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第2章:カルノヴァ分割戦争⑨

 カルノヴァ分割戦争の終結時期については諸説あるが、一般には、大陸暦1273年1月11日をもってその終わりとする見解が広く受け入れられている。この日、積雪によってローゼンベルク軍の進軍が困難となり、またグラウエンシュタイン軍が冬季を越えるための備えを欠いていることが明らかになった。加えて、共和国内戦の首謀者の一人であるマテウシュ・ジェリンスキを完全に取り逃がしていた事実が発覚したことが、その判断を決定づけたとされる。


「もう少し、進んでおきたかったな……」


「はい。無念ではございますが、ここまでが小官の力の限界でございます。申し訳ございません」


「アンスバッハ、貴官はよくやった。この功績には、必ず報いよう」


 進軍の断念を決断したヴィルヘルムは、アンスバッハを大将へと昇格させ、ワルサヴィクに『カルノヴァ統治行政局』を設置し、その責任者に任命した。最終的にローゼンベルクが制圧・占領した地域は、統一時代の共和国領土のおよそ43%に達していた。これは、先王フリードリヒ2世がかつて一時的に占領した領域を遥かに上回るものであり、ヴィルヘルムの非凡さを示す成果として、後世の歴史書に記されることとなる。


 さらに、ヴィルヘルムが徹底した人道的かつ清廉な占領統治の評判は周辺地域にも広まり、ローゼンベルクの占領地へ亡命する旧共和国民の数は十万を超えた。この流入は一時的に社会インフラや統治行政局の予算に大きな負荷をもたらしたものの、彼らは再建事業の労働力として積極的に活用された。何よりも、彼ら自身がかつての祖国の復興に携わることを誇りとした点が重要であり、それこそがカルノヴァ地域の統治行政を円滑に進める大きな要因となったのである。




 また、パルミラートにおいてグラウエンシュタイン軍が行った非人道的行為について、ヴィルヘルムはそれを公式記録として残すよう厳命した。グラウエンシュタイン政府は、同地で起きた事実そのものを否定し、ローゼンベルクによる調査団の派遣を終ぞ認めなかった。しかし、パルミラートから亡命してきた市民は数多く存在し、彼らの証言によって、出来事の実態が白日の下に晒されるまでにさほどの時間は要さなかった。


 後に『パルミラートの戦争犯罪』と総称されるこれら一連の非人道的行為は、より後世になってから本格的に批判の対象とされた。当時とは異なる倫理観や社会通念を考慮したとしても、なお許容しがたいものであり、これを詳細に記した歴史書は、戦争犯罪を告発した最初期の文書として位置づけられている。


 それ以前、戦時における現地住民への非人道的行為を積極的に記録しようとする君主はきわめて少なかった。勝者にとっては輝かしい勝利に付随する不都合な汚点であり、敗者にとっては屈辱的な敗北をさらに強調するものに過ぎなかったからである。そのため歴史書においても、「敵軍は住民を虐殺した」「略奪が行われた」といった簡略な一文として触れられるにとどまり、具体的な検証や記述はほとんど行われてこなかった。


 このパルミラートの事案は、後に「戦争犯罪」という当時としてはまだ一般的でなかった言葉と概念を定着させる契機となり、さらに『戦時における民間人の保護に関する条約』という画期的な国際条約を生み出す直接的なきっかけとなったのである。




 パルミラートの一件以降、ジークハルト率いる第101機動戦闘団が、再びカルノヴァ分割戦争の戦地に投入されることはなかった。これは、同地で起きた出来事に対する精神的な休養を与えるという配慮でもあったが、ヴィルヘルムが何よりも重視したのは、“切り札である第101機動戦闘団と参謀本部の存在”を、グラウエンシュタインに対して徹底的に秘匿することにあった。


 機動戦闘団の実戦における戦闘能力を、外交官エルンストを含む現地のグラウエンシュタイン軍は目撃していない。その戦力が未だ不明瞭であることを好機と捉え、ヴィルヘルムはジークハルトをワルサヴィク防衛に残留させ、その戦力を温存する判断を下したのである。


 参謀本部についても事情は同様だった。グラウエンシュタインの分析対象とならぬよう、作戦立案や情報分析を組織的に行っている事実は徹底して伏せられ、あくまで作戦は、ヴィルヘルムとアンスバッハ、そして補佐官ヘルマンの個人的才覚によって構築されたものとして扱われた。


 後年、エルンストの証言によって明らかになったところによれば、グラウエンシュタインはこの点において致命的な誤算を犯したまま、対ローゼンベルク戦略の検討を進めていたという。彼らが導き出した結論は、「ヴィルヘルムという軍事的天才が直接指揮できないほど広範な戦線を形成し、アンスバッハという有能な指揮官を現地に立てさせず、ヘルマンが著した著作を分析・研究することで、その思考を先読みする」というものであった。


 すなわち彼らは、ローゼンベルクの軍事的優位を、あくまで個々の属人的資質に帰結するものと捉え、その背後に存在する参謀本部という“集合知”の存在を、最後まで想定しなかったのである。自国の外務省に『外務分析局』という同種の組織を有していたにもかかわらず、である。




 かくして、雷鳴王の親征戦争における第二戦『カルノヴァ分割戦争』は、ローゼンベルクにとって非常に有益な結果をもって幕を閉じた。しかし、この戦争によって当初模索されていたローゼンベルク=グラウエンシュタイン同盟の関係は進展せず、むしろ冷え切った空気を晒すこととなった。


 その同盟維持に尽力していたエルンストも、一時的にその立場を危うくした。しかし、彼の身を案じたヴィルヘルムは、特大の重要情報を与えて彼を国へ返した。


「王妃アーデルハイトは我が子を懐妊している」


 通常であれば徹底的に秘匿される情報であり、ヴィルヘルムの真意を読み取れなかったエルンストは、しばし黙り込むしかなかった。しかし、ヴィルヘルムは続けて言った。


「貴様にはまだローゼンベルクとグラウエンシュタインの窓口になってもらわねばならぬ。貴様と違う年老いた無能者よりも、はるかに話が通じるからな」


 エルンストは、その真意の解釈に迷ったものの、表面上は言葉通り受け取った。


 グラウエンシュタインの外務省に戻ったエルンストは、まずこの情報を国母エリザーベトに報告した。同時に戦中のヴィルヘルムの様子や行動原理、人柄、真意などを分析した報告書も提出した。内容は概して雷鳴王に好意的であり、当局には軽視されることとなったが、ヴィルヘルムの信用を勝ち取ったという一点において、エルンストは引き続きローゼンベルク外交担当主任に据え置かれた。


 もちろん、この人事決定には女主人エリザーベトの影響も深く関わっていた。しかし、グラウエンシュタインにおいてはそれを詮索することが禁忌とされていたため、誰一人としてエルンストの責を問うことはなかった。




 大陸暦1273年は、雷鳴王がカルノヴァ分割戦争でわずか11日間しか戦闘を行わなかった、稀有な年として後世に記録されている。多くの歴史家は、この年に彼の華麗な戦略的手腕を綴ることができないことを残念に思い、軽視しがちである。しかし、ヴィルヘルムの国の基礎がほぼ完成したのは、この年の内政に集中した期間であることを忘れてはならない。


 雷鳴王の動きが大人しくなる中、グラウエンシュタインが概ね満足そうにその情勢を受け入れている間に、ヴィルヘルムはすでに来る第三戦に向けた着々たる準備を進めていた。


 その相手は、もちろん帝国の盟主――“グラウエンシュタイン大公国”である。

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