第1章:運命を裂く第二王子②
「最近になって父上に取り入ろうとは、我が弟ながら卑しいやつよ」
王宮の廊下に敷かれた上質なカーペットの上を、ヴィルヘルムは静かに歩みを進めていた。その途中で、彼は兄と遭遇した。
グラウエンシュタインにおいて高貴さの象徴とされる、手入れの行き届いた長い髪を結い、母カタリーナよりも父フリードリヒの面影を色濃く宿したその男――第一王子ルートヴィヒである。
「はて、何のことやら。私は王国と自身の職務に忠実たろうとしているだけでございます、兄上」
この兄弟の仲は、決して良いとは言えなかった。
長男であるルートヴィヒは、長らく次期王位継承者として有力視されてきた人物である。しかし、5歳年下の次男ヴィルヘルムがその才覚を発揮し始めると、宮廷でも軍でも二人を比較する声が上がるようになった。それにつれてルートヴィヒは、次第にヴィルヘルムを疎ましい存在と見なすようになっていったのである。
一方のヴィルヘルムもまた、“第一王子”という肩書きだけを拠り所とする無気力で無能な男を、内心では取るに足らぬ存在として見下していた。
「聞いたぞ。中央軍の軍制改革を進めているそうだな。まったく、父上といいお前といい、戦争は終わったというのに軍隊ばかりに金をかけられてはたまらん」
ヴィルヘルムは第四次ノッセル回廊会戦での功績により、ローゼンベルク王国中央軍司令官の任に就いていた。
中央軍は、建国以来続く王直轄の中核部隊であり、その司令官職は伝統的に王族が務めるものとされてきた。先代司令官は父フリードリヒ2世であったが、軍務に携われなくなって以降、その座は空席となっていた。本来であればルートヴィヒが継ぐべき地位であったが、彼が軍を忌避していたため、巡り巡ってヴィルヘルムに白羽の矢が立ったのである。
この時ばかりは、無気力で無能な兄に感謝した。なにせ、自身の命令に忠実な常備軍を、身綺麗な状態で手に入れられたのだから。
加えてヴィルヘルムは、王国軍務大臣の職も兼任していた。本来、中央軍司令官と軍務大臣を一人が兼ねることは、権力の一極集中を招くとして、不文律で避けられてきた。しかし、先の会戦で彼が示した軍制改革の手腕を評価され、“王国軍の近代化”を推し進める名目のもと、この地位が国王フリードリヒ2世から与えられたのである。
“最強無敗の軍隊を創造する”という国是に執着するフリードリヒ2世は、その希望をヴィルヘルムに託したのだった。
結果として、ヴィルヘルムの統制下に置かれた中央軍および各方面軍は、装備の刷新、人事および指揮系統の整理、新技術の導入などを急速に進め、それに伴い国家予算を容赦なく消費していた。
「ローゼンベルクのために、でございます」
その大義名分を堂々と口にするようになったヴィルヘルムを、ルートヴィヒはますます毛嫌いするようになった。
ルートヴィヒは、父フリードリヒ2世が軍事に執着し、その末に幾度も失敗を重ねてきた姿を弟ヴィルヘルムよりも間近で見てきた人物である。ローゼンベルクの国是そのものが、彼にとっては忌まわしい因習としか映らなかった。
「兄上が内務大臣としてご多忙であると伺っております。若輩者の私が、怠けているわけにも参りません」
もっとも、ルートヴィヒが内務大臣として果たしている役割は、ヴィルヘルムの言う評判ほどのものではなかった。実務の多くは自身の門閥貴族に任せきりで、彼自身はグラウエンシュタインで流行している芸術に心を奪われていた。
「ふん。今さら点数稼ぎをしても、次期国王の座は決まっているようなものだ。野心を抱くなどという愚行は慎むことだな」
ルートヴィヒがヴィルヘルムに対して強く出られるのは、ひとえに生まれの順番と、それが保証する正統性があったからだ。ヴィルヘルムがいかに才を示そうとも、今さらその優位が揺らぐことはない――そう高を括っているのである。
「とんでもございません。私のような者に王位など務まりましょうか。兄上の治める王国を支える一助となれれば、それ以上の名誉はございますまい」
深々と頭を下げるヴィルヘルムの瞳は、冷ややかに澄んでいた。
政争は戦場ほど心躍るものではないが、不得手というわけでもない。たとえ戦況が不利に見えようとも、機の到来を待つのみだ。それまでは、戦いのための準備期間に過ぎない。第四次ノッセル回廊会戦の折も、拙速に動くより万全の支度を整えたからこそ、勝機を掴めたのである。
ヴィルヘルムの内には、確かな自信と揺るがぬ信念が芽生えていた。
どこまでも恭しい弟の態度に、ルートヴィヒが不快そうに顔を歪めた、その時だった。
「廊下で何をしているのです、ルートヴィヒ、ヴィルヘルム」
複数の侍女を従えて現れたのは、二人の母――王妃カタリーナであった。
“王宮の薔薇”と称されるその美貌と気品は誇張ではなく、言われなければ二人の子を持つ母とは思えぬほどである。
「ごきげんよう、母上。私は父上のお見舞いと軍務のご報告に参りました。すでに用は済みましたので、これにて失礼いたします」
礼儀正しく一礼し、颯爽と立ち去るヴィルヘルムを見送ってから、カタリーナはもう一人の息子へと声をかけた。
「ルートヴィヒ、あなたもヴィルヘルムのように、たまには陛下にお顔をお見せなさい」
「それはまたの機会に。では、私もこれで失礼いたします、母上」
素っ気ないその態度を目にして、カタリーナは思わず大きなため息をついた。




