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第1章:大公からの使者④

 グラウエンシュタイン大公国の首都ノイ・ヴィーンは、“芸術の都”と称される都市である。絵画、音楽、工芸品──数多くの名作を生み出す一大拠点であり、芸術家も後世に名を残すだけの数を輩出していた。しかし、この都市が真に称賛される理由は、芸術家の数ではない。街並みそのものの美しさこそが、人々を惹きつけるのである。


 ある詩人はこう記している。


「石畳の大通りは長い歳月を記憶するかのように穏やかに光り、優美な建物の列を映していた。新古典主義の均整の取れた骨格に、金や白の装飾が旋律のように重なり、街は音楽なき交響曲として存在している。街路樹の影が石畳に揺れ、噴水と彫像は時を忘れた表情で街の中心を飾る。遠く望むオペラ座や美術館の輪郭は、現実でありながら夢の一部のように、街の奥行きを静かに深めている」


 この評価は決して大袈裟ではなく、ノイ・ヴィーンは当時の大陸において、間違いなく最も美しい都市の一つであった。生活水準は高く、道端にはゴミや放浪者の姿もなく、街並みそのものがまるで美術館の役割を果たしているかのようである。さらに夜景は、当時まだ珍しかったガス灯によって温かく照らされ、中心部の建物内にまで灯が届くことで、街全体が煌々と輝く眠らない都市となっていた。


 ローゼンベルク王国の王都ベルデンなど比べ物にならぬ繁栄ぶりであり、数十年前からの栄光を称えて「新たなる繁栄の街」を意味する現在の『ノイ・ヴィーン』に改名されたのである。


「芸術の都ね……」


 ジークハルトは退屈げに窓から夜景を眺め、感嘆とも呆れともつかぬ声を漏らした。


 街は最新設備を備え、他国では考えられない豪華さを誇るというのに、舞踏会は前時代的であった。貴族の装いは非機能的で、男性は長髪で高貴さを示し、女性は積み上げた髪飾りを皿の上の料理のように飾っている。先の政争で一掃された第一王子ルートヴィヒを思わせる出で立ちに、ジークハルトは少々困惑した。


「踊りもせず外を眺めてるとは、大した胆力だな、ジークハルト」


「アンタみたいに誰とも踊れない奴を、“壁のシミ”っていうのよ」


 窓辺で暇を持て余すジークハルトのもとに、若き国王ヴィルヘルムと、今日は軍服ではなく社交界用ドレス姿のシャルロッテが現れた。


「俺は踊りに来たんじゃねぇ。まともに踊ってるのはお前らくらいだ」


 ジークハルトの指摘は的確だった。賓客としてもてなされるヴィルヘルムは、舞踏会の事実上の主役である。全員の視線は、雷鳴王と呼ばれるローゼンベルク国王に注がれていた。体調を崩した王妃アーデルハイトに代わり、シャルロッテが付き添っている。二人は社交界から遠ざかっていた田舎者と見なされぬよう、華麗で優雅な舞を披露し、ローゼンベルクの威信を示していたのだ。


 だが、ジークハルトをはじめとする王国軍の将校団は、いつものように整った軍服に身を包み、ほとんどが踊らずに傍観している。その姿は「武骨で、ダンスもろくに踊れない野蛮人」と陰口を叩かれてもおかしくない。例外的にヘルマンだけが、貴婦人たちに囲まれて舞っていた。


「これも外交というやつだ。帝国会議に先んじて友誼を深め、人脈を築き、交渉を円滑に進めるために必要な場なのだ」


「舞踏会の意味を知りたいんじゃない。俺は“グラウエンシュタインと戦うため”にここまで来たんだ」


「声が大きいぞ、ジークハルト。この国では、もう少し上手く隠すべきだ」


 ジークハルトがヴィルヘルムに連れられグラウエンシュタインまで来たのは、ひとえに敵情偵察のためだった。任務は国境線から首都ノイ・ヴィーンまでの道中で、軍事上必要なあらゆる情報を収集すること。道路の幅、首都までの距離、軍事拠点の位置や数、水源や野営地の適否──すべてが対象だった。いつか来るかもしれない対グラウエンシュタイン戦争に備えていたのである。


 そのため、ヴィルヘルムに同行する将校団はほとんどが参謀本部所属の参謀で占められていた。結果として、レオンハルトのような猛将やブレンデルのような貴族司令官といった、場受けする華やかな人物はおらず、あまりにも武骨で堅実な面々が揃っていたのである。


 しかし、主催者側もそれを承知しており、逆にローゼンベルク軍の目的を探ろうとする情報戦も同時に繰り広げられていた。まさに社交界という名の戦場である。


「まったく…こういう戦いは好きじゃないんだって…」


 現場主義の武人であるジークハルトには酷かもしれないが、戦争はあらゆる場面から生まれ、その衝突は意外な場所で起きる。ここでの一幕が戦争の流れを変える可能性もあるのだ。


「ジーク、アンタ踊れないのね?だから不貞腐れてるのよ!」


「やんのか、シャルロッテ。俺だってヘルマン先生に教わったんだ。踊れらぁ!」


 煽られたジークハルトはシャルロッテとペアを組み、ヘルマンから教わったばかりの不器用なダンスを舞う。ジークハルトの激しい動きにシャルロッテは振り回されつつも、「張り切り過ぎ!」と注意する。彼らのダンスはグラウエンシュタインの社交界には新鮮に映ったらしく、この舞を「ローゼンベルクの炎舞」と称した。二人はそんなことを知る由もなく、互いにダンスの主導権争いに夢中だった。


 ヴィルヘルムは小さく呟く。


「そういうことではない…隠せと言っただろ、ジークハルト」


 こうして、帝国会議前夜は更けていった。

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