第1章:運命を裂く第二王子①
新編をお読みいただき、ありがとうございます。
本作の物語は、以降【序章:ルガルディア大陸史概略】の知識や情報を前提として展開されます。可能な限り本編だけでもお楽しみいただけるよう配慮しておりますが、本編からお読みになった方は、ぜひ前提知識として頭に入れていただけると、より深く物語をお楽しみ頂けるかと存じます。
前置きが長くなってしまいましたが、
それでは新編に突入した彼らの旅路の続きを、どうぞお楽しみください。
フリードリヒ2世は無能であった。
それは後世の歴史においても一般的な評価として根強いが、彼が生きていた当時においても、重鎮たちの間ではすでに周知の事実であった。
陸戦無敗を誇った騎士王に唯一土をつけた智将、ローゼンベルク辺境伯フリードリヒと同じ名を持ちながら、彼自身はその名にふさわしい生涯を送ることはなかった。
停滞王の汚名で知られる父ヨーゼフ1世の不甲斐ない治世に嫌気がさし、半ば強引に王冠を奪って即位した彼は、自分は父とは違う存在であることを歴史に証明しようとした。そのために彼が選んだ手段は、優れた軍を率い、自ら戦場に立って雄姿を示すことであった。
その最初の大舞台が『グラウエンシュタイン継承戦争』である。
正統ルガルディア帝国の実質的最高権力者である帝国摂統の地位が、グラウエンシュタイン女大公エリザーベトから、その息子オットー3世へと継承されることに異議を唱え、フリードリヒはこう主張した。
「そもそも女性が帝国摂統の地位に就いていたこと自体が正統性に反する。ローゼンベルク国王たる自分こそが、その座に最もふさわしい」。
こうして彼は、次代帝国摂統の座を奪取するために戦争を始めたのであった。
結果は惨敗である。
戦場においては、火薬の匂い漂う中、優れた猛将たちの助けもあり、無能な彼であっても幾度となく軍事的勝利を収めることはできた。しかし、彼が敗れたのはもう一つの戦争――すなわち外交戦であった。
武勇を誇り、力で周囲を威圧することしかできなかったフリードリヒに対し、女大公エリザーベトは周到な外交によって帝国内の諸侯を味方につけ、ローゼンベルクを孤立へと追い込んだ。武では勝てずとも、政治においてフリードリヒを包囲し、着実に追い詰めていったのである。
そして戦争終盤、もはや勝利が確定した段階で、グラウエンシュタイン軍はオットー3世を総大将として前面に押し立てた。用意された勝利と、それによって形成された支持基盤をもって、野心家フリードリヒを排し、帝国摂統の地位を息子へと継承させることに成功したのである。
フリードリヒは激怒した。
「戦場で勝ち続けた私が、なぜ敗者なのだ!」
なぜ敗れたのかを理解することもできぬまま、彼は敗北者の烙印を押されたのである。
当時すでに宮廷幕僚の地位にあったヘルマンは、フリードリヒ2世の軍事顧問の一人であったが、その進言が聞き入れられることはなかった。こうしてフリードリヒ2世は、狭量で頑迷な無能の君主であり続けた。
一世一代の大舞台で敗北を喫した彼は、名誉挽回を求めて視線を東へ向け、カルノヴァ=ストリェッツ共和国に狙いを定める。共和国はローゼンベルク王国の隣国ではあるが、正統ルガルディア帝国の構成国ではない。帝国外であればグラウエンシュタインの干渉を避けられ、また“正統帝国を守るための戦争”という大義名分も一応は立った。
彼はただ、父とは違う存在であることを証明したい反抗期の子供のまま年を重ね、自身の無能さから目を逸らすために、目的のない戦争へと没入していった。その結果、この戦争は18年にも及び、ようやく彼は自らの無能さを突きつけられることになる。
世界に生まれるのは有能な者ばかりではない。むしろ、圧倒的多数は無能である。王族であっても、それは例外ではない。しかし、無能であることが即ち、世界から不要であることを意味するわけではない。無能な者は無能なりに身の丈に合った生を送り、困難に直面しながらも、互いに支え合って生きている。勝負所のない人生だからこそ、自らの無能さを知ることなく、幸福のうちに生涯を終える者も多いのだろう。
その観点からすれば、フリードリヒ2世という男は不幸であった。
もし彼が責任ある王族でなければ、もし模範としたくない父の下に生まれなければ、もし自身の存在証明という冒険に踏み出さなければ――彼は幸福のうちに生涯を終えられたかもしれない。
だが、彼はそれを自覚してからも、頑固さを捨てることはできなかった。負けを、譲歩を、失政を認めてしまえば、自分の価値が完全に失われてしまうという恐怖に囚われ、彼は真の意味での“無能な厄介者”へと堕していった。
夢を見ること自体は罪ではない。
しかし、多くの者の運命を巻き込みながら、それでもなお自分一人の夢だと錯覚し続けることは、疑いなく大罪であった。
神経衰弱の末に病で床に伏し、玉座にすら座れなくなったことは、その罰と言えなくもない。髪は不健康なまでに白くなり、顔には深い皺が刻まれ、重臣たちの言葉も聞き取れず、明瞭に話すことすらできなくなったのは、単なる老いのせいではなかった。
「父上、お加減はいかがでしょうか」
しかし、それでも彼には一筋の光があった。
王国からも歴史からも必要とされなかった無能な男が、生涯で唯一誇れた功績――それは、王家の寵児ヴィルヘルムの父であったことである。
「ああ……ヴィルヘルム……我が愛しき息子よ……」
しゃがれ声の父王の顔の近くへ身を寄せ、ヴィルヘルムはその美貌を父に見せた。王妃カタリーナ譲りのその顔を目にした瞬間、フリードリヒ二世の瞳には涙が溢れた。
「此度の戦勝……見事であった……」
彼が指しているのは、第四次ノッセル回廊会戦の勝利と、それを契機とした戦争の終結である。すでに3か月も前の出来事であるにもかかわらず、彼はそれを昨日のことのように、何度も何度も噛みしめるように口にした。
「光栄にございます、父上。この勝利は、父上のご加護あってこそのものです」
ヴィルヘルムは、心にもない言葉を口にすることに慣れ始めていた。心は見えない。とりわけ、一方的な人物像を押し付ける相手は盲目と同じである。
盲目の王が何を望み、どのような言葉を求めているのかを理解したうえで、ヴィルヘルムは自身の野望のため、それを躊躇なく用いた。
「父上。私が、父上の夢を果たしてみせます。どうかご覧ください」
真綿で首を絞めるように、渇きを訴える者へ雫を垂らすように、ヴィルヘルムは父に呪いと希望を同時に与えた。その言葉がどれほど甘美であったのか、その心中を完全に理解できる者は誰一人いないだろう。それは、それを口にしたヴィルヘルム自身にとっても同じである。
ただ一つ確かなのは、それが最も有効な戦法であることを、軍事だけでなく政治の才にも恵まれたヴィルヘルムが理解できるほどに、彼は父に似ず、有能であったという事実であった。




