第4章:論理と野心の交差点②
「なあ、これから行く“ザールマルク”っていうのは、どういう国なんだ?」
西部国境線を越えたヴィルヘルム一行は、貿易都市キルベックを目指して進軍していた。国王ヴィルヘルムと共に専用馬車に乗り合わせていたジークハルトは、馴染みの薄い国について疑問を口にする。
彼はローゼンベルク王国東部の出身で、王都以外の土地を訪れた経験がほとんどなく、これから向かうザールマルクについてはまったく知識がなかった。
「ザールマルクとは、ボレニア侯国と貿易都市キルベック勢力圏の間に位置する伯爵領だ、フォルラート大尉」
同乗していたヘルマンが答える。
「伯爵領って、国なんです?貴族の私領ってわけじゃなくて?」
「国家とは、人間の政治的共同体の総称です。我らローゼンベルク王国のように王を戴く国もあれば、貴族が盟主となる国家もある。また、貴官が奮戦なさった共和国のように、平民と貴族が共同で統治する政体もございます」
口を開いたのはヘルマンでもヴィルヘルムでもなく、宰相クロイツェルだった。
「そして、今向かっているキルベックは国を名乗ってはいませんが、経済力と勢力圏は一国に匹敵する。実質的には国家と呼んで差し支えない存在です」
「ああ……どうも」
やや面食らいながら、ジークハルトは曖昧に相槌を打った。
「なあ、なんでこの爺さんまで一緒なんだよ」
ジークハルトは隣のヴィルヘルムに小声で尋ねる。
「この人、一応、王国じゃお前の次に偉いんだろ?」
国王と宰相が揃って国を留守にするのは異例だが、それには理由があった。
「簡単な話だ。我々の中で、ザールマルク伯爵と直接の繋がりを持つのがクロイツェルしかおらん」
「その通りでございます」
クロイツェルは頷いた。
「グラウエンシュタイン継承戦争以降、我が王国は他国と事実上、国交を断絶しております。外務省にも、今や他国と個人的なパイプを持つ者がいないのです」
実際、ローゼンベルク王国は同戦争を境に正統ルガルディア帝国圏から完全に孤立し、外交と呼べる機能の大半を失っていた。形式上存在する外務省も、この20年は共和国との最低限の折衝を行うのみである。
先々代から官僚として国政に携わり、先代フリードリヒ2世の治世では宰相として政務の舵を取ってきたクロイツェルは、現存する政治家の中で唯一、ザールマルク伯と面識を持つ人物だった。
「で、そのザールマルクって国が、なんで今さら“同盟”なんだ?」
今回の遠征の主目的ではあるが、ジークハルトにとって最も腑に落ちない点でもあった。
「ザールマルクは大国ボレニア侯国と国境を接している」
ヘルマンが軍事的観点から説明する。
「だが、そのボレニアこそが、彼らにとって最大の安全保障上の脅威だ」
ザールマルクは、資源豊富なボレニアと交易都市キルベックの中間に位置する。地理的条件を活かし、原材料をボレニアから輸入し、加工品をキルベックへ輸出することで工業化を進めてきた。
決して肥沃でも広大でもない土地ながら、国家として生存できているのはそのためである。
しかし同時に、それはボレニアにとって目障りであり、魅力的な獲物でもあった。
「ボレニアがザールマルクを併合すれば、キルベックと直接繋がることができ、関税も不要になる。さらに産業価値の高い工業地帯も手に入る」
ヘルマンは淡々と続ける。
「ザールマルクは小国だ。一国だけで万全な国防体制を築くのは難しい。だからこそ他国と連携し、外敵に備えようとするのは自然な判断だ」
グラウエンシュタイン継承戦争以降、帝国内の火種は沈静化していた。だが、ルートヴィヒ王子亡命事件を契機に、ボレニアとローゼンベルクが衝突する可能性が浮上する。
その余波は、決してザールマルクにとって他人事ではなかった。
「何も突飛な話ではございません」
クロイツェルが補足する。
「かつての継承戦争では、我が国とザールマルクは友好国として共に戦いました。戦略的にも、相性の悪い相手ではないのです」
老練な軍事と政治の解説を聞きながら、ジークハルトは国家という存在の論理を噛みしめていた。
これまで彼が知っていたのは、戦場という局地的な繋がりだけであり、政治の世界に本格的に触れるのはこれが初めてだった。
「ザールマルクが頼りたいのは分かった。でも、それって俺たちに得はあるのか?代わりにボレニアと戦えって話だろ?」
「実益はある」
ヴィルヘルムが即答する。
「お前が使っているドライゼン小銃も、ザールマルク製だ」
軍制改革によって新式小銃の需要が急増したが、国内工廠だけでは供給が追いつかず、一部製造をザールマルクに委託していた。
「ザールマルクは工業化が進んでいる。我々も育成には力を入れているが、すぐに追いつけるものではない。彼らの生産力を味方につける価値は大きい」
「でもさ」
ジークハルトは率直に口にした。
「お前、そこのお姫様と結婚するんだろ?それって損得、釣り合ってるのか?」
一瞬、車内の空気が凍り付いた。
しかし、その問いが本質を突いていることは、すぐに全員が理解した。
「フォルラート大尉殿」
クロイツェルが静かに告げる。
「これは政略結婚、あるいは婚姻外交と呼ばれるものです。国家の論理であり、同時に人間の感情に基づいた手段でもあります。――“婚姻関係にある国を、見捨てるわけにはいかない”。そう思わせるためのものです」
「結婚って、そういうもんか?」
ジークハルトは首を傾げた。彼の知る結婚は、もっと素朴で、打算とは無縁のものだった。
「国際社会では珍しくありません」
クロイツェルは続ける。
「かつて小領主に過ぎなかったグラウエンシュタインが大国となったのも、婚姻によって血縁と同盟を広げた結果です。その繋がりが、今日の外交的優位を生んでいるのです」
そして、今回においてより現実的な理由にも触れた。
「おそらくザールマルク伯は、ご令嬢を陛下に嫁がせることで、領地の安全を確約してもらう腹積もりでしょう」
勢力拡大は、必ずしも戦争によってのみ成し遂げられるものではない。
政略結婚という穏健な手段で達成できるなら、それもまた有効な選択肢である。
ヴィルヘルムは、その冷徹な計算ができる君主だった。
――だからこそ、彼の胸中は決して穏やかではなかったのである。




