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第2章:カルノヴァ分割戦争①

「パトリク、受け入れの準備は整ったか?」


「はい、シモンスキ大尉!準備万端です!」


「……走って転ぶなよ。そそっかしい奴め」


 共和国軍人カジミェシュ・シモンスキ大尉は、第四次ノッセル回廊会戦の終結後、ローゼンベルク軍の野戦病院で治療を受けたのち、何の見返りも求められないまま捕虜として解放され、共和国軍へと復帰した。


 もっとも、その“共和国軍”とは何を指すのか、所属している本人ですら判然としなかった。敵と味方の区別は曖昧なまま、“共和国軍を名乗る者同士”が武器を向け合う戦いが続いていたのである。その状況はすでに2年目に突入し、名実ともに「内戦」と呼ばれても不思議ではなかった。


 カジミェシュが属していたのは、『正義院』を正統政府とする共和国軍だった。そこに身を置いた理由に、特別な信念はない。捕虜解放の際、最初に彼を迎えたのが彼らだった――それだけである。反戦思想や停戦を志す崇高な政治理念に共鳴したわけでもなかった。


 ローゼンベルクとの戦争が終われば、元の生活へ戻れる。そう信じていたカジミェシュの期待は、国内の混乱と内戦の勃発によって無残に打ち砕かれた。除隊は却下され、しかも現場で最先任であるという理由だけで部隊指揮まで任される始末である。


 すべてを投げ出したい気持ちは何度も胸をよぎった。それでも、かつてから気にかけていた、ひ弱そうな青年兵士パトリクをはじめ、要請という名のもとに召集された若者たちの行く末を思うと、見捨てることができなかった。世話焼きな性分のカジミェシュは彼らを引き受け、部隊長の一人として内戦を戦い続けてきた。


 同じ軍服を着た者同士で撃ち合うのは耐えがたい。国内安定の名の下に、困窮する市民から物資を徴発する行為もまた、彼らの善性を摩耗させた。空腹は日常となり、雪の降る時期の戦闘も次で三度目だ。軍人である理由だったはずの煙草の配給も、とうに途絶えている。もはや、何のために戦っているのか、誰にも分からなかった。


 終わりの見えない地獄に嫌気が差したカジミェシュは、パトリクのように若く、戦闘に向かない者たちを引き抜き、「後方支援部隊」と称して物資調達を主とする任務を担うことを決めた。正式な辞令ではなく、彼が勝手に名乗り始めたものだったが、統制を失った軍においては大した問題にはならなかった。


 その決断を、カジミェシュは数少ない自らの功績だと信じている。誇りと呼ぶには大袈裟だが、少なくとも恥じるものではない、と。


 ――軍隊は胃袋で動く。


 その金言の通り、食料と物資を失った軍は手に負えない存在となった。兵士は離脱し、指揮官までもが共謀して略奪に走る。もはや軍人というより野盗と呼ぶべき振る舞いが横行した。他国への脱走や亡命も相次いだが、それらは重罪とされ、捕まれば見せしめの公開処刑が待っていた。


 かつての味方に銃を向け、彼らもまた生きるために必死に抗う。敵と味方の境界など、とうに意味を失っていた。


 カジミェシュの率いる部隊――いや、彼を頭領とする集団だけは、辛うじてその地獄を逃れていた。理由は彼自身にも完全には分からない。ただ、捕虜解放の際、なぜか彼だけがローゼンベルクから保証金を受け取っていた。それを元手に、細々とだが食いつなぐことができたのだ。


 面倒見の良い彼の人柄も相まって、「シモンスキのもとなら餓えない」という評判が広まり、人が集まった。人手が増えれば、生産も可能になる。荒れた農地を耕し、最低限の食料を自給できるようになった彼らは、もはやその地を自分たちの領地と呼んでも差し支えない状態にあった。


 略奪を狙う者は後を絶たなかったが、それに対抗できたのは、ローゼンベルクから物資を調達できたからだ。かつての敵との取引に複雑な思いを抱きつつも、カジミェシュは若者たちのために迷いを捨てた。


 なぜかローゼンベルク側は彼らに融通を利かせた。交渉役を務める、無害そうなパトリクの存在が功を奏したのかもしれない。その結果、彼らは餓えずに済み、村を守るだけの武装も整えられた。


 さらに、ローゼンベルクの物資輸送隊には医療従事者や護衛兵が同行し、数日滞在することもあった。関係は概ね良好だった。


 内戦という混沌の中で、カジミェシュの集落だけは、共和国で唯一、平穏を享受できる場所だった。


 ――大陸暦1272年10月15日までは。


 急報は突然もたらされた。


「大変です!ローゼンベルク軍です!」


 駆け込んできた若い部下の報告に、カジミェシュは首を傾げた。


「物資輸送隊じゃないのか?」


「違います、武装兵です!しかも大部隊!国境付近で戦闘が始まっているそうです!」


 その瞬間、カジミェシュの顔から血の気が引いた。


「まさか……この混乱に乗じて停戦を破ったのか?」


 停戦協定など、もはや誰も覚えていない。それでも、第四次ノッセル回廊会戦を機に、両国が互いに手出ししないと約した事実だけは残っている。


 理由は分からない。だが、これは間違いなく、共和国――いや、カジミェシュ自身にとって致命的な危機だった。


「シモンスキ大尉、どちらへ⁉」


「パトリクを呼び戻す!あいつはさっき、物資輸送隊の道案内で出たばかりだ!」


 あのひ弱な青年がローゼンベルク軍に見つかれば、ひとたまりもない。ブジェゴフカ後方基地で出会い、奇跡的に会戦を生き延び、この2年間を共にしてきた、弟子のような存在を見捨てられなかった。


 カジミェシュは集落に一頭だけいる貴重な馬にまたがり、ノッセル回廊へと駆け出した。


「無事でいろ、パトリク!」


 たった一人の二等兵を救うため、命を賭して走る男。だからこそ、彼を慕う者はとても多かった。


 軍と戦争に絶望した若年兵と難民たちがもし国を持つなら、その頭領に選ばれるのは、きっとカジミェシュだっただろう。


 歴史に名を遺すことなど思いもしない建築職人上がりで、煙草のために嫌々ながら軍人を続け、慕ってくる若者たちを見捨てられなかったお人好し。その苦労が報われたとは言い難い人生の歩みこそが、やがて彼を歴史の大舞台へと引きずり出す舞台装置となるのだが、この時の彼の頭にあるのは、ただ部下を助けることだけだった。

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