第2章:狼と、豚と、狗と④
国王を失ってから二日後、王宮では告別式が執り行われていた。
広間には多くの貴族たちが集まり、亡き王との別れを――少なくとも表面上は――惜しみ、悲しんでいた。
だが、涙を浮かべている者はほとんどいない。王妃カタリーナを除けば、ルートヴィヒもヴィルヘルムも例外ではなかった。
参列者の大半は、フリードリヒ2世という無能な君主の治世に振り回され、苦労を強いられてきた者たちだった。かつては、その無能さに付け込み、甘い汁を吸っていた者もいた。しかし、そうした者たちは軒並みヴィルヘルムの粛清で姿を消し、今ここに並ぶことは叶わなかった。
そして彼らの多くは、すでに次なる王位を巡る策謀へと思考を切り替えていた。
別れの歌に、合唱隊以外の声が混じらなかったのも当然だった。王を悼むより、次の国王の下での自身の立ち位置を計算するほうに忙しかったのである。
喪に服しながらも、政治的空白を長引かせてはならないという建前が、彼らに打算を正当化する口実を与えていた。
フリードリヒ2世は、生前ついに後継者を定めきれぬまま、明け方に息を引き取っていた。その最期の瞬間、誰一人として傍らにいなかったため、最後の言葉を聞いた者もいない。
もっとも、その“最後の言葉”というものが、いかに危険な意味を持つかを、彼らは誰よりも理解していた。だからこそ意図的に距離を取っていた――そう考えることもできるだろう。
宰相クロイツェルは『国王選定会議』と銘打ち、次期国王候補であるルートヴィヒとヴィルヘルム、省庁の重役、さらに軍の要職に就く将官たちを集めた。話し合いという形式を取り、次の王を決定し、それを王国の総意とするためである。
その会議の内容は、宮廷書記官によって、たった一文で記録された。
「ローゼンベルク王国次代国王を、ヴィルヘルム殿下とすることで全会一致」
冷然と宣言したのは、宰相クロイツェルだった。
正確には、全会一致ではない。内務相にして第一王子であるルートヴィヒのみが自身に票を投じ、王妃カタリーナがそれを支持した。しかし、それ以外の者は例外なくヴィルヘルムを支持したのである。
王国軍の実権を握る将官たちは言うまでもなく、クロイツェル自身も迷うことなくヴィルヘルムを推した。会議の進行は、出来レースと呼ぶにふさわしいものだった。
「こんなもの、認めんぞ!第二王子が国王だと⁉」
ルートヴィヒが憤然と叫ぶ。しかし他の面々は、ただ冷ややかな視線を向けるのみだった。そしてクロイツェルが放った一言が、会議に完全な幕を引いた。
「ご不服は結構。しかし、誰一人として殿下の治世など望んでおりません」
サロンでのやり取りが嘘のような、冷血な物言いだった。
「謀ったな、クロイツェル!」
会議はわずか15分ほどで終わり、各々が新政権への移行準備のために足早に退室していく。その中で、ルートヴィヒはクロイツェルを呼び止めた。
「謀る……と申しますか」
クロイツェルは心外だと言わんばかりに、やれやれと首を振る。
「とぼけるな!私の即位に協力すると言っておきながら、ヴィルヘルムと内通しておったのだろう!この裏切り者が!」
「殿下、何か勘違いをなさっておいででは?」
非難を意にも介さず、クロイツェルは淡々と返した。
「私の忠誠は国王陛下、そしてそのお立場に就かれる方へと捧げられるもの。あなた様は、そのいずれでもありません」
きっぱりと言い切られ、ルートヴィヒは言葉を失った。
「では……私に改革の失敗を待てと言ったのも、罠だったのか!」
「いいえ。本心にございます。もしヴィルヘルム陛下の改革が失敗していれば、支持は瞬く間に崩れていた。その時に備え、あなた様は人材を集めるべきでした」
ヴィルヘルムの改革は、決して無傷で進んだわけではない。各地で問題は発生し、対応に追われる局面も確かにあった。
しかし彼はそれらの問題を克服し、障害を超越し、矛盾を解消し、改革を完遂した。すなわち、“失敗”と断じられる段階に至ることを許さなかったのである。
「あ、集めただろう!あれほど多くの貴族を!」
「数の話ではありません」
クロイツェルは静かに言い放つ。
「なぜ、この会議であなた様に票を投じた者が、カタリーナ様以外にいなかったのか。人材とは、有象無象ではなく、治世の基盤を支える者のことを指すのです」
ルートヴィヒが集めた貴族の数は多かった。だがヴィルヘルムは、王位に影響を及ぼし得る者を優先して排除、あるいは懐柔し、地盤を固めていた。数は少なくとも、必要な要点をすべて押さえていたのである。
それこそが政治工作であり、“人材を集める”ということだった。
クロイツェルの判断を決定づけたのは、改革を失敗とさせなかったヴィルヘルムの手腕と、人材の本質を見誤ったルートヴィヒの無能力さだった。
「ヴィルヘルム陛下は“負けなかった”。あなた様は“勝てなかった”。王位は、その結果に過ぎません」
そう言い残し、クロイツェルは背を向けて歩き出す。
「こ、この狗めが!」
吐き捨てられた罵声を、クロイツェルは背中で受け止めた。
確かに彼は“狗”と陰口を叩かれてきた男だ。だが一度として、“豚”と呼ばれたことだけはなかった。
「あの逆臣どもめ!」
王宮の自室に戻ったルートヴィヒは、怒りに震えていた。それは、王位選定会議でヴィルヘルムを支持した者たちへの怒りであり、昨日まで内務省のサロンで愚痴を吐いていた元盟友たちが、形勢が弟に傾くや手のひらを返したことへの怒りでもあった。
「ルートヴィヒ」
女性の声が呼びかけた。母カタリーナである。
「ルートヴィヒ、ヴィルヘルムと和解しなさい」
「母上まで…何をおっしゃるのですか」
「もはやヴィルヘルムの優位は揺るがないわ。あの子は王になるの。あなたもヴィルヘルムを支えるべきよ」
「つまり、母上は弟の下で働けと言うのですね」
ルートヴィヒの悲痛な言葉に、カタリーナの胸は締め付けられた。そう、そういうことなのだ。しかし兄としての矜持と立場を考えれば、それが彼にとってどれほど耐え難いことかも理解せざるを得なかった。
「あなたたちは兄弟じゃない」
「兄弟ゆえに、許せないこともあるのです!」
ルートヴィヒの叫びは、母の心情を思いやる余裕を持たない、当事者だけの叫びだった。
ちなみに、この場面は後世に演劇化され、『嗚呼、悲しき哉、ルートヴィヒ』という演目として知られる。王子の悲劇と兄弟の葛藤を描いた名場面として一定の人気を博したが、芸術に造詣が深いルートヴィヒでも後世でそのような評価がなされていることを誇りと思えるかは疑問であった。
歴史に「もしも」を問うのはご法度とされている。
しかし、もしフリードリヒ2世が後継者を事前に明言していたなら、彼らはある程度の妥協をし、従ったかもしれない。そして、その判断に最も影響を与えたのは、王妃カタリーナであっただろう。彼女は物事の本質を見抜く聡明さと深い思慮を持つ女性だった。しかし、見えすぎる目を閉じ、熟慮の末に下す決断を拒んだ瞬間、すべての価値は失われてしまったのである。




