「存じません」
一段目の言い訳は、澄んだ声だった。
「下男頭が勝手にしたことです。わたくしは騙されていたのです。オズヴァルト猊下に、何もかも。あの方がすべてを仕組み、わたくしはただ、飾られていただけ。……わたくしも、被害者なのです」
涙が一筋、白い頬を伝う。見事な涙だ。値札を付けるなら、金貨十枚というところか。
「では、証人を」
連れて来られたのは、国境で捕らえられた下男頭だった。逃がしたはずの男は、持たされた金の出所を洗われ、三日で全部歌っていた。書記襲撃の手配、暗殺の言伝、日付、金額、そして――言伝のたびに菓子壺から出された、聖女の私室の金貨。
「猊下は関係ねえです。ぜんぶ、クラリッサさまのお指図で」
「使用人の虚言です! わたくしを売って、罪を軽くしたいだけ……!」
「ならば、次の証拠を」
老司教が頷くと、監察官が立ち上がった。封蝋を割り、二枚の古い紙を、審問廷に掲げる。
「老神官の預かり品より発見された、書き損じである。文面は――処刑審問で用いられた『告白書』の下書き。同一の文言を、二度、三度と書き直し、リーゼ様の筆跡に似せていく過程が残っている」
身廊が、どよめいた。
「なお王室の筆跡鑑定人によれば、この下書きの元の筆癖は――被告クラリッサの直筆の祈祷文と、九割がた一致する」
「そん、な」
二段目の言い訳が、崩れる音がした。
「そんなはず、ありませんわ、だって、あれは」
――燃やした。灰も残さず。
その続きを、彼女は呑み込んだ。
この国の審問廷に、黙して守られる権利はない。沈黙を「自白の一種」と数えるやり方は――三ヶ月前の審問で、リーゼの沈黙に対して、彼女自身が使わせた手だった。制度は覚えている。制度とは、そういうものだ。
「……ちがう」
三段目は、声が割れていた。
「違うの。聞いて。わたくしは、民のためを思って……あの女は孤児上がりで、礼儀も知らず、聖女の格などなくて、わたくしのほうが、わたくしのほうがずっと、民に希望を……!」
「希望?」
小さな声が、傍聴席から立った。
ニナだった。止める衛兵を、老司教が目で制した。
「あんたの祈りで、誰の病気が治ったの」
少女は、泣いていなかった。
「あたしのおっ母を治したのは、リーゼさまだ。冬に薪をくれたのも、字を教えてくれたのも。あんたがくれたのは……処刑の見物場所だけじゃないか。返してよ。あたしたちの聖女さまを殺しておいて、希望なんて言うな」
万の民の沈黙が、少女に味方した。
三段目の言い訳は、言い訳のまま、床に落ちて死んだ。
そして彼女は――最後の段に、手を伸ばした。
「リーゼさま」
被告席から、縋る目が、私を射た。
「リーゼさま、あなたは慈悲深い方でしょう? ヨナスすら許したあなたなら、わたくしを……ね、昔のように、庇ってくださるでしょう? あなたはそういう人だもの、ねえ……!」
身廊中の目が、私に集まった。
私は――内側の魂に、席を譲った。契約の糸は魂と器を繋いだまま、手綱だけを渡す。そういう芸当も、できるようになっていた。
《いいのですか、ザガン》
「今日の取り立ては、お前の名義だ」
リーゼは、私の口を借りて、静かに答えた。
「クラリッサさま。わたしは今日、事実だけをお話ししました」
それだけだった。
庇いもしない。責めもしない。憐れみも、もう、ない。
ただの、終了。
クラリッサの顔から、最後の何かが、剥がれ落ちた。庇われることすら、もう、施されない。彼女が十年憎んだ「憐れみ」は、彼女が最後に欲しがったものでもあったのだ。
*
判決の前に、老司教が私に発言を求めた。
「リーゼ殿。最後に、三ヶ月前の審問について、そなたの口から述べることがあれば」
来たな。
《ザガン。……言います。ぜんぶ》
「いいのか。契約の中身は、お前の一番の秘密だぞ」
《秘密のままだと、嘘が一枚、世界に残ります。……わたしの、嘘が》
大した商品だ。最後の泥は、自分で剥がしに行くか。
私は立ち上がり、万の民に向けて、リーゼの声で言った。
「三ヶ月前の罪状のうち、ひとつだけ、事実があります。――わたしは、十年前、悪魔と契約しました」
身廊が凍った。老司教の目が見開かれる。
「流行り病の冬でした。来る夜も、神に祈りました。……ですが、天は応えませんでした。祈りも、薬も、何も効かず、毎朝、子供たちの数が減っていきました。
ですからわたしは、応えてくれるものに、呼びかけたのです。祭壇で悪魔を呼び、取引をしました。対価は、わたしが死んだときの、わたしの魂ひとつ。買ったものは――この国の、明日です」
「聖爐は、白く灯りました」
私は続けた。
「魂を売った女の魂が、なぜ白いのか。……分かりません。ですが、あの冬から十年、この国に流行り病は戻っていません。それだけが、わたしの契約のすべてです。裁かれるべき罪なら、どうぞ、今度こそ正しい記録で裁いてください」
沈黙は、長かった。
破ったのは、老司教の、掠れた声だった。
「……国を、救った対価に、己の魂か」
老人は、長い沈黙のあとで言った。
