第4章:論理と野心の交差点①
今一度、ローゼンベルク王国の地理関係を整理しよう。
ローゼンベルク王国はルガルディア大陸の中央に位置する国家で、北は海に面し、他の三方は隣国と接している。
東側には、かつて18年間戦争を続けたカルノヴァ=ストリェッツ共和国がある。国境線は長大だが、戦闘は交通の要衝であるノッセル回廊に限定されており、全域が戦場となったわけではない。また、この国境線は正統ルガルディア帝国と周辺国との境界としても機能していた。
北側には『北中海』が広がる。この海はさらに北の陸地に挟まれた内海に近い形状をしており、沿岸部では航路を利用した海上貿易が盛んであった。しかし、ローゼンベルク王国の北沿岸は山岳地帯に阻まれ、主要港を持たないため経済的には不利である。一方で、この山岳は天然の防壁となり、国家成立以前から海からの侵入者を防いできた。
西には、キルベックと呼ばれる貿易都市の勢力圏がある。正確には国家ではないが、大陸公路や複数の大河、そしてローゼンベルクにない港を押さえる物流の交差点として、経済力と連携により事実上国家に匹敵する勢力を築いていた。彼らは経済的利益を享受することに専念し、軍事行動という非経済的な国家事業には関心がなかった。それでも勢力が存続できたのは、交通の要衝という地理的条件と、周辺国の軍隊が無許可で通過することを事実上認める巧みな駆け引きによるものである。つまり、キルベックは「誰の邪魔もしないが、害を及ぼせば周辺国の軍隊を招き入れることも辞さない」という商人らしい戦略で国際社会を渡り歩いてきた。したがって、ローゼンベルクも彼らを表面上は敵対国と見なさず、西部国境の防衛は中央軍隷下の警備隊だけで十分であった。
問題となるのは南側である。南部国境は広くグラウエンシュタイン大公国に接しており、ローゼンベルクが国土を拡大する上で最も衝突しやすい仮想敵国であった。さらに厄介なのは、南西部がボレニア侯国と隣接していることである。
ボレニア侯国は、グラウエンシュタインの支援を受け、歴史上ローゼンベルク軍と最も衝突してきた宿敵であり、“対ローゼンベルクの急先鋒”として重用されてきた。ローゼンベルクに次ぐ広大な国土を有し、肥沃な土地や鉱物資源にも恵まれていることから、国力はローゼンベルクに匹敵すると見なされ、帝国内では大国と呼ぶにふさわしい。
ローゼンベルクがボレニアを警戒する理由は国力だけではない。20年以上前の『グラウエンシュタイン継承戦争』でローゼンベルク軍はボレニア軍に勝利し領土を奪った。この雪辱を果たそうと、ボレニアは虎視眈々と復讐の機会を窺っている。故に、ローゼンベルクに戦争を仕掛ける可能性があるとすれば、慎重な外交を行うグラウエンシュタインより、復讐心に駆られたボレニアである。
この状況を踏まえ、ローゼンベルク王国第一王子ルートヴィヒは、側近マティアスの進言に従い、ボレニア侯爵ゲオルグのもとに亡命した。
「ボレニア侯爵、助けてくださって感謝します。もし貴侯の助けがなければ、私は忌 まわしき弟に捕まっていたでしょう」
「いいえ、ルートヴィヒ殿は私どもにとっても歓迎すべき賓客でございます」
ルートヴィヒと握手を交わすボレニア侯ゲオルグは、40代半ばの丸顔の男で、細めた目にはどこか愛嬌があった。しかし、その糸目の奥には鋭い眼光が潜み、静かに相手の懐を探るかのようだった。外見の愛嬌に惑わされれば痛い目に遭う——ただの善良な君主ではないことは、一目で理解できた。
さらに彼は、王族であるルートヴィヒを“殿下”とは呼ばなかった。ゲオルグにとってルートヴィヒは宿国の王子であり、そもそも“王国”を名乗ること自体が帝国内でも否定的な意見が根強い存在だった。一応、ローゼンベルクが“公爵”位の貴族であることは認めているものの、自身の爵位より上の貴族として扱われることは面白くないと感じていた。
だが、ルートヴィヒは政治的な駆け引きには無頓着で、助けられた立場であることも理解していた。また、ボレニアがローゼンベルクの宿敵であるという認識も乏しかったため、ゲオルグに対して不満を抱くことはなかった。
「それで、ボレニア侯。軍を出していただけますか?」
「もちろんです。今は休耕期ですので、兵士の招集に支障はありません。精鋭のボレニア騎兵軍5万をすぐに動員できます」
「5万!いや、心強い!」
素直に賞賛するルートヴィヒを見つめながら、ゲオルグは心の中で「この若造、その本当の凄さをまだ理解していないな」と悪態をついた。5万の騎兵がいかに強大か、軍事に疎いルートヴィヒには想像もつかない。ローゼンベルク軍ですら、王国中の騎兵をかき集めても精々2万に過ぎないのだ。それをボレニアは倍の兵力で動員できるのである。
不満もあったが、それ以上に、ルートヴィヒの無知を受け入れてでも得られる利点は大きかった。
「ルートヴィヒ殿、あの約束の件ですが…」
「ああ、私が王位に就いた暁には、かつての戦争で貴国から奪った領土を返すだけでなく、ローゼンベルクの国土の三分の一も割譲すると約束しよう」
ルートヴィヒは、またしても自らの言葉が持つ重大さを理解していなかった。
王位と引き換えに、自国領土の三分の一を割譲する――返還予定地を含めれば、実に国土の四割に及ぶという意味を、彼は正しく認識していなかったのである。
だが、その無頓着さと無知こそが、ゲオルグにとっては好都合だった。
だからこそ、多少の無礼も目をつぶる価値があったのだ。
「いいえ、ルートヴィヒ殿の正統な王位のためです。このゲオルグ、誠心誠意お仕えいたします」
ルートヴィヒを賓客としてもてなすパーティーの最中、ゲオルグは将軍たちを集め、執念と野心をあらわにさせた。
「20年前の雪辱、果たさせてもらおう」
額の古傷に触れながら、復讐に燃える眼光を瞼の奥に潜めるゲオルグ。その冷徹さは、笑顔の奥に隠された真の姿を物語っていた。




