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第1章:大公からの使者⑦

 もっとも、この筋書きには、最初から“作家”が存在していた。


「貴方の読み通りになったわね、エルンスト。ヴィルヘルムは私たちの提案を即座に承諾してくれた。さすがは雷鳴王、といったところかしら」


 ヴィルヘルムとの対談を終えた瞬間、エリザーベトの声色は、先刻までの柔和な貴婦人のそれから、冷静で計算高い老練な政治家のものへと切り替わった。


「はい。ヴィルヘルム陛下は即断即決のお方です。国母様の威光も含め、ローゼンベルクにとっての利益と、その限界点を瞬時に計算されたのでしょう」


「さすがはファルケンヴァルト家の秀才ね。期待しているわ、エルンスト」


 対談の場でも背後に控えていたローゼンベルク外交担当主任――若き外交官エルンストは、エリザーベトから厚い信頼を寄せられる人物であった。


 それは単なる弁舌や交渉術によるものではない。相手国の意図と能力、そして将来の行動までを冷静に見通す慧眼こそが、彼の最大の武器であった。


 エルンストは、外交官を数多く輩出してきた名門ファルケンヴァルト侯爵家の嫡子であり、官僚・外交官養成機関である『国政公務学院』を主席で卒業した天才である。ちなみに、ヨーゼフ1世の融和政策の一環として、若き日のクロイツェルも同学院に留学しており、この学院が帝国政治の中枢を担う人材を生み出してきたことは広く知られていた。


 本国での研修と実務を終えたエルンストは、わずか20歳にしてボレニア駐在外交官に抜擢され、さらに対ローゼンベルク政策担当官という、年齢に不釣り合いな重責を担うこととなる。


 ローゼンベルクの急先鋒であるボレニアにおいて、情報収集と国力・軍事力の分析を行い、同国が帝国に対抗し得る勢力か否かを見極める――それが彼の任務であった。


 王位継承戦争に敗れた第一王子ルートヴィヒのボレニア侯国への亡命は、彼にとって転機となる出来事であった。


 駐在主席外交官である上司ファーレンバッハは、若く有能な部下に対する嫉妬と功名心から、この案件を本国に伏せ、単独で成果を挙げようと画策する。エルンストが再三にわたり報告を進言するも、彼はそれを妨害し続けた。


 しかし、事態は思惑通りには進まなかった。復讐心に燃えるボレニア侯爵ゲオルグは、グラウエンシュタインの介入を嫌悪し、外交官との会談を一切拒否。さらには、亡命してきたルートヴィヒとの接触すら許さなかったのである。


 それでもファーレンバッハは、今さら失策を報告することができず、事態を秘匿したまま解決を図ろうとして身動きが取れなくなった。


 その様子を冷静に見極めたエルンストは、彼を見限る。ローゼンベルク軍が首都ボヘリクへ迫る前に脱出し、一連の経緯を直接、本国――女主人エリザーベトへと報告したのである。


 時すでに遅く、グラウエンシュタインが介入する余地は失われていたが、この一件はエルンストの忠誠心と判断力を強く印象づける結果となった。


 そもそも彼は、対ローゼンベルク政策を分析する過程で、有力な対抗勢力と目されていたボレニア騎兵軍が、申告されているほどの兵力も継戦能力も持たないことを、当主ゲオルグ以上に正確に見抜いていた。


 その分析は事前に報告書として提出されていたものの、多くの外交文書の中に埋もれ、顧みられることはなかった。


 だが、ボレニア戦争において“最強騎兵軍団”が敗北した後、責任追及の過程でその報告書が再発見される。


 そこには、「ボレニア騎兵軍の敗北は濃厚。支援体制の見直しと、本国からの援軍要請の可能性高し」と明記されていた。


 これを知ったエリザーベトは、即座にエルンストの有能さを評価し、彼を最大の仮想敵国であるローゼンベルク担当主任へと抜擢したのである。


 その任に就いて以降も、エルンストは卓越した情報収集能力と分析力を発揮し、ローゼンベルク、そして雷鳴王ヴィルヘルム2世の本質を次のように見抜いた。


「ローゼンベルク――より正確には、ヴィルヘルム2世は、先王フリードリヒ2世が成し得なかった形での勢力拡大を志向しています。

 ただし、先王のようにグラウエンシュタインへ正面から挑むつもりはありません。彼が目指しているのは、我々に匹敵する国力を蓄えるための段階的な拡張です。

 国内改革と軍事力の行使はいずれも大胆ですが、決して無計画ではなく、自身の限界を把握したうえで実行されています。

 ゆえに、ボレニア戦争のような大義名分なしに帝国内で版図を広げることは困難だと、彼自身も理解しているはずです。

 ならば、その欲求を満たしつつ、我々が主導権を握る形で同盟を結び、実績を共有する場を設けるべきだと愚考します」


 この発想を起点として、グラウエンシュタイン=ローゼンベルク軍事同盟構想は形を成した。そして、エリザーベトがそれを採用した理由は、極めて現実的なものであった。


「王妃アーデルハイト様とヴィルヘルム陛下の婚姻関係を解消させるのは、もはや不可能でしょう。ザールマルクとの連携による利益、そして何より、最近の動向から察するに我々の婚姻政策に乗る余地はありません」


「加えて、マクシミリアン殿下が次代の帝国摂統となるためには、明確な実績が必要です。対外戦争による功績は、その最良の手段となり得ます。

 強力なローゼンベルク軍が友軍であれば勝算は高く、同時に彼らを帝国――すなわち我々の影響下に留めることも可能でしょう」


 理路整然とした分析に、エリザーベトのみならず重鎮たちもエルンストの非凡さを理解した。


 もちろん、この未来図が必ずしも現実になる保証はない。ローゼンベルクが暴走し、脅威となる可能性も否定はできなかった。だが、その点もまた、エルンストは織り込み済みであった。


「だからこそ、彼らの懐に入り、戦場で真の力を見極める必要があります。軍制、用兵、継戦能力、動員力――それらを把握できれば、将来の戦争に備える余地が生まれます。

 内戦中とはいえ、共和国は大国です。統治には時間と労力を要するでしょう。我々は共同統治者として利益を確保することに注力すればよいのです」


 それは、若者の空想ではなかった。


 現実に根ざした理論であり、説得力を備えた戦略であった。そしてグラウエンシュタインには、それを実行し得るだけの経験と蓄積があった。


 軍事の申し子がヴィルヘルムならば、次代の外交の寵児はエルンストである。そう確信させるだけの才覚が、この若き外交官には備わっていたのだ。


 誰も言葉を発しなかった。重鎮たちは書類に目を落とし、沈黙のまま評価を示す。エリザーベトだけが、わずかに視線を細め、若き外交官の才覚を確認した。その沈黙が、誰も口に出せない承認だった。




 そして後の世において、エルンストはその才覚と能力、数々の実績を高く評価され、『帝国宰相』の座に就くこととなる。


 もっとも、その『帝国』が何を意味するのか――その全貌を知る者は、この時点では誰一人としていなかった。

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