第2章:カルノヴァ分割戦争⑥ ⚠
※本話には残酷な描写が含まれます。苦手な方は無理せず、同日投稿の次の話からお読みください。本話を読まなくてもお楽しみ頂けるかと存じます。
描写は物語の世界観やテーマ性を重視したものであり、筆者が思想的に肯定するものではありません。あらかじめご了承ください。
首都ワルサヴィクを出立したジークハルト率いる機動戦闘団が、南方より進撃していたグラウエンシュタイン軍と合流したのは、ワルサヴィクから南へ5日ほど馬を走らせた先にある都市パルミラートであった。
共和国の中でも中規模に属するその都市の方角から、黒い煙が立ち上っているのを遠目に捉えたとき、ジークハルトは当然のように、両軍が交戦状態にあるのだろうと判断した。彼は即座に部隊に戦闘配置を命じ、警戒を固めたまま市内へと進入した。
だが、そこで目にした光景は、彼の想定していた“戦闘”ではなかった。
「……おい、どういうことだ?」
通りの一角で行われていたのは、武装した兵士たちによる一方的な処刑だった。壁際に並ばされたのは、明らかに武器を持たぬ住民たちである。泣き叫び、赦しを乞う声が飛び交う中、彼らの視界は粗末な布で覆われ、次の瞬間、乾いた銃声が一斉に鳴り響いた。
その足元や周囲には、すでに事切れた者たちの幾重にも積み重なり、それが今まさに始まった出来事ではないことを雄弁に物語っていた。この光景を「戦闘」と呼ぶことは、どうしてもできなかった。
「貴様ら、何をしている!」
最初に声を荒げたのはカールだった。彼は馬を駆って射撃隊のもとへ近づき、指揮を執っていた将校に詰め寄った。しかし、その男は叱責を意にも介さず、感情のこもらない声で言い放った。
「彼らは抵抗勢力です。我々に敵意を示した以上、戦場の習わしに従って処分しています」
まるで上から与えられた文言を、そのまま読み上げている役人のようだった。
街の至るところから立ち上る煙の発生源に目を向けると、そこには積み上げられた何かが、場違いなほど食欲をそそる匂いを放っていた。ジークハルトは、かつて砲兵隊の誰かが口にしていた言葉を不意に思い出す。
――砲撃で焼けた人間の匂いは、豚肉に似ている。
市内を進むにつれ、道路に面した建物という建物の扉はことごとく破壊され、内と外を隔てる役割を完全に失っていた。そこから覗く内部の光景は、「何もなかった」と表現するほかない。倉庫ですらないはずの建物に、わずかな小物が散乱しているだけで、家財や生活の痕跡は根こそぎ奪われていた。
「……ひどい」
そう呟いたのはシャルロッテだったが、その言葉は、そこにいる全員の胸中をそのまま言い表していた。
そして、ジークハルトにとって決定的な一撃となる現場に、彼らは辿り着いてしまう。
「……説明しろ。これは、一体どういう状況だ」
何の変哲もない、ごく普通の民家。その中にいた数名のグラウエンシュタイン軍兵士に向けて、ジークハルトは低く問いかけた。
「彼らは我々に抵抗し、襲いかかってきました。非常に危険な状況でしたので。ローゼンベルクの少佐殿」
一人の兵士が、悪びれる様子もなく事情を説明する。
「抵抗……襲撃……危険、か」
その場の光景とあまりにも噛み合わない言葉の数々を、ジークハルトは静かな怒気を滲ませながら、ひとつひとつ反芻した。
最初に視界に入ったのは、床に倒れ伏した一人の男だった。
身体には、抵抗の余地を奪われたことを示す痕跡が残っている。無理に抑え込まれ、何度も力を加えられた末の姿だった。顔には原形を留めぬほどの傷が重なり、乾いた血が、すでに生気を失った肌に貼り付いている。その表情に恐怖はなかった。ただ、あらゆる感情を削ぎ落とされた後に残る、虚ろな静けさだけがあった。
すぐ傍には、女性の亡骸も横たわっていた。
彼女の身体にも、逃れようとした痕跡がはっきりと残されている。床に引きずられた跡と、抑えつけられた形跡が、この場で何が起きたのかを言葉以上に物語っていた。見開かれたままの瞳は、最後の瞬間まで何かを求めていたようにも見えたが、今はもう、そこに焦点は結ばれていない。
そして、部屋の奥――
ジークハルトは、そこにある小さな影から、思わず視線を逸らしかけた。
