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第5章:戦後という動乱②

 貴族院議員アレクサンデル・ラジヴィウは、目の前で繰り広げられる演説に頭を抱えながら聞いていた。壇上に立つのは市民院議員マテウシュ・ジェリンスキである。


「この停戦は王国の甘言であり、罠です!奴らは停戦協定と銘打った策で我々を油断させ、再び侵略の魔の手を伸ばしてくるに違いありません!であるならば、我々はさらなる軍備の強化と、王国への攻撃を視野に入れるべきなのです!共和国万歳!」


 雄弁で知られるジェリンスキの演説は一般市民の人気が高く、それが彼を議員へと押し上げた原動力でもあった。しかし、この場においてその弁舌は、多くの議員に不快感を抱かせていた。拍手を送っているのは、同じ市民院の派閥に属する者たちだけである。


 ラジヴィウは小さく首を振り、席を立って意見を述べた。それは感情論ではなく、事実に基づく指摘であった。


「しかし、王国軍はすでに国境付近に展開していた軍団の大半を撤収しています。停戦条件の一つである停戦連絡局も問題なく機能し、現地で撤収を確認した議員も少なくありません。加えて、この停戦はあのフリードリヒではなく、清廉と評される王子ヴィルヘルムの主導によるものです。全面的に信用するつもりはありませんが、少なくとも彼は約束を果たしている。それを破れば、今度は我々こそが不誠実の汚名を着せられるのではありませんかな」


 この発言には、貴族院のみならず市民院の一部からも同意の声が上がった。市民院が一枚岩の好戦派でないことは明らかであった。だが、ジェリンスキは即座に声を荒げて反論する。


「それこそが罠だと言っているのです!停戦協定書をご覧になりましたか?あれを一体、誰が信じるというのです!戦の勝者が提示する条件としては、あまりにも無欲すぎる! 我々を油断させ、奇襲を仕掛けるための布石にすぎません!共和国万歳!」


 主張を変えようとしないジェリンスキを見て、ラジヴィウは決定的な事実を突きつけた。


「信じるか否かの問題ではありません。その停戦協定に署名したのは、要塞政務監ラドムスキ議員でしょう。あなたと同じ、市民院の人間ではありませんか」


 その言葉に、ジェリンスキは唇を噛み締め、沈黙した。この事実こそが、彼にとって最大の弱点であった。主戦論に同調する同胞であるラドムスキを要塞政務監に据え、有事の口実を得ようとしていた矢先、そのラドムスキ自身が主戦派に不利な既成事実を作ってしまったのである。


 沈黙を選んだジェリンスキを前に、ラジヴィウは議論を建設的な方向へと進めた。議会に席を占めて20年、幾度もの戦争と危機を見てきた重鎮として、彼は共和国の進むべき道を語った。


「確かにローゼンベルク王国は、長年にわたり我々の敵でした。しかしその敵と戦うことに執着するあまり、我々は国民、国家予算、産業基盤を失い、18年もの歳月を費やした。そして認め難い事実ですが、共和国軍はヴィルヘルム王子に敗北したのです。彼は父王とは異なり、理知的で合理的な人物に見える。もし今後の王国が彼のような男によって統治されるのなら、我々は彼とともに歩む道も視野に入れるべきではないでしょうか」


 昨日までの敵を、明日の友とすることは容易ではない。しかし、感情を優先するだけでは政治とは呼べない。王国の感情的専制を批判するのであれば、理性を標榜する共和国はそれ以上に理性的であるべきだった。戦時であれば弱腰と取られかねない主張も、戦後という状況においては現実的で冷静な判断として受け止められた。少なからぬ拍手が、それを物語っていた。


 拍手の響く議場で、ジェリンスキらは不穏な表情を浮かべていた。


 その夜、元要塞政務監ラドムスキが暗殺されたとの急報が届く。実行犯はローゼンベルクから送り込まれた刺客であり、その場でジェリンスキらによって取り押さえられ、即座に始末されたという。


