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第6章:生涯に意味があるとすれば⑤

 極端な人事といえば、帰国したヴィルヘルムが強行した大胆な人材登用は、他にも存在した。


「王妃アーデルハイトを、王国財務相へ任ずる」


 その告示は、周囲の者たちをあまりにも驚愕させた。


「陛下、王妃様はまだ王国へ迎えられたばかりです。それに、お体に差し障りがあってもなりません」


 真っ向から異を唱えたのは、王国宰相クロイツェルであった。彼は丁寧に整えた言葉の中に――


「彼女は部外者である」


「大臣を務めるには若すぎる」


「王妃に求められる役割は世継ぎを成すことだ」


 といった本音を巧妙に織り込み、ヴィルヘルムへと差し出したのである。


 その意図を読み取れないほど、ヴィルヘルムは察しの悪い王ではない。同時に、そのような反発が出ることも、初めから承知の上であった。ゆえに彼は、実に彼らしい理由で、その人事の意味を重鎮たちへ突きつけた。


「私には、飾り物の王妃は不要だ。有能か無能かが早々に分かれば、離縁もしやすかろう?」


 あまりにも冷徹な実力主義。その発想に、さすがの重鎮たちも肝を冷やした。


 王妃ですら“使える駒か否か”を見極めようとする姿勢に、雷鳴王の恐ろしさを改めて思い知らされたのである。頼もしさを感じる者がいる一方で、人としての情や慈悲の欠如に、底知れぬ恐怖を覚えた者も少なくなかった。


 しかし、その言葉を額面通りに受け取っている限り、ヴィルヘルムの真意に辿り着くことはできないだろう。


 現に、政治界の老獪である宰相クロイツェルと、かつて王の剣によって救われた経験を持つ軍務相アルブレヒトには、その意味が理解できていた。


 ――成果を出せば、誰も文句は言えまい。だから黙って見ていろ。


 要は、それだけの話である。


「我が妻、アーデルハイトよ。そなたはまず、その有能さを示さねば、この王国に居場所はない」


 もっとも、この言葉の半分は本心でもあった。王の庇護がなければ自らの立場すら築けぬ者を、ヴィルヘルムは必要としない。


 彼女を王妃に迎えたのは、同情ゆえではなく、ましてや打算だけによるものでもない。アーデルハイトが真にヴィルヘルムに必要とされるためには、何よりもまず――“実績”が求められていた。


「お任せください、陛下。必ずや、見事務め上げてご覧にいれましょう」


 深々と頭を下げるアーデルハイト。その姿は、宮廷にあってなお、女性の正装であるドレスをまとっていなかった。


 それこそが、彼女の覚悟と本気を、何より雄弁に物語っていた。


 元財務相を補佐に据えた状態で財務相に任命されたアーデルハイトが、まず最初に取り組んだのは支出整理であり、驚くべきことにその第一歩は“軍隊”であった。ローゼンベルクでは軍隊の財政や支出に手を出すことは不文律の禁忌とされていたが、アーデルハイトはその強固な反対意見を以下のように論破した。


「最も重要で予算を割いているからこそ、見直せるものも多いのです。ローゼンベルクにとって軍が国家政策の基幹であることは理解していますし、事実、我らが雷鳴王はその軍隊を用いて大事を成し遂げました。だからこそ、その軍隊の予算を真剣に見直さなければなりません。伝統や慣例に浸っていては駄目です」


 彼女はまず徴兵制の見直しに着手した。問題視したのは、徴兵によって軍に召集された若者という貴重な労働力が長期間、産業界から引き抜かれる点であった。ローゼンベルクでは15~20歳の男子に3年間の徴兵義務があり、この間は軍に完全に所属するため、平時・戦時を問わず産業に従事できないというデメリットがあった。


 アーデルハイトは徴兵制自体は維持しつつ、家業や産業に復帰できる期間を設けることや、工業など特定分野に従事する者の兵役期間を短縮することで、熟練職人や専門家を温存し、同時に民衆の関心を集めて力を入れたい産業に人員を集める政策を提案した。軍務相アルブレヒトも大部分を前向きに検討し、徴兵や予備役の体制見直しを進めた。


