第4章:第四次ノッセル回廊会戦⑧
「悪い。遅くなった」
停戦協定交渉を終え、天幕を出たヴィルヘルムを待っていたのは、別働作戦から帰還したジークハルト率いる選抜特務中隊の面々だった。彼らは汗と埃にまみれた軍服を身にまとい、誰もが疲労の色を隠せない表情を浮かべている。
本来、この特務中隊はブジェゴフカ後方基地を攻撃した後、西へ転進し、ノッセル要塞の包囲作戦および総攻撃に合流する予定だった。しかし、基地壊滅後も外部との連絡を試みる共和国駐屯部隊の妨害と追撃に想定以上の時間を要した結果、要塞包囲作戦には間に合わなかったのである。
「いや、十分すぎる働きだ。誇れ」
ヴィルヘルムは遅延を咎めるどころか、むしろ彼らを称えた。
選抜特務中隊は本隊から遠く離れた地での行動を任されていた。大きく迂回する山道を行軍し、数日にわたって劣悪かつ過酷な環境下で作戦を遂行。重要目標である後方基地の破壊と連絡橋の爆破、さらには敵部隊を分断する作戦を成功させたうえで、半日以上かかる街道を強行軍で踏破してきたのだ。精鋭とはいえ、それを成し遂げたのはわずか百名である。
その間、両者の連絡や通信は一切なかった。司令本部を持つ大所帯の本隊とは異なり、別働隊は完全に情報から隔絶され、不安と隣り合わせで戦っていた。もしノッセル要塞への攻撃が失敗し、本隊が態勢立て直しのため撤退していれば、敵地後方に展開する特務中隊は孤立し、共和国本国と要塞からの援軍に挟まれ、圧倒的な数の前に潰されていた可能性もあった。
それでも彼らは本隊を、そしてヴィルヘルムを信じ、この会戦の勝因となる任務を命懸けで果たした。結果として戦争を終結へ導いた大きな一因である。称賛こそされるべきで、非難される理由などどこにもない。
その言葉を聞き、ジークハルトはほっと息を吐いた。疲労の色は彼の表情にも濃く、戦場の高揚が抜け落ちた目で、主戦場となったノッセル回廊をぼんやりと見渡す。
「終わったんだな……」
「ああ、終わった」
「望んでいたはずなのに、あんまり実感が湧かないな」
「戦争の終わりとは、おおよそこのようなものだろう。戦場の華々しさとは無縁の、紙の上での決着だ」
「それで本当に終わったって言えるのか?」
「シュトラウセンの講義を思い出せ。この戦争に勝つ方法を」
「“共和国の世論を挫く”、だったか……要塞と後方基地の陥落で、そこまでいくのかね」
「それはこれから次第だ。なに、種は蒔いた。芽吹くのを待つとしよう」
ヴィルヘルムは右手を差し出した。
「ありがとう、ジークハルト。お前のおかげで勝ったようなものだ」
ジークハルトは何気なく、しかしわずかに照れくさそうに、その手を握り返す。
「言っただろ。お前の夢を聞くために戦ってやるって……その夢とやらは、もう話せそうか?」
固い握手を交わす二人の姿は、初めて出会ったときと同じ構図だった。あの頃より背丈は伸び、階級や立場も変わり、顔立ちは大人びた。それでも二人は、変わらぬ情熱と誓いのもとを歩み続けてきた。そして今、目指していた戦争の終結を成し遂げたのである。
そろそろ報酬を求めてもいい頃合いだろう、とジークハルトは思った。
ヴィルヘルムは美しく微笑み、静かに口を開く。
「ああ。この勝利で、ようやく自分を認めることができた。それもすべて、お前のおかげだ、ジークハルト」
蒼穹を思わせる深い色の瞳が、確固たる意志を宿して煌めいている。それを正面から受け止めた瞬間、ジークハルトの全身に総毛立つような興奮が走った。
彼がヴィルヘルムを友として信じる、根源的な理由がそこにあった。
「だが、ここでは話せないな」
「もったいぶるなよ」
「今は、あちらを先に片づける方が賢明だろう」
「は?」
視線を逸らしたヴィルヘルムの先には、怒り心頭のシャルロッテと、その隣に立つハンスの姿があった。シャルロッテは地面を踏み鳴らしながら近づき、勢いよくジークハルトの胸倉を掴む。
「ジーク!臼砲を置きっぱなしにしてきたって本当⁉どうするのよ、あれはうちのものなの!失くしたって知れたら、私がお父様に怒られるんだけど⁉」
「あれ、小さい割に重いんだよ。行きはともかく、帰りは邪魔でさ。一旦置いてきただけだ。あとで取りに行けばいいだろ」
「じゃあ、アンタが行きなさい!それから、ちゃんと磨いて返しなさい!」
「嫌なこった。俺は撃ってないんだ、ハンスたちにやらせればいいだろ」
「子供か、アンタは‼」
取っ組み合いを始めた二人の、いつも通りの光景に、士官学校時代からの仲間たちは戦場から“日常”へ戻った感覚を覚えた。勝利のために技術を磨き、戦場でそれを存分に発揮した戦友同士であるはずなのに、目の前で繰り広げられているのは、まるで兄妹喧嘩のような騒ぎだ。その場違いな空気に、周囲の兵士たちも自然と肩の力が抜けていった。
その光景を見つめながら、ヴィルヘルムは黄昏の光に包まれていた。
「本当に……お前たちのおかげなのだよ」
4年前と同じ場所。
しかし、そこに広がる景色は、あの頃とはまるで違っていた。
ヴィルヘルムは、その違いを噛みしめるように、静かな感慨に浸っていた。
続きの話は、明日13時に投稿予定です。




