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第2章:狼と、豚と、狗と③

「なんという傍若無人な振る舞いだ!もはや看過できん!」


 ルートヴィヒの怒声が室内に響き渡った。そこは彼が大臣を務める内務省庁舎内に設けられた、サロンと称される談話室である。内務省に勤める貴族のみならず、反ヴィルヘルム派として彼に不満を抱く貴族たちも、いつしかそこに集うようになっていた。


「警察権を無視した一連の取り締まりを、何としてでも止めさせねばならん!」


 ルートヴィヒの怒りの矛先は、ヴィルヘルムが警察権を超越して行っている、貴族への強硬な取り締まりに向けられていた。警察は内務省の管轄下にある。ゆえに職権侵害への憤り――というわけではない。


 実際のところ、それは自身の支持基盤である貴族たちが拘束され、勢力を着実に削られていることへの、きわめて個人的な恨みであった。


「ヴィルヘルム殿下は、中央憲兵隊を動員した“軍人の取り締まり”であると主張しております」


 側近の一人が、ヴィルヘルムの粛清における法的根拠を簡潔に説明した。


 ローゼンベルク王国では、貴族位にある者は義務として、軍籍を有するか、官僚となるかのいずれかを果たさねばならない。しかし売官制の名残から、名目上のみ軍籍を持つ貴族が複数存在していた。彼らはその立場を盾に、軍や各省庁に対して一定の発言権を有するという歪みを生んでいたのである。


 ヴィルヘルムは、そこを逆手に取った。


 軍籍を買った貴族たちは、ほとんど現場に立つことのない“予備役将校”である。だが形式上は軍人であり、軍人である以上、軍法に基づく取り締まりと調査、そして裁きが可能となる。


 ヴィルヘルムは中央軍隷下にあった中央憲兵隊を増強し、腹心であるグスタフをその長に据えた。そして貴族たちを軍人として拘束し、最終的には摂政の権限を用いて爵位と財産を剥奪する――その手法を徹底していたのである。


 この法的解釈には強引な点も目立つが、形式上の正当性は一応成立していた。そしてそれは、ルートヴィヒの内務省および警察権が、現実に中央軍によって凌駕される事態を意味していた。


 ルートヴィヒは下唇を噛みしめ、悔しそうに黙り込んだ。そんな抜け道を放置していたことを、今さらながら後悔していたのである。


 そこへ、さらに追い打ちがかかった。


「鉄道省のモールフェルト男爵も、昨日拘束されたとのことです」


「なに⁉モールフェルト卿までか⁉」


 モールフェルト男爵は、売官制出身貴族の典型だった。国家事業である鉄道敷設の際、利権目当てに多額の賄賂をばらまき、爵位を得た人物として広く知られている。


 彼はルートヴィヒに献金を行う有力貴族の一人であり、ルートヴィヒが王位に就いた暁には、鉄道利権を存分に与える約束も交わしていた。不運なことに、彼もまた工兵科の予備役将校であった。


 ヴィルヘルムが摂政に就いてから、まもなく半年。ルートヴィヒはその間に、派閥を構成していた多くの貴族を、弟の魔の手によって失っていた。


「……これにどう責任を取ってくれるのだ、クロイツェル!」


 激昂したルートヴィヒは、同席していた王国宰相へと矛先を向けた。


「ルートヴィヒ殿下、どうかお心をお静めください」


「この状況でよく言えたものだ!貴様が奴を摂政に据えなければ、こうはならなかった!」


「あれは国王陛下の強いご要望でございました。臣下として拒むことは叶いませぬ」


 もっとも、クロイツェルは過去にフリードリヒ2世の命を冷静に却下した実例をいくつも持っている。この言い分が方便であることは、彼自身が最もよく理解していた。


 王国はフリードリヒ2世の感情と意地によって災厄に見舞われることも多かったが、同時にクロイツェルの理性と計算によって救われた局面も少なくなかった。


 それでも今回に限って、彼はそれをしなかった。国王の要望どおり、ヴィルヘルムを摂政に据えたのである。


「ルートヴィヒ殿下、これは好機とも申せましょう」


「……好機だと?」


 クロイツェルの言葉に、ルートヴィヒはわずかに冷静さを取り戻した。自身では何の打開策も思いついていなかった以上、楽に答えを得られるのであれば、これほどありがたいことはなかった。