年若い少女だった。まだ幼さの残る年頃であったことは、一目で分かる。彼女は床に崩れるように横たわり、身を守るための力すら奪われていた。衣服は無残に裂かれ、身体には、明らかに力の差を伴う暴力によって、到底正当化し得ない行為の痕が刻み込まれていた。それがどのようなものであったのかを、これ以上確かめる必要はなかった。
抵抗し、逃げようとし、最後まで生きようとした――
その事実だけが、沈黙の中で重く突きつけられていた。
そして、高潔さを示すはずの白を基調としたグラウエンシュタイン軍の軍服は、争った形跡とは言い難い乱れを見せ、彼らが行った非道な行為を静かに証明していた。
――それが、この部屋に残された光景のすべてだった。
「……そうか」
遠くで、銃声が一発だけ響いた。
それに続いて、銃が放つ音よりもさらに小さく、しかし確かな人の声が、ジークハルトの鼓膜を打つ。その瞬間、彼はすでに腰の将校用拳銃へと手を伸ばしていた。
「ジーク!」
シャルロッテが叫ぶよりも早く、引き金が引かれた。
「っ⁉な、なにを⁉」
乾いた音が響き、弾は銃口を向けられた兵士の顔をかすめ、壁に突き刺さって止まった。致命に至らなかったのは偶然ではない。ジークハルトを取り押さえようとした部下たちが、間一髪で間に合った結果だった。
「貴様ら、覚悟しろ!一人残らず、豚の餌にしてやる!」
激昂、爆発、そして明確な殺意。
ジークハルトの内側から噴き上がった衝動の正体を名付けるなら、その言葉以外にあり得なかった。
「駄目よ、ジーク!私たちには、グラウエンシュタイン軍の兵士を裁く権限はないわ!指揮官か、憲兵に通報するしかないの!」
「ここは戦場だ!一つや二つ、兵士の死体が増えたところで、どうとでも言い訳はつく!」
「だから駄目だって!アンタが懲罰の対象になる!」
シャルロッテが制止しようとするも、小柄な体躯からは想像もつかない力でジークハルトは振りほどこうとする。部下たちが押さえ込むのにも、すでに限界が近づいていた。
「一体、何の騒ぎですかな?」
折よく現れたのは、グラウエンシュタイン軍の将校だった。ローゼンベルク軍の将校と自軍兵士が揉めていると聞きつけ、様子を見に来たのである。
好機と見たシャルロッテは、現場を示し、事情を簡潔に説明した。他国軍である自分たちに処罰権限はないが、彼らにはある。正当な処遇がなされれば、ジークハルトを止められる――そう考えたのだ。
だが、将校の口から出た言葉は、その期待を裏切った。
「貴女は女性兵だから、そう思われるのでしょう。しかし兵士にも息抜きは必要です。ここは戦場です。彼らの立場も、少しは考えてやってください」
シャルロッテは、ただ呆然とするしかなかった。怒りが湧かなかったわけではない。だが、この場で誰よりも激しく怒り狂っているジークハルトの姿を前に、彼女も、周囲の仲間たちも、その憤怒に圧倒され、自らの怒りを表に出すことをためらっていた。
そして、この場を収めたのは珍しくカールだった。
「悪いな、団長」
そう言うと、彼は躊躇なく拳銃のグリップでジークハルトの後頭部を打った。次の瞬間、ジークハルトは力を失い、怒りに身を震わせたまま意識を手放した。
脱力した身体を肩に担ぎ、カールは彼を愛馬のもとへ運ぶ。
「ヘルティ。団長を頼む。振り落とすなよ」
穏やかな気性の巨体の牝馬は、言葉を理解したかのように首を上下させ、低く鼻を鳴らした。
「カール……」
「いやはや、冷静な指揮官がいて助かりましたな」
周囲が言葉をかける中、カールはそれに応じるように吐き捨てる。
「クソみたいな連中でも、今は友軍だ。友軍を討ち取っても、勲章の一つにもなりはしない。だがな……」
意識を失ったジークハルトを馬に固定し終えると、カールは自らも鞍に跨り、馬上からグラウエンシュタインの軍人たちを睨み据えた。
「敵になれば話は別だ。その時は真っ先に行く。――戦場ってのは、そういう場所だろ?」
単純実直なカールに、ここまでの皮肉を言わせる存在。それが、今のグラウエンシュタイン軍だった。彼は単純ではあるが、馬鹿ではない。その彼にこの言葉を吐かせた事実こそが、すべてを物語っている。
「……とりあえず、団長が目を覚ます前に、ワルサヴィクへ引き返すか」
武功と名誉を求める戦場の男――それが本来のカールだ。だが、この場での振る舞いを評価するなら、今こそ彼を称える勲章があって然るべきだった。




