第6章:生涯に意味があるとすれば①
「見事な戦果だ、ブラント元帥。貴卿のおかげでボレニア騎兵軍はほぼ壊滅し、戦闘力も抵抗力も失った」
「ありがたきお言葉。しかし、実際に血を流して戦ったのは兵士たちです。賞賛は彼らにこそ向けられるべきでしょう」
ヴィルヘルムとレオンハルトは、占領下に置かれたボレニア侯国の首都ボヘリク――侯爵の居城にて再会を果たした。
グラドロッサの戦いでボレニア騎兵軍の主力を撃破した後、部隊再編を終え次第追撃を開始。その途上で発生した小規模な戦闘にも連戦連勝し、ついにはジークハルトらが封鎖していたグロース・ティーファ大橋へ到達、ヴィルヘルム軍との合流を果たしたのである。
初めて顔を合わせたジークハルトに対し、レオンハルトはその頭を乱暴に撫で回しながら言った。
「陛下のところの若造だな!よくぞここまで持ちこたえた!」
戦闘の激しさを雄弁に物語る橋の惨状を前に、どれほど苛烈な戦いを耐え抜いたのかを察し、惜しみない称賛を送ったのだった。
「ボレニア侯爵とは会ったか?私の担当戦線では姿を見なかったのだが」
「ああ……それがですな……」
レオンハルトは気まずそうに、事の顛末を語り始めた。
グロース・ティーファ大橋でジークハルトに阻まれ、ついにレオンハルト軍に追いつかれたゲオルグは、一矢報いんと人生最後の騎兵突撃を敢行した。かつて若き日にレオンハルトと刃を交えた、あの頃の栄光を夢見るかのように。
しかし現実は無慈悲だった。彼の英雄譚を受け止める余地など、戦場には残されていなかった。
策もなく突進したゲオルグの騎兵隊は、再びレオンハルト指揮下の方陣に阻まれ、特別扱いされることもなく殲滅された。ゲオルグは名もなき一兵士として銃弾に倒れたのである。
戦闘終結後、投降したボレニア騎兵から当主ゲオルグの戦死を聞かされたレオンハルトは、その遺体を探し出すのに苦労した。それほどまでに彼は、無数の屍の中に埋もれた一人の騎兵に過ぎなかった。
「捕縛できず、面目次第もございません」
「構わぬ。いずれ排除せねばならぬ男だった。どこで死のうと大差はない」
ヴィルヘルムは本心から、ゲオルグの最期など歯牙にもかけていなかった。生き延びて再起を図られるより、確実に死んだと分かる方が都合が良かったのだ。
「さて、話を戦後に移そう。私は引き続き、貴卿に元帥として軍を預けたい。今回の件で、軍の再編が不可欠だと痛感した。そのためにも――」
「陛下、よろしいですかな」
ヴィルヘルムの言葉を遮り、レオンハルトは重々しい表情で切り出した。
「儂は、軍を退こうと考えております」
「……理由を聞いてもよいか?老いたか、臆したか、それとも満たされたか」
意外そうに問い返しつつ、考え得る理由を並べるヴィルヘルムに、レオンハルトはくしゃりと笑った。
「そのすべてですな」
「儂は四半世紀以上戦場に身を置き、数多の戦勲を得てきました。しかし、それ以上に――誤魔化しきれぬほど多くの兵を死なせてきた」
特に今回のグラドロッサの戦いを指しているのだと、ヴィルヘルムは直感した。
2万5千
一つの戦いで、レオンハルトが失った兵の数である。
動員数15万という規模から見れば、少なく映るかもしれない。だが全軍の六分の一が戦死したと聞けば、その重さは明らかだ。なによりレオンハルトは、現地でその惨状を直に見ている。決して軽い代償ではなかった。
「だが、その犠牲と献身、勇気によって一国を滅ぼした。無能な指揮官の下で泥沼の戦いを続けていれば、さらに多くの命が失われていたはずだ。貴卿に落ち度はない。責を負うべきは、国王である私だ」
その言葉は、レオンハルトの胸を軽くした。同時に、ヴィルヘルムという男こそが理想の君主であり、だからこそ自分の時代は終わったのだという確信が、より深く彼の中に根を下ろした。
「そこまで言っていただけるとは……このレオンハルト、戦った甲斐がありましたな!」
ガハハ、と豪快に笑いながらも、彼は続けた。
「これからは、陛下の時代です。儂を頼っていただけたのは、望外の名誉でした」
