第1章:運命を裂く第二王子③
「陛下、お加減はいかがでしょうか」
「ああ……カタリーナよ……今日も美しいな……」
しゃがれた声で名を呼び、虚ろな眼差しをこちらに向けるその姿を見て、カタリーナは悟った。夫フリードリヒの命が、もはや長くはないことを。
それは彼女にとって胸を締めつけられる思いであったが、近頃はそれ以上に、跡継ぎの問題が心に重くのしかかっていた。
「カタリーナよ……王位は……どちらに譲るべきか……」
フリードリヒは、彼女が寝室を訪れるたび、決まってそのような言葉をうわ言のように呟く。
以前はそんなことはなかった。それが4月――正確には第四次ノッセル回廊会戦の勝利が報告されて以降、この問いを口にする回数が目に見えて増えたのだ。
かつて、次期王位はルートヴィヒに継がせる――その認識は夫婦の間だけでなく、宮廷全体においても揺るぎない既定事項であった。
しかし、ヴィルヘルムの軍才と政才が鮮やかに開花した瞬間から、その風向きは少しずつ変わり始めた。
幸運に恵まれただけだと言う者もいるだろう。彼に従った人材が優秀だっただけだ、と片付けることもできる。
だが確かなのは、兄ルートヴィヒを凌ぐ素質を持ち、それを実績として示したヴィルヘルムの存在が、沈静化していた王位継承問題を再び浮上させたという事実であった。
そして何より、フリードリヒ2世自身が、次第にヴィルヘルムへと期待を寄せ始めたことが、事態をより深刻なものにしていた。
ヴィルヘルムは父が成し得なかった偉業を成し、父が持ち得なかった才能を示し、父が果たせなかった夢を代わりに実現すると公言してはばからない。
沈みかけていたフリードリヒの心が、再び熱を帯びるのも無理からぬことだった。
一方で、王妃カタリーナの胸中は複雑であった。
彼女は一貫して、ルートヴィヒを次代の王に据えることに賛成している。それが最も穏便に事を運べる選択であり、何より母として息子たちの将来を案じた末の結論だった。
ルートヴィヒがヴィルヘルムに比べ、才能、実力、人格のいずれにおいても劣っていることは、カタリーナもよく理解している。
生まれてから最も近くで二人を見続けてきた母親であるからこそ、その厳しい現実を否応なく突きつけられてきた。
――しかし、いや、だからこそ、彼女はルートヴィヒを推した。
父を反面教師とする、無気力で無能な男であるがゆえに、彼は自ら危険を冒すような冒険に出ることも、国を二分するような過激な改革に打って出ることもないだろう。
その後ろ向きとも言える信頼こそが、カタリーナがルートヴィヒを王にしたいと願う最大の理由であった。
一方で、ヴィルヘルムは母の目から見ても、あまりにも出来の良い息子だった。
聡明で、理解が早く、立ち振る舞いは洗練され、何よりも自らの意志で決断できる男である。
もし彼が王となれば、歴史に名を刻む名君となるだろう――聡明なカタリーナは、その未来を疑っていなかった。
しかしーー
それこそが、ヴィルヘルムを王にしたくない理由でもあった。
彼は有能で、多くのことを成し遂げてしまうだろう。どんな困難にも立ち向かい、乗り越えていく力を持っている。
だが、もし失敗したら?
力と意志があるからこそ、彼はそれを武器に果敢に挑む。しかし、挑戦が必ず成功する保証などどこにもない。
むしろ、力がなければ、その無謀に挑む気概すら抱かずに済んだのではないか――カタリーナは、夫フリードリヒの半生を見てきたからこそ、そう考えてしまうのだった。
フリードリヒ2世は無能である。
それは、カタリーナも薄々理解していた。
それでも彼が冒険を志したのは、王族としての特権と、道具としての強大な軍を持っていたからに他ならない。
もし彼が王族でなければ、官僚も軍人も耳を貸さなかっただろうし、軍が強力でなければ、軍事力で物事を解決しようなどとは思わなかったかもしれない。
――身の丈に合わぬ力を持ってしまったがゆえに、彼は失敗し、不幸になった。
カタリーナは、そう結論づけていた。
同じ轍を、息子たちに踏ませたくはなかった。
ヴィルヘルムは挑戦する。多くを成し遂げられる力がある。しかし、その成功が生涯保証されているわけではない。
ならばいっそ、無気力で無能である方が、王として苦しまず、不幸に見舞われることなく生涯を終えられるのではないか――そんな歪んだ願いすら、彼女の胸には芽生えていた。
カタリーナは一国の王妃であったが、それ以上に一人の母であった。
出来の良すぎる子を持ってしまったがゆえに、彼女は深い悩みの淵に立たされていたのである。
宮廷では、カタリーナがフリードリヒを深く愛していることを意外に思う者も多い。
「なぜ、あの無能な男を愛せるのか」――そう面と向かって言われたことさえある。
だがカタリーナは覚えている。
若き日のフリードリヒが、王族としての打算も政略もなく、ただ一人の女性としての自分に、男爵令嬢である彼女に、薔薇の花束を差し出してきた日のことを。
向こう見ずで無鉄砲、不器用な彼は、顔を薔薇のように真っ赤に染めながら、愛を叫んだ。
その姿を、彼女は決して無能で情けない男だとは思わなかった。
だからこそ、彼が失敗し、自身の無力さに傷つき、家臣たちから疎まれ、ついには床に伏すまでに至る人生を目の当たりにした時、カタリーナもまた深く傷ついた。
もしそれが王妃としての務めであり、息子たちにも同じ運命を背負わせねばならぬのだとしたら――彼女は、その決断を拒みたいと思ってしまったのである。
「いいえ、陛下。陛下がご健在のうちは、そのようなことをお考えにならずともよろしいのではないでしょうか」
カタリーナは後年、この言葉を後悔することになる。
あの時、決断していれば――あのような結末にはならなかったかもしれない。
そう思いながら、彼女は晩年を涙とともに過ごすことになるのだった。




