第3章:雷鳴王の戴冠①
大陸暦1272年1月1日。新年の始まりと時を同じくして、この日、新たなローゼンベルク国王の戴冠式が挙行された。
この日が一年の初日と定められているのは、大陸暦制定の基準となった始祖ルガルドの生誕日が、この日であると伝えられているためである。新年を祝う祭日であり、同時にルガルディア大陸にとって最も神聖にして特別な一日――その日に、世界は新たな偉大なる君主を得た。
名をヴィルヘルム・フォン・ローゼンベルク。
彼は国王ヴィルヘルム2世として、ローゼンベルク王国第4代国王の座に就いた。
王宮にて粛々と戴冠の儀を終えたヴィルヘルムは、その足で王城を下り、王都ベルデン中央広場へと向かった。そこで行われたのは、新国王のお披露目、そしてこれからの治世に向けた初心を示す『即位の辞』である。
そして彼は、その冒頭において、王国史上もっとも衝撃的な宣言を放ったと、後世の歴史書は記している。
「本日をもって――貴族制を全面廃止する」
前へと進み出たヴィルヘルムは、青年らしからぬ、しかし誰よりも王にふさわしい声でそう告げた。
広場を包むざわめきが、波紋のように広がっていく。その中で、彼は一切ためらうことなく言葉を続けた。
以下は、そのときの様子と演説の記録である。
「我らが建国者ヴィルヘルム1世は、志と能力によって国を打ち立てた。ルートヴィヒ1世は献身者を叙勲し、カール1世は強き貴族を支えとして、この王国を栄光へと導いた」
「彼らは誇らしかったであろう。“我らが貴族は、これほどまでに国のために尽くしてくれるのか”と」
ヴィルヘルムの声が、鋭さを帯びる。
「だが――現状はどうだ?」
「民は苦しみ、兵は血を流し、国家は停滞した。それは停滞王ヨーゼフ1世の不甲斐なさゆえか?それとも、我が父フリードリヒ2世の無能ゆえか?」
彼は、はっきりと首を振った。
「否――違う!」
「地位に甘え、義務を果たさず、“正統”という名の安寧のみをむさぼった――堕落貴族の責任である!」
広場に集った貴族たちの間に、怒気が燃え上がる。だが、周囲を固める軍の規律と圧倒的な圧力が、それを押しとどめていた。
「だが、私は貴族すべてを否定しない」
「我が軍略の師は名門の軍人貴族だ。元帥号を託したい将軍も、由緒ある家の出である。私と共に戦場で血を流した兵の中にも、多くの貴族がいた」
「彼らの献身なくして、今日の勝利はあり得なかった」
ヴィルヘルムは、静かに――しかし揺るぎなく語り続ける。
「だが、私は同時にこうも考えた。彼らは、貴族という名がなくとも、その才覚と実力のみで国に貢献し、生涯と歴史に名を刻む存在となる」
「価値は肩書に宿るのではない。行いにこそ宿るのだ」
そう言って、彼は剣を高く掲げ、声を轟かせた。
「故に、私はここに宣言する!貴族であるか否かに頼らず、己の才覚と力で身を立てよ!」
「そこに貴族も平民も、宮廷人も軍人も関係ない!己の生涯の行いこそが、己の名誉を決めるのだ!」
広場全体が、息を呑んだ。
ヴィルヘルムの言葉は、なおも続く。
彼は胸に手を当て、これまで一度たりとも口にしなかった“本音”を吐き出した。
「私は、この生涯を捧げてでも成し遂げねばならぬ野望がある!」
「国を強くする。民を飢えさせず、兵を無駄に死なせず、この大陸のどこよりも誇れる国家を築く。そのためには――多くの者の力が必要だ」
そして、参列者一人ひとりを射抜くように指を差す。
「私は、諸君らと共に歩みたい!そのために、諸君らの力を欲している!」
「昨日までの肩書は、本日をもって銅貨一枚の価値も失った。貴族位も、宮廷官の地位も、旧来の役職も――すべて無効だ」
「明日から、席は空く」
ヴィルヘルムは一歩踏み出し、叫んだ。
「我こそは、と思う者から名乗りを挙げよ!!」
沈黙が揺らぎ、誰かが大きく息を呑む音が響いた。
「時代は進む!歴史は刻まれる!王国にとって――今日がその日だ!」
かくして、この衝撃的な治世の幕開けとともに、ヴィルヘルムは21歳となる年に国王として即位した。
王や君主には、その人柄や業績、治世を象徴するものとして、しばしば『称号』が与えられる。
たとえば、シャルル6世が清廉な振る舞いと軍事的才能から『騎士王』と呼ばれたように、ローゼンベルク国王の称号もまた、多くは晩年あるいは死後に、歴史書の中で定着するものであった。
近年では、カール1世に『暴君』、ヨーゼフ1世に『停滞王』、そして先日崩御したフリードリヒ2世には、その虚飾に満ちた治世を象徴する『虚栄王』の称号が与えられている。いずれも批判的、あるいは嘲笑的な色合いを帯びたものであったが、それ以上に彼らの生涯を端的に示す言葉も存在しなかった。
そして――
戴冠したその日に、ヴィルヘルム2世にもまた、称号が与えられた。
治世を論じるにはあまりにも早すぎる時期でありながら、それでもなお、これ以上ふさわしい名はなかった。
――『雷鳴王』
それが、ヴィルヘルム2世の王としての称号である。
その決断は雷のごとく速く、その実行は雷撃のごとく苛烈であった。
雷鳴は遠くにあっても轟き、逃れることはできない。自然現象が人を選ばず等しく降り注ぐように、彼の治世に聖域は存在しない――そのことを象徴する名であった。
やがて近い未来において、この『雷鳴王』の名は、畏怖を込めて国内外に広く知られることになる。
だが同時に、この称号が歴史の中で用いられる期間は、決して長くはなかった。
なぜなら彼は、数年の後――さらに“別の称号”を手に入れることになるのだから。
「派手にやったな、ヴィルヘルム」
「陛下と呼べ、フォルラート大尉」
帰りの馬車の中。国王となったヴィルヘルムと、その護衛に就くことになったジークハルトは、彼らにしか通じない空気の中で軽口を叩き合っていた。傍目には、一方はあまりに馴れ馴れしく不敬な物言いに映り、もう一方は口調に反して柔らかな表情を浮かべていることに、違和感を覚えるだろう。しかし、そんな奇妙な居心地の良さこそが、彼らの間には確かに存在していた。
「しかし、貴族制廃止か……こりゃ荒れそうだな」
「いつかやらねばならなかったことだ。それが今だったというだけだ」
「忙しくなりそうだ」
「お前はこれまで待機組だったからな。とはいえ、遊んでいたわけでもあるまい」
「もちろん」
にやりと笑うジークハルトに、ヴィルヘルムもまた人の悪い笑みを返す。
「では、作戦準備に取り掛かれ。準備はできているな?」
「ああ、いつでも」
「では、征くとしよう」
――野心と手段の忌まわしき結婚。なるほど、言い得て妙であった。