 翌日の議会でこの報告を鵜呑みにする者はいなかった。ラドムスキは邪魔な存在となったために殺された――誰もがそう考えた。しかし、ジェリンスキは惨劇を、まるで悲劇の舞台を語る役者のように演じた。


「我が同胞ラドムスキ議員は、息絶える前に私の腕の中で真実を明かしたのです。『あの停戦協定は偽りであり、力づくで署名させられた』と。彼は何度も撤回を求めましたが、王子はそれを疎ましく思い、彼を暗殺して真実を葬ろうとしたのです。ああ、なんと無念なことか……」


 その茶番に辟易する議員は多かったが、ジェリンスキは創作を真実として語ることにおいて、比類なき才能を発揮した。その弁舌は議場の外へも及ぶ。脚色された物語は市民の前で語られ、「和平を模索していたラドムスキは王国と、それに通じた貴族院によって殺された」という筋書きが広められた。主張の整合性や真偽など問題ではなかった。激情を帯びた言葉に触発された市民たちは、貴族議員の住まいを襲撃し、「ジェリンスキの下で真の共和制を!共和国万歳!」と叫んだ。


 この事態に直面し、ラジヴィウをはじめとする多くの議員は、自らの見通しの甘さを悔いた。


 治安回復のため、警察と軍が動員されたことで事態は不可逆的となる。それらは即座に“弾圧”と呼ばれ、市民たちの目に焼き付いた。議会への批判は激化した。たとえ信じられたものが虚偽であったとしても、それが発信され、人々の感情に火がついた時点で、共和制は変質を免れないのかもしれない。


 折悪く、その時期は市民院選挙と重なった。圧倒的支持を集めたのは、“愛国者ジェリンスキ”であった。風向きを読んだ議員たちが次々と彼の派閥に合流し、市民院は瞬く間にジェリンスキの支配下に置かれる。


「共和国はいまこそ真の市民共和制を追求すべきです!貴族ではなく、国を思う市民の手で国家は運営されなければならない!それが私の使命です!共和国万歳!」


 ジェリンスキは、かつて果たされなかった市民共和制の野望を掲げ、貴族院議員の粛清を開始した。この一連の騒動は後に『ジェリンスキの乱』と呼ばれる。


 しかし、すべてが彼に屈したわけではない。ラジヴィウもまた、その一人であった。所領と税収、そして兵となる民を有する貴族たちは議会を離脱し、独自の軍を編成して対抗する。


「民を扇動し、果てなき戦争へ導く悪辣な政治屋ジェリンスキを排除せねば、共和国は滅びる。我が下に集え、真の愛国者よ」


 ラジヴィウは『正義院』と称する議会を立ち上げ、自らこそが真の共和国議会であると宣言した。戦争継続に疑問を抱く者、ジェリンスキの手法を嫌悪する者が集い、やがて一つの勢力となっていく。


 ここで触れておくべきなのは、かつての内戦の反省から、共和国軍は権力者ではなく“議会の命令”にのみ従う存在として規定されていたという事実である。


 では、複数の議会が存在し、それぞれが命令を下した時、軍は何に従うのか。ジェリンスキの市民院に従う者もいれば、反戦派の正義院を支持する者もいた。「その議会とは何か?」という問いに、明確な答えを持つ者はいなかった。


 国家としての統一を失い、思想と利害によって武力が分裂した状態――それを人は“内戦”と呼ぶ。


 火種は以前から燻っていたが、決定的に油を注いだのは、ヴィルヘルムの軍事的勝利と停戦協定であった。そしてその発端を忘れたまま、共和国民は再び戦いへと身を投じていく。これはヘルマンの言う“共和国の世論を挫く”とは形を異にしていたが、対ローゼンベルクの世論と余力が事実上消滅したという点において、その見解が誤りでなかったことを示す結果となったのである。

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