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第3章:雷鳴王の戴冠②

「不肖、このクロイツェル。御身に忠誠を尽くさせて頂きたいと存じます」


 戴冠式の翌日、ヴィルヘルムが君臨する玉座の前には長蛇の列ができていた。列に並ぶ者たちは、ヴィルヘルムに面会し、彼の治世における役職に就く意志を示すために訪れた者たちである。


「ふむ、クロイツェルには“王国宰相”の任を与えよう」


 ヴィルヘルムは、申し出に応じて適した役職を与えた。宣言通り、彼は以前の役職をすべて白紙としたが、実際には多くの者が続投という形で地位を維持できるよう保証されていた。


 貴族制の全面廃止——確かに衝撃的な改革である。しかし実行は容易ではない。ヴィルヘルムが権力を掌握し、実際に改革を断行したのはまだ1年と少しの期間であり、その間、新興階層は国政に携わる水準には達していなかった。国家運営には高い教育と行政経験を持つ人材が不可欠であり、その多くは旧貴族階級であったため、必然的に彼らに頼らざるを得なかった。


 それでもヴィルヘルムは即位と同時に貴族制廃止を通達した。理由は明快である——新興階級が完成するのを待つよりも、新たな君主を迎える国家が脱皮した直後に断行する方が、結果的に最適であると考えたのだ。


 重要なのは、旧貴族階級に貴族の地位を捨てさせつつ、ヴィルヘルムに従う動機と補償を与えることである。


 第一に、家名の存続を許した。貴族の称号『フォン』を引き続き名乗ることを認め、多くはそれを名誉として維持した。


 第二に、役職と地位の補償である。貴族制廃止により所領からの税収などの特権や利権は失われるが、ヴィルヘルムは当面の人材確保と連動して、従来と同じ役職と地位を与え、『役職手当』として給与を上乗せした。額面上は大きいが、王国管理下で行われるため汚職や中抜きの防止にも繋がる、合理的な措置であった。


 第三に、財産の存続方法である。旧貴族の屋敷や所領は一旦王国に返上されるが、忠誠を誓った者には「職務遂行のための使用を許可する」という形で生活や財産を維持させた。例としてシャルロッテの生家であるアイゼンドルフ家は、『王国軍砲術学校本部』として使用され、父は職務のために屋敷を利用でき、そこで家族と使用人たちとの暮らしを継続できた。築いた富や大砲などの財産も職務遂行の予算や道具として存続したのである。


 もっとも、これらはあくまで暫定措置であり、永久保証ではない。これを恒久化すれば、名を変えただけの“貴族制”に他ならない。ヴィルヘルムは、今生きる者に当面の生活と名誉を保証するだけで、次世代は自らの手で名誉を勝ち取るべきだと考えたのである。


 加えて、ヴィルヘルムの元へ来る者の多くは事前にその方針を知らされ、了承の上で地位を約束されていた。権限付与は円滑に進み、公衆の前でその光景を見せることで、王国民に政策の正当性と重臣たちの賛同を示す効果もあった。


「貴様も来てくれたか、アルブレヒト」


 中央軍副司令官アルブレヒトが姿を見せる。


「はっ!小官も微力ながら国王陛下に尽くさせて頂きたく、参上仕りました!」


 彼の顔色は良く、生気に満ちていた。かつて家名の重さに潰れかけていた男であり、貴族制が生んだ犠牲者でもある。


 貴族制の廃止は、損失ばかりを生むものではなかった。貴族には、その地位にふさわしい責務が伴う。功績によって名誉を手にした者もいれば、安穏に甘んじる者もいた。しかし同時に、家名を守るために身を捧げる者も存在した。ソフィアが家名を守るために大学を辞め軍人となったことも、アルブレヒトが祖先の業に苦しみながら地位を手放せなかったことも、それを示している。そして貴族制の廃止によって、かつての乙女近衛隊の悲劇も、制度上で将来にわたり防ぐことが可能になったのだ。


「その姿を見て私も安心した。貴様にも是非、私の治世を支えてもらいたい」


「もったいなきお言葉にございます!引き続き、陛下の軍を守ることが出来ればこれ以上の喜びはありません!」


「だが申し訳ない。貴様には中央軍副司令官の席は与えられぬ、アルブレヒト」


 一瞬、アルブレヒトは言葉に詰まった。しかし意を決し、「どのようなお役目でも果たしてみせます!」と続けた。これまで家名ゆえの地位に甘んじていた彼にとって、これまで通りにはならないことは、心の奥で覚悟していたのである。


「貴様には“王国軍務大臣”の任を言い渡す。以降は軍を守るのではなく、軍を創るのだ」


 しかし、ヴィルヘルムが彼に与えたのは、予想を超えるさらなる栄達であった。


「…は?小官が軍務相、でございますか?」


「不足だったか?では宮廷事務総長も兼任させようか」


「い、いえ、結構でございます。不肖、このアルブレヒト・アルテンブルク、謹んで軍務大臣の地位を拝命いたします」


 アルブレヒトは内心で困惑と感謝を抱いた。これまで血筋でのみ評価されてきた人生において、能力と適性にふさわしい地位を与えられることの幸福を、彼ほど痛感した者はいなかった。




 しかし、軍は決して盤石ではなかった。軍の将校や指揮官は貴族出身者が多く、政界に蔓延る名目貴族ではなく、現場で責務を果たす自負を抱く者も少なくない。そんな彼らから貴族位を剥奪することは、無血では成し遂げられないと予想されていた。


 そこで、ヴィルヘルムは先手を打った。王国軍で名誉と実績に比肩する者のいない絶対的名将、レオンハルト・フォン・ブラントに王国軍最高位の『元帥』を与えたのだ。彼自身もこれを快く承諾し、先陣を切って名前から『フォン』を取り除く行動を示した。戦場での実績によって貴族ならびに軍人の最高位に登りつめた生ける実例であるレオンハルトの姿は、部下たちに理想の軍人像として映った。彼の判断に否を唱えられる者は、実力で及ばぬことを知っていた。


 加えて、俗物貴族の代名詞とされたブレンデルもヴィルヘルムに恭順を示した。公爵家という絶大な地位にあったアルブレヒトも、軍務相としてヴィルヘルムの後任に任命された。第四次ノッセル回廊会戦で勝利を導いた名参謀ヘルマンは、もともとヴィルヘルムの重臣であった。反対する司令官や高級将校たちは軒並み粛清された。


 軍のトップが全てヴィルヘルムに肯定的な姿勢を見せる以上、下位の軍人たちが反旗を翻すことは叶わなかった。仮に造反を企てても、戦うのは平民出身の兵士たちであり、彼らはヴィルヘルムの貴族制廃止と平民に対する寛大な政策を好意的に受け止めていたため、現実的に戦線を維持することは困難だったのである。


 貴族軍人たちへの処遇は厳しいものであったかもしれない。父祖の功績により得た名誉を、新たな王が取り上げたのだから。しかし、演説でヴィルヘルムが述べた通り、真に実力ある者は家名ではなく、自身の能力と実績で身を立てることができる。名前を失っても、力ある者は階級の階段を駆け上がり、無能者は淘汰される。これにより、改革は必然的に絶対的な評価を得ることになる。


 この姿勢はローゼンベルク建国以来の原点に立ち返るものであり、国家の成長過程で生まれた制度や名目上の煩わしさは、ただの贅肉に過ぎなかった。ヴィルヘルムの一連の改革は、まさにローゼンベルクの原点回帰として『雷鳴王の回帰改革』と呼ばれたのである。

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