第5章:戦後という動乱③
「――と、このような決着を見て、共和国を我々にとっての事実上の脅威から除外することができた。戦略的勝利と呼んで差し支えない成果だ」
王都ベルデンにあるローゼンベルク軍中央軍本部。その執務室で、中央軍司令官に就任したヴィルヘルムは、大尉へと昇進したジークハルトに一連の顛末を説明していた。
「要するに、“戦争とは戦場だけで決するものではない”ということだ。王国が勝ちきれなかった理由を父上の無能さに求めるなら、共和国は共和国で、その国家構造そのものが敗因だった」
「……よくそんなことが考えられるな。俺にはさっぱりだ」
「お前はそれでいい、ジークハルト。私に軍人としての純粋な戦闘力が乏しいのと同じように、お前に政治的な駆け引きは似合わない。お前は私の戦略を軍事的勝利で支えろ。私はそれを政治的勝利へと昇華させよう」
もっとも、ヴィルヘルム自身も、共和国がここまでの顛末を辿ることを正確に予測していたわけではなかった。停戦協定が清廉なる条件を備えていたのは、決してヴィルヘルムの人格のみを映したものではない。相手側に解釈と議論の余地を残し、それを将来の火種とする意図が、そこには本質として存在していた。可能性として想定し、そうなるように布石を打ってはいたが、すべてが計算通りに進むことなど望んでいない。
人を完全に操れない以上、人の集合体である軍や国家を思い通りに動かせるなどという傲慢を、ヴィルヘルムは持ち合わせていなかった。
――万全の準備を整え、布石を打ち、事に臨んでは大胆に行動し、起きた事態には柔軟に対処する。
それこそが世界に干渉する側の人間に必要な資質だと、彼は師から教えられてきた。それを実践することの困難さを誰よりも理解しながら、なお体現してきた男こそがヴィルヘルムであった。
その堂々たる態度に、以前にも増して不思議な魅力が宿ったように、ジークハルトには見えた。
「でも、共和国はこれで終わりってわけじゃないんだろ?お前のことだ」
「当然だ。あらゆる事態に対する布石は、いくらあっても足りない」
そう言ってヴィルヘルムは、一枚の手書きの地図を取り出した。
「……ヤンが手に入れた敵基地の配置図か」
「ああ。今回の勝利はピレツキの働きが大きい。奴がブジェゴフカ兵站基地の情報を持ち帰らなければ、お前の作戦は成立しなかった」
「そういえば、あいつはどうした?作戦が終わったら解放する約束だったろ」
「約束通りだ。だが、面白いことに、私の下で働かせてほしいと言ってきた」
その時の光景を思い出し、ヴィルヘルムは小さく笑った。
第四次ノッセル回廊会戦の終結後、撤収準備が進む中で、ヴィルヘルムはヤンの窃盗未遂や不法侵入を記した記録書を、その場で焼却してみせた。ブジェゴフカ兵站基地に潜入し、配置図と情報を持ち帰った功績は、罪を帳消しにして余りある。
自由の身となったヤンに行き場はなかった。再びコソ泥として生きるよりは幾分ましだと考えたのか、彼はヴィルヘルムの配下に加えてほしいと懇願した。その惨めな姿の奥に、「現状から抜け出したい」という切実な願望と、かすかな野心を見出し、ヴィルヘルムは彼を対共和国戦略の一環として受け入れたのである。
「今は“パトリク・ミハウスキ二等兵”として共和国軍に潜入中だ」
「内戦真っ只中だろ。生きていけるのか、あいつ」
「さてな。運と、その妙に惨めな風貌に期待するとしよう」
ジークハルトは、ブジェゴフカで共和国軍に見つかりながらも任務を果たし、涙と鼻水まみれで生還したヤンの強運を思い出した。曰く、あまりに軍人らしくないため、新兵と勘違いされて気遣われたらしい。その不可解な理由に、以後彼には少しだけ優しく接することにしたほどだ。
「内戦でも敵に助けられそうだな」
「生き延びていれば、また会うこともあろう。もっとも、その日が来れば、だが」
「……ひどいな。あの司令官も用済みか?」
「ブレンデル大将のことか。私に従順であるうちは使える。気に食わないが、無能ではない」
第四次会戦の功績で大将に昇進したブレンデルは、その地位すらヴィルヘルムの胸一つであることを理解していた。以来、彼は従順な駒として生きる道を選んだ。
停戦条件に東部方面軍の大半撤収を盛り込んだのも、共和国の警戒心を和らげ、維持費を削減するためであると同時に、ブレンデルの手駒を減らし、その兵を中央軍へ編入する狙いがあった。
終戦後、ブレンデルは国境警備と停戦連絡局の責任者を兼ねることとなり、かつて横領資金で建てた屋敷は連絡局本部として接収された。彼は完全に首輪を付けられた存在となったのである。
一方、ヴィルヘルム戦闘団には勲章と昇進が相次いだ。身分を問わず、戦功を正当に評価するその姿勢は、ヴィルヘルムが真の実力主義者であることを周囲に示していた。
やがてヴィルヘルムは、伝統に従い中央軍司令官に就任する。かつては千名規模の部隊しか指揮できなかった彼が、今や5万の兵を率いる立場となったのだ。さらに東部方面軍を編入すれば、王国軍の半数が彼の指揮下に入る。
――ヴィルヘルムの時代は、すぐそこまで来ていた。
だが、彼の野望はそこで終わらない。
「次は王位継承戦争だ。兄ルートヴィヒを退け、私が王になる」
どれほどの理想と才能を持とうとも、誰かの下にいては自由に事は成せない。その現実を、ヴィルヘルムは幾度となく思い知らされてきた。
「これからも働いてもらうぞ、ジークハルト。我が“狼”よ」
「……前から思ってたんだが、なんで俺を狼って呼ぶんだ?」
灰色がかった髪を指で弄ぶジークハルトに、ヴィルヘルムは微笑んだ。
「創世神話によれば、この世界を創った神は狼に育てられたという」
「比喩だろ?」
「そうだ。神を導いた存在としての狼だ。私は――誰よりも強いお前を、私の狼にしたかった」
「荷が重いな。神にでもなるつもりか?」
「神も悪くないが、私の望みはもっと現実的だ」
開け放たれた窓から風が吹き込み、ヴィルヘルムの白金の髪が揺れた。
「私は“皇帝”になりたいのだ、ジークハルト」
この言葉は公式記録には残らない。
だが、ジークハルト・フォルラートは、確かにその野望を聞いたのだと、後に語ることになる。
これにて【白金王子と灰色狼】編は完結となります。ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
明日20時に投稿予定の話では、第1編終了後の主要キャラクターたちの後日談や小話に加え、今後展開される物語に影響する人物設定集などをお届けします。第1編を終えた彼らのその後が気になる方は、ぜひご覧ください。
続編は現在鋭意制作中で、来週には投稿を開始したいと考えています。
引き続き、彼らの旅路を見守っていただけましたら幸いです。