「第四次ノッセル回廊会戦での勝利、そして共和国との戦争終結。その功績により、ヴィルヘルム殿下は国民の人気を得、国王陛下からの信頼を勝ち取りました」


「それでは、ますます奴の力を増長させるではないか」


「逆です。あのままであれば、ヴィルヘルム殿下の優位は揺るぎませんでした。だからこそ、殿下は自らその均衡を崩そうとしておられるのです」


「……ほう」


 ルートヴィヒのみならず、周囲の貴族たちも理解できていない様子であった。察しの悪い彼らに業を煮やし、クロイツェルはさらに噛み砕いて説明する。


「ヴィルヘルム殿下は、自身の政策によって失敗するリスクを、あえて背負われました。急進的な改革は必ず反感を招きます。失敗すれば、賞賛は一転して非難へと変わり、支持基盤は瓦解するでしょう」


「つまり、我々はそれを待てばよいと?」


「その通りです」


「なるほど!名案だ!」


 クロイツェルは内心で鼻を鳴らした。“相手の失敗を待つ”ことしかできない策の、どこが名案なのか。


 だがそれは同時に、彼自身の本音でもあった。ヴィルヘルムの改革はリスクが高い。失敗の可能性は十分にある。ならば、最も楽な勝ち筋は、じっくりとそれを待つことだった。


「しかし、改革そのものが我々の首を絞めるのでは?」


 比較的聡明な若手貴族の問いに、周囲の者たちは一斉に不安げな表情を浮かべた。


「改革自体は合理的です。王国にとって有益な方向に進むでしょう。――少なくとも、次の治世には」


「ならば、奴に肩代わりさせておき、私が美味しいところだけ頂くとするか」


 ルートヴィヒの軽口に、周囲の貴族たちは喝采を送った。


「クロイツェル宰相、私は貴様を誤解していた。てっきりヴィルヘルムに尻尾を振ったのではないかと、勘違いしてしまったではないか」


「いいえ。私は国王陛下に忠誠を誓った身にございます。不義理な真似など致しません」


「良い、良い!貴様はそのまま励め!」


「ではルートヴィヒ殿下。今のうちに多くの人材を集めておくのが得策かと存じます。最終的に政治でものを言うのは、支持の厚さと配下の数でございますからな」


 今後の方針を聞かされたルートヴィヒ一派は、まるで自分たち自身の発想でたどり着いた結論であるかのように陶酔し、しばしの間、浮かれた空気の中で盛り上がっていた。


 クロイツェルはその光景を、かつてヴィルヘルムと並んで見た中央軍の巡閲式と重ねた。


 似ても似つかぬ光景だった。あの兵士たちが狼であるなら、ここにいるのは豚だ。


 ルートヴィヒの派閥に連なる者たちは、栄養豊かな食事と恵まれた環境のもとで育ち、身体的な成長という点では何ひとつ不足のない者ばかりだった。だがその境遇に胡坐をかき、自ら考え、勝ち取るために行動するという、生物本来の本能をすっかり失ってしまったかのようでもあった。


 現場に出ることもないため肌は日に焼けることもなく、若さを保っているはずの身体には、すでに中年じみた贅肉がまとわりついている。その姿は否応なく、肥え太った白豚を想起させる。


 彼らが内務省にたむろし、ヴィルヘルムへの愚痴を吐き合えているのは、ひとえにルートヴィヒという分かりやすい旗頭が存在するからに過ぎない。それすら失えば、寄る辺もなく、無責任な不満を胸に溜め込んだまま、それでも満足そうに生き延びるだけの矮小な存在へと成り下がるだろう。


 主体性も行動力も欠いた者たちが、あのヴィルヘルムに勝てるという幻想に浸ることを許されるのは、この部屋の中だけだ。つまりこここそが、彼らにとっての王国なのである。


 ヴィルヘルムの改革が失敗することを心待ちにしている点では、クロイツェルもまた同じだった。だが、ルートヴィヒ一派が正面から挑んで勝てるとは、彼自身まったく考えていない。


 要するに、クロイツェルにとってはどちらが勝とうと構わなかった。強権をもって国を作り替えるのもまた国益であり、居心地の良い仲間内だけで固められた政権も、ある意味では政治の本質を突いているとも言える。


 クロイツェルという男は、いずれが王となろうとも、その下で確固たる地位を築き、生き延びていけるだけの力量を持つ――そう自覚している、食わせ者だったのである。


 さて、勝つのはどちらか。あるいは、負けないのはどちらか。


 クロイツェルは数か月にわたり、その行方を一つの見世物のように眺めていた。そして、ようやく決着がつく。


 それは予想外の結末とも言えれば、同時に、これ以上なくつまらない落としどころとも言える出来事だった。


 大陸暦1271年12月10日--国王フリードリヒ2世、崩御


 後継者を定めぬまま、彼はこの世を去った。

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