第1章:運命を裂く第二王子④
「よく来てくれた、ブラント大将」
「いやいや! こちらこそご挨拶が遅れてしまい、申し訳ない! 改めまして、中央軍司令官ご就任、誠におめでとうございます!」
中央軍司令部の応接室。
ヴィルヘルムの正面で、どっかりとソファに腰を下ろし、大声で挨拶する偉丈夫――南部方面軍司令官、レオンハルト・フォン・ブラント大将である。
筋骨隆々たる巨躯はまるで岩塊のごとく、歴戦を思わせる猛々しい顔立ちは、彼が紛れもない猛将であることを雄弁に物語っていた。
王族相手としてはやや粗野な振る舞いであったが、ヴィルヘルムは気に留めなかった。
レオンハルトは、フリードリヒ2世の下でグラウエンシュタイン継承戦争を戦い抜いた将軍である。ローゼンベルク軍が軍事的勝利を収め得たのは、彼の華々しい戦果あってこそであった。
その武功によって一代で貴族最高位たる“公爵”にまで上り詰めた、現在のローゼンベルク王国では稀有な存在である。
さらに、その軍事的手腕を買われ、対グラウエンシュタイン戦線を担う南部方面軍司令官に就任して以来、20年もの間その地位に留まり続けている。
ふさわしい後任が見つからぬまま、爵位としても軍階級としてもこれ以上上が存在しない――制度そのものが行き詰まった、まさに化け物のような男であった。
ヴィルヘルムが率いる中央軍も5万を超える大軍であるが、レオンハルトの南部方面軍は常備軍だけで7万。予備役や徴兵を含めれば15万にも達する。
指揮官としての経験と器量において、現時点ではヴィルヘルムが及ばぬ存在であると言って差し支えない。
そんな男を王都へ招いたのは、ヴィルヘルムに一つの頼みがあったからだ。
その話を切り出すと、レオンハルトは「おお、なんですかな!」と、気前の良い老将のように身を乗り出した。
「ブラント大将。貴卿に、ぜひ『元帥号』を受け取っていただきたい」
「……ほう」
その言葉を聞いた瞬間、レオンハルトの声が消えた。
消え入りそうな沈黙ではない。まるで巨大な岩がその場に据えられたかのような、重みのある静寂だった。
「念のため伺いますが……それは、国王陛下からのお申し付けで?」
「いや。軍務大臣も兼任する、私自身の判断だ」
即答だった。
それを聞き、レオンハルトは困ったように頬をかいた。
「殿下、それは……いささか異例でしょうな」
「その通りだ。建国以来、王族以外に元帥号を賜った者はいない」
『元帥』――それは大将すら凌ぐ、軍人における最上位の特別階級である。
方面軍の枠を超え、王国軍そのものを指揮下に置く権限を持ち、その権力は国王に次ぐ。
過去にその位に就いたのは、初代国王カール1世とフリードリヒ2世のみ。例外など存在しなかった。
名誉であることは疑いようもない。
だが、レオンハルトは素直にそれを喜べる立場ではなかった。
「殿下もご存じでしょうが……小官は、どうにも国王陛下に好かれておらんようでしてな。そのような者に元帥号とは、無理があるのでは?」
事実であった。
彼は戦争の英雄であり、最高指揮官たるフリードリヒ2世を凌ぐ戦果を挙げたがゆえに、かえって王の嫉妬を買った。
重臣として重用されることは避けられ、妥協策として南部方面軍司令官に据えられ、中央から遠ざけられたのである。
元帥とは、全軍を統べる存在だ。
場合によっては、国王以上の実効力を持ち得る。その任命は、君主としての度量そのものを問われる決断でもあった。
――我が軍のすべてを汝に託す
元帥という称号が生まれた際、ルガルディア帝国皇帝ファルマードが放ったとされる言葉である。
それを、ヴィルヘルムは王族以外の男に与えようとしていた。
「殿下。僭越ながら申し上げますが……たとえ国王が誰であろうと、小官の忠誠は王国にあります。ですから、小官に“餌”は不要にございます」
レオンハルトは豪胆な猛将である。しかし、政争に身を置く気は毛頭なかった。
ルートヴィヒ派とヴィルヘルム派が形成されつつある情勢は、政治に疎い彼の耳にも届いている。
この元帥号が、派閥に引き込むための餌である――そう疑うのも無理はなかった。
無論、その意図はヴィルヘルムの中にもあった。
使える手札があるなら、躊躇なく切る。それが彼の流儀である。
だが、それだけではなかった。
「その懸念はもっともだ。王位継承争いが激しさを増す中で、警戒するのは当然だろう。だが――」
ヴィルヘルムは、静かに真意を告げた。
「私が貴卿に元帥号を与えたい理由は、貴卿が“純粋な軍人”だからだ」
「……純粋な軍人、ですと?」
「その通りだ。私は王位を望んでいる。兄を退けねばならぬかもしれない。だが、それだけなら貴卿の力は不要だ」
レオンハルトが眉をひそめる。
「では、なぜ……」
「私は“王となった後”を見ている。私の治世において、貴卿の力が必要なのだ。王位に就いてから頼むのは、不義理だと判断した」
爛々と輝くその眼差しに、レオンハルトは感じ取った。
そこに宿る光は、王位争いという小さな枠に収まるものではない。
「……して、その理由とは?」
彼は、聞きたいと思ってしまった。
これほどの熱を帯びた王族を、他に知らなかった。
「私が王となった暁には――」
ヴィルヘルムは、その後の展望を語った。
それを聞き終えた時、レオンハルトは思わず目を見開いていた。
天を衝く山の頂を目指すかのような、あまりにも果てしない構想。
胸に湧いたのは、畏れと戸惑いだった。
「……そんなことが、できましょうか」
「できる。いや、する。私は王国の運命を、あるべき形へ正す」
もしこれを語ったのがフリードリヒ2世であったなら、レオンハルトは断っていただろう。
だが、目の前にいるのはヴィルヘルムだった。
それこそが、彼をこの不可能にも思える旅路へと踏み出させた理由である。
「殿下。これまでの非礼、深くお詫び申し上げます」
レオンハルトは、その巨大な頭を深々と下げた。そして、顔を上げる。
「不肖このレオンハルト・ブラント!謹んで、ヴィルヘルム殿下のお力となることをお誓いいたします!」
「気が早いぞ、ブラント大将」
固い握手を交わした二人は、それぞれの胸中で同じ感慨を抱いていた。
一方は理想の軍人を得、もう一方は仕えるべき王に出会ったのだと。




