第2章:狼と、豚と、狗と②
『摂政』とは、正統な君主が在位していても、年少・病気・不在などの理由により政務を執れない場合、その代理として国政を担う政治的立場を指す。この時点では、現国王フリードリヒ2世が政務を遂行できる健康状態になかったため、誰かがこの地位に就くこと自体は、政治的空白を避ける意味でも妥当であった。
しかし実情としては、これまで摂政に相当する権限と役割を事実上果たしてきたのは宰相クロイツェルであり、それで国政は滞りなく運営され、特段の支障が生じていたわけでもない。
これまで問題が起きていなかったこと、加えて王位継承問題が日増しに顕在化しつつある近年の情勢を考慮すれば、改めて摂政を立てるという判断は、むしろ不穏な政治的印象を伴うものだった。そうした状況下でヴィルヘルムがその地位に就いたことは、明確な政治的示威であったと言えるだろう。なぜなら彼は、国王の代理人として国政を直接動かす権限を手にしたからである。
だが、宰相クロイツェルはヴィルヘルムに摂政の地位を与えこそすれ、その後、積極的に支援の手を差し伸べることはなかった。国王の強い要望を無下にできなかったという忠臣としての事情もあったが、そもそもクロイツェルはヴィルヘルムの明確な味方ではない。自身の権限を上回り得る存在を完全には信用せず、地位を脅かされぬよう、極力その権限を限定しようとしたのである。
ヴィルヘルムもその点は承知していた。摂政という地位をあっさりと与えられたことには驚いたものの、その後の対応については、「お手並み拝見」と暗に突き放されているのだと感じ取っていた。
そのうえで、ヴィルヘルムは摂政任命の翌日、即座に行動を起こす。それはクロイツェルのみならず、王国全土に激震を走らせる衝撃的な出来事であった。
――王国財務大臣ノイマン伯爵、収賄の容疑で拘束。
――王国財務省、摂政ヴィルヘルムならびに中央軍の管理下へ。
――収賄名簿を押収、摂政ヴィルヘルム、一斉検挙を下令。
雷が落ちたかのような速度と行動力、その衝撃にクロイツェルの顔は強張った。堕落した貴族を排除すると口にしていた以上、自身の派閥ではない者を数名粛清する程度は予想していた。しかし、最初の標的がここまでの大物であるとは、さすがに想定外だったのである。
ノイマン財務相に黒い噂があることは事実だった。だが彼は王国の金庫番として“予算”という力を振りかざし、反発や追及を試みる者の首を締め上げては、ことごとく退けてきた。
クロイツェルにとっても決して無視できない、むしろ目障りな存在ではあった。しかしノイマンは政治的野心ではなく、あくまで利で動く男であり、その姿勢を崩さない限り、あえて敵に回す必要はない――クロイツェルはそう判断したのである。
互いを黙認し、利用し合うことで権力を維持する。そんな暗黙の了解のもと、クロイツェルはノイマンを財務相として支持し続けてきたのだった。
その男を、ヴィルヘルムは問答無用で斬った。金という、誰もが屈する力を持つ相手を、まるで意に介さぬかのように、自身の軍事力という剣で一刀両断したのだ。
――見事だ。
クロイツェルは内心でそう評した。内務省の警察機構は賄賂や予算削減の脅しに弱く、実効性に乏しい。それに対しヴィルヘルムは、煩雑な合法手続きを一旦置き、まず拘束し、後から証拠を固めて弾劾するという手法を取った。それも、自身に忠実な兵士たちを使ってである。
さらにクロイツェルを唸らせたのは、拘束した官僚たちの処遇を、宰相である自分に一任した点だった。事前の精査を経ずに行われた拘束である以上、無関係の者も混じっている。その状況で、財務省の主要官僚を一括して差し出すという行為は、暗に「使える人材は抜き取れ」という意思表示に他ならない。黒であっても有能なら首輪を付けて使え、白でも無能なら切り捨てろ――その生殺与奪の権を、クロイツェルに委ねたのである。
「ヴィルヘルム殿下は無茶苦茶で規格外だが、これほど切れ味の良い剣を持つ者もいない」
これは後に、クロイツェルが側近へ漏らした、ノイマン財務相拘束事件に対する評価であった。
ヴィルヘルムの快進撃は止まらない。有罪が確定した貴族からは爵位を即座に剥奪し、所領・財産を没収、横領した国庫金の返納を厳命して徹底的に干上がらせた。表沙汰にはならなかったが、ここで得られた資金は王国や宰相府には回らず、すべてヴィルヘルムの掌中に収められ、次なる改革の原資となった。
財務省の不祥事を皮切りに、各省庁に所属する貴族の資産・税収・所領は徹底的に洗い出され、黒と断定された者は例外なく断罪された。一方で、ヴィルヘルムは有能な人材や忠誠を誓う者に対しては処罰を最小限に留め、配下に取り込んでいった。彼の改革は、正義の執行というより、不要なものを切り捨て、使えるものを残す冷徹な人事整理でもあった。
無論、反発がなかったわけではない。だが、中央軍の圧倒的な武力の前に、有効な抵抗を成し遂げた者は一人もいなかった。最高の装備と練度を誇るその軍団はヴィルヘルムの完全な掌中にあり、他の方面軍もすでに彼の協力・指揮下に置かれていた。軍事力を独占した彼に、対抗し得る敵はいなかったのである。
貴族や支配階層に対して苛烈な処断を下す一方で、ヴィルヘルムは平民には正反対の施策を講じた。領主を失った領民に対し、当面の生活保障として年齢を問わず補助金を給付したのである。これは単なる人気取りではなく、給付の際に戸籍を整備し、人口や家族構成を把握するための政策だった。この戸籍制度は、後の税制改革において重要な基盤となる。
さらに、没収した貴族の私邸を学校・病院・役所として転用し、福祉と公共サービスの拡充を進めた。戸籍によって子どもの数を把握できるようになったことで初等教育制度も整備され、読み書きや算術に加え、農業・工業の技術訓練も施された。教育現場の人材不足は、読み書きのできる者を教員として雇うことで補われ、雇用創出と意識改革を同時に実現した。さらに研究者も教員として迎え入れた結果、後のローゼンベルク王国では科学技術分野で目覚ましい発展が見られるようになる。
無職者、戦傷退役者、未亡人といった社会的弱者には、王国直轄の農場や工場での雇用が優先的に与えられた。これは救済であると同時に、国家産業の推進策でもあり、特に軍需産業の発展に大きく寄与した。農業分野では、飢饉対策として作物の多様化が進められ、痩せ地でも育つジャガイモなどは、国営農場での実験を経て徐々に民間へと普及していった。
これらの改革は即座に成果を生むものではなく、定着には十年単位の歳月を要した。しかし、完成から成熟、そして衰退の兆しを見せていた王国において、これほどの改革を強権で推し進めた人物は、発展のみに彩られた成長期を生きていた建国の立役者であるヴィルヘルム1世とルートヴィヒ1世を除けば、他に例を見ない。
人材登用においても、ヴィルヘルムは爵位に依らぬ実力主義を徹底した。成果を上げた者は出自を問わず評価され、その姿勢は多くの者の奮起を促した。教育を受けた平民が本格的に台頭するのはまだ先の話だが、その潮流はすでにこの時代に形作られていたのである。
もっとも、この急激な改革についていけず脱落した者も少なくなかった。能力のない者を情けで引き上げることを、ヴィルヘルムは決して許さなかった。その点において、彼は慈悲深い統治者とは言い難い。必然的に、批判勢力も生まれた。
そして、その筆頭に立ったのが――兄、ルートヴィヒであった。