「では予備役として軍籍を残し、政界に来るのはどうだ?旧ボレニア領の統治など、任せたい役目は山ほどある」
「それも遠慮いたしましょう。儂には政治の才はありません」
「しかし、貴卿ほどの男を野に放つのは国の損失だ。何らかの形で、まだ奉仕してもらいたいのだが」
「それでしたら……陛下。儂にも、やりたいことが見つかりました」
目を輝かせるレオンハルトに、ヴィルヘルムは続きを促した。英雄が口にする願いとは何か――一国の支配か、新たな栄誉か。だがその予想は、あっさりと裏切られた。
「教育者になりたいのです、陛下!」
あまりにも慎ましく、それでいて真摯な夢だった。
「教育者?士官学校ではなく、普通の学校の、か?」
「左様です。陛下の治世では、すべての子供が通える学校を作ると聞きました。これからはその道で、最後の御奉仕をしたいのです」
「意外だな。貴卿は子供好きだったか?」
「未来ある若者は皆、好きでございます。これまでは命を奪うことばかりしてきた儂が、これからは育てる側に回りたいのです!」
猛将と呼ばれた男には不釣り合いで、不器用で、しかし何よりも美しい願いだった。
「……ふふ、よかろう。ではブラント元帥には、教師として王国に仕えてもらおう」
「“元”ですぞ、陛下!」
「気が早いな、ブラント元帥」
そうして二人は冗談を交わし、別れた。
「最近、孫が生まれましてな。『じいちゃんは最後、勝ち戦で終わった』と自慢するのが、老後の楽しみなのです」
「まさか……それが本音ではあるまいな?」
かくして、歴戦の猛将にしてボレニア戦争の英雄、レオンハルトは、豪快で苛烈な軍人としての人生に幕を下ろした。
レオンハルトは、自身の所領にある屋敷を学校として開放し、『ブラント国民学校』と名付けた。
貴族制を廃したヴィルヘルムは、旧貴族たちが抱く「家名を守りたい」という名誉心に配慮し、恭順を示した貴族の名を学校や病院、基地などの公共施設に冠した。国家に尽くす限り、その名は民草の生活の中で生き続ける――それが彼なりの、貴族の永遠性を担保する方法であった。
その学校におけるレオンハルトは、かつて軍人であったことを誇ることもなく、子供たちからは親しみを込めて「髭親父」と呼ばれていた。
ブラント国民学校では、孤児や身寄りのない子供たちを積極的に受け入れ、生まれの定かでない彼らに「ブラント」の姓を惜しみなく与えた。数年、十数年の後、ここからブラントの名を持つ若者たちが巣立ち、各地で活躍していくことになる。
またレオンハルトは、貴族制廃止に反発心を抱く者や、ヴィルヘルムの治世の下では軍人として生きることをためらった旧貴族階級の部下たちを、積極的に教員として迎え入れた。
彼らは貴族として高度な教育と礼節を叩き込まれており、教育者という道は決して不向きではなかった。彼らが教師として子供たちの模範となったことで、学力のみならず、貴族社会に由来する礼節や作法もまた一般市民へと浸透していく。こうしてヴィルヘルムの治世下では、平民の教育水準の向上に加え、社会全体の文化的成熟も見られるようになった。
それは振る舞いであり、言葉遣いであり、生活様式にまで及んだ。レオンハルトの功績は、軍人としてのみならず、教育者としても国家に寄与するものだったのである。
そして、軍人としても貴族としても制度上の頂点に立った男が、このような生き方を選んだことにより、潜在的な不満を抱いていた旧貴族たちは、もはや異議を唱える拠り所を失った。
あるいはレオンハルトは、自身が元帥として功績を重ね、国王と並び立つ存在となった時点で、反王権勢力の象徴として担ぎ上げられる未来を予見していたのかもしれない。
ローゼンベルクでは、退役後も予備役軍人として戦時に召集される制度が存在する。しかしレオンハルトは、ボレニア戦争の功績に対する褒賞として、その予備役の身分すら返上し、ただの“レオンハルト・ブラント”となった。
それは軍事に関わらないという明確な意思表示であり、不平貴族や反乱勢力の拠り所にはならないという、静かな宣言でもあったのだろう。
だが彼は、その真意を語ることなく、以後の生涯を穏やかに過ごした。




