第2章:カルノヴァ分割戦争⑤
「――首都を陥落させた、だと?」
「はい。前線司令部のアンスバッハ司令官より報告が入りました。機動戦闘団による威力偵察で敵情を把握し、機を逸することなく攻勢に転じた結果、首都を攻略したとのことです」
共和国首都陥落の報告をヴィルヘルムに伝えながら、ヨハンは内心で怯えていた。
なぜなら、この知らせを耳にした参謀本部――とりわけエリアスが、現場部隊の独断専行に対して激怒し、珍しく声を荒げていた場面を目の当たりにしていたからである。今次戦争における彼の功績があまりにも大きかったがゆえに、その怒りをもっともだと受け止める空気が総司令部にはあった。
ゆえにヨハンは、ヴィルヘルムも同様の反応を示すのではないかと危惧していたのだ。
「そうか。よくやったな。では、前線司令部を首都へ移すよう連絡しろ。私も現地へ向かう」
しかし、ヴィルヘルムの反応はあまりにも淡々としていた。叱責も動揺もなく、事実を受け入れ、即座に次の命令を下したのである。
「……お怒りになられないのですか?」
「怒る?なぜだ。前線部隊はよくやっている。前線指揮を任されたアンスバッハが、好機と判断して果敢に攻勢に出た。その結果、首都を攻略した。上々ではないか」
確かに、この評価自体は間違っていない。だが、それは結果を踏まえた見方に過ぎなかった。
今回の大規模侵攻作戦は、綿密な計画と段階的進行を重視するものであり、勇猛果敢な前進が必ずしも期待されていたわけではない。参謀本部が最も恐れていたのは、先王フリードリヒ2世が第一次ノッセル回廊会戦で犯した過ち――無計画な前進による兵站線の崩壊、進撃限界点への到達、そして戦闘力の喪失による敗走――の再現であった。
その観点からすれば、ジークハルトとアンスバッハの行動は、咎められても不思議ではなかったのである。
それでも、ヴィルヘルムも、参謀総長ヘルマンも、彼らの行動を責めることはなかった。
その理由を、ヘルマンは参謀本部の部下たちに次のように説いたという。
「作戦指揮には三つの要諦がある。
一つ、指揮下部隊を確実に掌握すること。
二つ、指揮官が明確な意図を示すこと。
そして三つ目は――最後は現場と部下を信頼することだ」
ヘルマンは続けた。
「最初の二つは、多くの指揮官が重視する、ありふれた原則だ。だが、最後の一つを実践できるかどうかで、戦果は大きく変わる。我々参謀本部の使命は、周到な準備と計画を整え、それを前線に伝えるところまでにある。その先は、実際に戦っている彼らに委ねるしかない。なぜなら、戦場の機運を読み取り、戦意を燃やして戦うのは、現場の兵士たちだからだ」
この訓示は、熱くなっていた参謀たちの自負を静め、冷静さを取り戻させる効果を持っていた。
参謀本部の役割が重大であることは疑いようがない。実際、今次戦争においてもその能力は十分に発揮され、成果を挙げていた。しかし、それをすべて自分たちだけの功績だと錯覚してはならない。血と汗と命を賭して戦っている兵士がいてこそ、計画は意味を持つのだ――その当たり前の事実を、ヘルマンは改めて参謀たちに刻み込んだのである。
それこそが、彼が名参謀と称される所以であり、ヘルマンとエリアスの親子を指して「大シュトラウセン」「小シュトラウセン」と呼ばせる理由でもあった。
どちらが“大”であるかは、改めて説明するまでもないだろう。
そして“小シュトラウセン”は、最後までこの考えに納得することができなかった。――それこそが、彼が“小”と呼ばれる所以であった。
かつて共和国の首都であったワルサヴィクに、ローゼンベルク軍の前線司令部が設置されたことで、共和国の中枢たる同地は完全にローゼンベルクの支配圏へと組み込まれた。
それは、グラウエンシュタインとの共同統治を前提とした事前協議を踏まえれば、望外の追加戦果であり、その戦略的意義はきわめて大きかった。仮に後日グラウエンシュタイン側が不満を述べたとしても、予定された行動の範囲内で動いたローゼンベルクを非難するのは筋違いであることを、彼ら自身も理解している。
ゆえに、首都ワルサヴィクを掌中に収めたという事実は、ヴィルヘルムを大いに満足させる結果であったことは疑いようがない。
その戦功を挙げた者を労うべく、ヴィルヘルムは前線司令部の置かれたワルサヴィクへと赴いた。しかし、肝心の功労者の姿はそこになかった。
先着していたアンスバッハの話によれば、彼は「いまだ首都へ到達していないグラウエンシュタイン軍を迎えに行く」という名目で出立したという。だが実際のところは、過剰な破壊を招いてしまった首都の後始末から逃れたのではないか――そう疑われても仕方のない行動であった。
まったく、あいつは……とヴィルヘルムは内心でわずかに呆れたものの、それだけでジークハルトを厳しく咎める気にはなれなかった。
しかし後になって、ヴィルヘルムはこの判断を悔いることになる。
あの時、ジークハルトに首都ワルサヴィクへの留任を厳命しておくべきであった――そう思い知らされる出来事が、ほどなくして起こるのである。