 さらにアーデルハイトは、徴兵で兵員を増強するよりも常備兵を拡充すべきと主張した。従来、常備兵の維持費が高いため躊躇されていたが、彼女は自領ザールマルクの事例を示し論理的に説明した。ザールマルクでは工業重視のため、労働力を徴兵で引き抜くのは望ましくなく、志願兵の常備軍の質を向上させることで効率的かつ結果的に低コストに戦力を維持していた。ヴィルヘルムが鍛え上げた中央軍も常備兵で構成され、量より質で戦争に勝利してきたことから、彼女の提案は王の施策に反するものではなかった。戦時には徴兵による一時召集で補えば十分である。


 アーデルハイトは、ヴィルヘルムが必要とする軍の姿を考慮しつつ、それを効率的に達成する展望を示した。支出の見直しだけでなく、増やす施策にも注力した。例えば、ローゼンベルク軍がドライゼン小銃に装備更新した際、余った旧式グラン弾長銃を予備や徴兵に使うのではなく、内戦中のカルノヴァ=ストリェッツ共和国に売却することを提案した。


「共和国のどちらに売りつけるのか?」


 ヴィルヘルムの問いに、アーデルハイトはきっぱり答えた。


「どちらにでもです。武器が人を選ばないように、戦う人間も武器を選ぶ余裕はありません。たとえかつて敵対していた王国のものでも」


 旧式装備の売却で資金を調達するだけでなく、弾薬などの軍需品需要を生み、激化する内戦により共和国の脅威をローゼンベルクに向けさせる余裕を奪うという冷徹な戦略でもあった。さらに、旧式装備を新式に更新することで軍の標準化が進み、兵站上の負荷も軽減されるため、効率的な体制を構築できた。


 軍以外の財政政策にも積極的だった。経済学を学んだアーデルハイトは“専門分業”の概念を提案した。それぞれが得意分野に集中し効率的に生産することで経済を活性化するという考え方である。従来も貿易で得意分野の取引はあったが、国家としては自国だけでも生存可能な状態を維持する必要がある。工業が得意でも食料生産は必要であり、軍事が重要でも他分野をおざなりにしてはならない。


 アーデルハイトはローゼンベルク・ザールマルク・ボレニアの広域経済圏で、各国が得意分野に注力する構想を打ち出した。この3か国は統一された意思決定の下に一体化しており、国防や自活のため不得意分野に資源を割く必要はなく、領域内資源を効率的に利用できる。ザールマルクは工業化先進地域として機能させ、経済的魅力を高めた。


 さらに、領域内で産業を分担し自活可能な状態が整った後は、関税で自国産業を保護し発展を促すことも提案した。短期的には“自国のみの一人勝ち”に見えるが、長期的には経済圏の魅力を高め、他国や勢力が参加することでローゼンベルク経済圏はより強力な影響力を持つことになる。


 アーデルハイトの財政改革は、何もない荒野から生まれたわけではなかった。摂政として改革を進めていたヴィルヘルムの施策が追い風となり、彼女はその素地を存分に活用して、豊富な原資を効率的に使った。


 戸籍制度に基づく税収改革は順調に進み、国営工場や国営農場の実績も、そのまま政策に活かすことができた。さらに、財政を貴族を介さず国家が一元管理する体制が整っていたため、余計な雑務に悩まされることもなかった。アーデルハイトは、これらの“材料”をただ加工することに専念できたのである。そして、その状況を築き上げたヴィルヘルムの手腕を、改めて実感することになった。


 アーデルハイトは支出改革と財政政策を各省庁に提案し続けた。理論をすぐに受け入れる者は少なかったが、ヴィルヘルムの静かな圧力により、部分的に実行されるに至った。これは王が支援したのではなく、改革に慎重で現状維持を望む者を許さなかった結果である。ローゼンベルクは、まだ強権による改革を推し進める段階にあったと言える。


 ヴィルヘルムもすべてがうまくいくとは考えていなかった。成功するものも失敗するものもあるが、重要なのは挑戦し実行することである。失敗しても、それは得られたデータとして次に活かせる。致命的でなければ受け入れ、手痛い場合はさらに真剣に向き合えばよい。成功は行動した者にしか訪れない。


 アーデルハイトの改革はすぐには結果を出さなかったが、歴史はすでにその答えを知っていた。彼女は後に『帝国経済の母』と呼ばれる存在となるのである。

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