第4章:第四次ノッセル回廊会戦④
時を同じくして、視点をヴィルヘルムたちから東へ移せば、そこには曙の淡い光の中に佇むジークハルトの姿があった。彼の周囲には配下の仲間たちが身を寄せ合い、鋭い眼光と鍛え抜かれた戦士の面構えは、さながら群れなす狼を思わせる。
「時間だ。始めるとしよう」
ノッセル回廊でシャルロッテ率いる砲兵隊が砲声を響かせた、そのほぼ同時刻。ジークハルトは指揮下の特務部隊『選抜特務中隊』に作戦開始を告げた。命を受けた兵が起爆装置を作動させると、グルジャヴァ川に架かる“富が通る橋”と呼ばれる石橋が根元から爆散する。自重を支えていた石材は、轟音を立てながら次々と崩れ落ちていった。
「よし、第一段階の任務は成功だ。……次が本命の第二段階だ」
高く掲げた右腕を振り下ろし、ジークハルトは叫ぶ。
「攻撃開始!」
合図と同時に、山の植生に隠されていた砲が一斉に火を噴いた。数秒後、ブジェゴフカ後方基地の奥で爆音が轟き、細かな火柱と噴煙が立ち上る。
爆音は確かに基地の奥で弾けた。だが、それは決定打には程遠い。
黒煙は上がったものの、建物は未だ健在である。
誰もがそれを理解していたが、口に出す者はいなかった。
「1発目を外してるぞ、ハンス。ちゃんと数学は勉強したのか?」
「やってるっての!砲兵の姐さんも言ってただろ、1発目は期待するなって!」
ジークハルトのすぐ近くの砲に就いていたハンスは、鍋を傾けたような奇妙な形の大砲に火薬を詰めながら、階級差も忘れて噛みついた。
「本命は2発目だ。弾道計算が終わった砲組から修正射に入れ。目標は弾薬庫と弾薬集積所」
命令を受けた各組は、計算尺と弾道表を見比べながら、小型臼砲の仰角を調整していく。砲身は異様に短く、それでいて臼のように大きな砲口を持つ特殊な砲――彼らはこれを分解し、数人がかりで山を越えて運んできたのだ。
「準備の整った組から、各個に撃ち方始め!」
斜め上空へと口を向けた臼砲が、大きな放物線を描いて砲弾を吐き出す。標的となった建物には、まるで空から砲弾が降り注ぐかのような攻撃が加えられた。
先ほどよりも集弾は安定し、確実に目標へ届く弾が増えていく。
「まだだ。もう1発撃ち込め。あそこは、俺たちがやらなきゃ意味がない」
ジークハルトの口調は、いつになく冷静だった。距離を取った砲撃戦であることも理由の一つだが、実際には、内心の焦りを押し殺すための仮面にすぎない。
「……爆薬が使えりゃ、一発なんだがな」
呟きは砲声に掻き消され、誰の耳にも届かない。持ち込めた砲弾は限られ、臼砲による砲撃以外に確実な手段はなかった。好機を逃せば、勝機は潰える。
砲弾は既に空へ放たれている。
あとは落ちるのを待つだけだった。
誰もが、無意識に呼吸を止めていた。
その焦燥が単眼鏡を握る手を震わせ、視界を小刻みに揺らした――その瞬間。
ドォォォン!!
1発の直撃を起点に、建物が凄まじい爆発を起こした。衝撃波は目に見えるほど分厚く、1000m離れた彼らの元へも勢いを失わず到達する。
枯葉と土埃が舞い上がり、容赦なく口内へ入り込む。咳き込み、目を擦りながら隊員たちが見たのは、巨大な黒煙と、それを静かに見つめるジークハルトの背中だった。
「……やったぞ、ハンス」
くぐもった声とともに振り返った彼の顔には、久しく見なかった晴れやかな表情が浮かんでいる。ハンスはその視線を追い、物陰から基地――いや、かつて基地だった場所を覗き込んだ。
「……なんだ、ありゃ……」
そこに広がっていたのは、爆心を中心にえぐれたすり鉢状の大穴と、瓦礫と化した建物の残骸だった。
一瞬、誰も声を出せなかった。
勝ったのだと理解するまでに、わずかな時間が必要だった。
「ハンス、これは……爽快だな」
埃まみれの顔で、ジークハルトは少年のように笑う。
「ちまちま火を点けて回ってた頃とは違う。兵站そのものを、根っこから焼き払う火だ」
ハンスは、かつて共に補給路を襲撃していた日々を思い出していた。そして、その頃とは明らかに違う、今のジークハルトの姿を見ている。
「……お前のおかげだ」
「え?何だって?」
一時的に耳が遠くなっていたジークハルトには、その声が届かなかった。少しだけ残念に思いながらも、ハンスは胸の奥に燻っていた思いを、今度は叫ぶ。
「俺が兵士を続けてきたのはな、もう一度お前とこういうことをやるためだ、ジーク!!」
抑えきれず、嬉し涙が溢れ出る。
「お前は絶対に戻ってくるって信じてた!しかも、もっとすげえ男になってな!だから待ってたんだ、この時を!」
耳では捉えきれずとも、その想いは確かに伝わった。だが、面と向かって受け止めるのは気恥ずかしく、ジークハルトは聞こえなかったふりをする。
それを照れ隠しと知っている幼馴染は、容赦なくその肩を叩いた。
「荷馬車襲うより、ずっと効率いいな! 酒も煙草も手に入らねぇけど!」
ゲラゲラと笑う姿を見て、灰色の髪の指揮官も小さく笑う。
「それで戦争に勝てるなら……いらねぇよ」
ジークハルトは小銃を掲げ、部下たちを見渡して声を張り上げた。
「諸君!ついに我々の本領発揮の時が来た。第三段階――派手に行こう!」
ジークハルトに課された任務は、選抜特務中隊を率いて南側山岳地帯から越境し、共和国軍の兵站の要であるブジェゴフカ後方基地を強襲、その機能を停止させることだった。百名を超える部隊を秘匿して動かすため、進軍は大きく迂回する形を取らざるを得ず、臼砲や弾薬、爆薬を携行しての山岳行軍は過酷を極めた。
彼らが最優先としたのは、基地と共和国首都を繋ぐ連絡橋の爆破、そして基地に集積された弾薬の破壊である。これにより共和国軍は援軍を送ることも、要塞防衛戦に必要な弾薬を補給することも不可能となった。
つまりこの時点で、共和国軍は継続的な戦闘能力を失っていた。
だがそれを自覚したのは、要塞内の弾薬が尽き、2万の兵を養う食料を消費し切った後のことだった。
第四次ノッセル回廊会戦の勝敗を決したのは、前線のさらに後方で起きた――たった二つの“爆発”だったのである。