「異端とは、魂が魔に堕ちることを言う。……だが聖爐は、そなたの魂を白と示した。契約はあれど、魂は堕ちておらぬ。ならば、断ずべき異端の罪は、はじめから無かったのだ」
老人は、審問長の席で、深々と頭を垂れた。
「その契約を罪と呼べる者が、この国のどこにおろう。……教会は、三ヶ月前の判決を破棄する。聖女リーゼの名誉は、公にも、完全に回復されるものとする」
万の民の声が、屋根を持ち上げた。
聖女万歳。リーゼさま万歳。鐘が鳴り、誰かが歌い出し、広場の物売りが便乗して花を配り――現金なものだ。だが、その現金さこそ、人間のいちばん良いところでもある。
その歓声の隙間で、聡い囁きも、いくつか耳に入った。
「……でもよ、魂を売ったんなら、死んだとき、魂は悪魔のもんになったはずだろ」
「なら、今そこで生きてなさるのは、何なんだ」
「だから――神さまが、買い戻しなすったのさ。聖爐が白かったんだ、それしかあるまいよ」
囁きは、勝手に湧いて、勝手に落着した。空いた説明の席に名札を置くのは、いつだって拝む側だ。今日置かれた名札は「神の買い戻し」。……事実とは大違いだが、置かれた名札を直してやる親切は、私の商いにはない。
*
判決。
クラリッサ。聖女位剥奪。聖女録から抹名。財産没収。霊薬による奇跡の詐称、神聖冒涜、ならびに暗殺教唆の罪により、王国法のもと、幽閉ののち生涯の贖罪奉仕。
彼女は判決を、立ったまま聞いた。もう泣いてはいなかった。十種はあった泣き方の、最後の在庫が尽きたのだろう。
ちなみに霊薬の件は、私が高値の日まで寝かせておいた札だったが、切るまでもなかった。侍女たちの調書が、勝手に歌ってくれていた。商機を逃したとも言うし、経費が浮いたとも言う。
斬首でないことを、手緩いと思うか。
私は思わない。あの女は、名を買うために生きてきた。名で祈られ、名で拝まれ、名で人を殺した。その女から名を取り上げて、生かしておく――聖女録からの抹名とは、生きたまま忘れられるということだ。
首を落とすより、よほど長く効く。取り立て屋の値付けを、信じてもらっていい。
判決が下るころには、手綱は私の手へ戻っていた。
護送の兵が、クラリッサの腕を取った。
退廷の列が、証人席の脇を通る。その一瞬だけ、私は身を寄せて、彼女にだけ届く声で言った。
「クラリッサさま。わたしのことを『悪魔憑き』とお呼びになったそうですね」
「……それが、何だというの」
私は聖女の微笑を崩さないまま、彼女からしか見えない側の口の端だけを、ゆっくり、耳の下まで吊り上げた。
ニタァ、と。
ついでに、言葉の上着も脱いだ。
「大正解だ。――もっとも、主客が逆だがな」
「……え?」
「リーゼに悪魔が憑いたのではない。お前が殺したリーゼの骸を、悪魔が着ているのさ」
クラリッサの顔から、血の気が消えた。
「十年前、リーゼと契約した悪魔――ザガン。お前が泥を塗った商品の、持ち主だ。……代金は、たしかに受け取ったぞ」
「悪魔……」
掠れた声が、次の瞬間、絶叫に変わった。
「あれは悪魔よ! リーゼではないわ! あの女の中に、悪魔がいるのよ! 皆、聞いて、あれは……!」
誰も、足を止めなかった。
聖爐は白く灯った。告白書は偽物だった。下男頭は洗いざらい歌った。彼女の言葉には、もう銅貨一枚の信用も残っていない。嘘を吐き続けた口が最後に真実を拾っても、世間はそれを、断罪された女の最後の悪あがきとしか呼ばない。
嘘の利子というのは、こういうふうに取り立てるのだ。
兵たちが、喚くクラリッサを引きずっていく。私は聖女の顔のまま、丁寧に会釈をして見送った。
《……最後の最後に、意地悪でしたね》
「餞別だ。真実というのは、持ち主を選ぶ高級品なのでな。……あの女には生涯、持ち腐れてもらう」
《……いまのは、お仕事でしたか》
言葉に、ちくりと針が入っていた。いつかの説教と、同じ針だ。
「…………いや」
観念して、白状した。
「帳簿の外だ。ただの、個人的な怒りだ」
魂は、少しの間、黙っていた。
それから、ふ、と温かくなった。
……なぜそこで温かくなるのだ、この商品は。
鐘の音は、まだ遠くで鳴っていた。私は身廊の隅で、ひとり奇妙な静けさの中にいた。
終わったのだ。ヨナス。侍女。オズヴァルト。クラリッサ。塗った者は残らず堕ち、公に暴くべき嘘は残らず暴かれ、商品の名誉は取り戻された。
勝った。……いや、帳簿には一敗、記してある。収穫祭の、読み違いだ。それを差し引いても、六千年の商いで五指に入る、美しい取り立てだった。
公の帳簿は、これで締まった。
――なのに、なんだ、この。
蔵の棚が埋まったのに、蔵の中が妙に広い、この感じは。
《ザガン?》
「……なんでもない」
その夜、私は検品をして、眉をひそめた。
魂の泥は、剥がれていた。九枚。ほぼ、すべて。
ほぼ。
「……ひと掬い、残っているな」
どす黒い泥の、最後のひと掬い。嘘はすべて暴いた。塗った者はすべて堕ちた。なのに、剥がれない。
「妙だな。……誰の嘘が、まだ残っている?」




