第4章:第四次ノッセル回廊会戦②
その時間的猶予を、ヴィルヘルムは決して無駄にはしなかった。
「観測所は制圧完了。砲兵隊への追加弾薬補給も完了。作戦の第二段階に移行可能です」
司令官と現場部隊との伝令および情報分析を担当するヨハン・フォン・リッテンベルク少尉の報告を聞き終え、ヴィルヘルムは戦場近くに設置された野戦司令部から次なる命令を発した。
「結構。それでは砲撃開始!最優先目標は敵砲台に変更なし。敵歩兵隊の接近は各歩兵中隊の担当に任せ、このまま畳みかける!」
ヨハンは命令を受けると、直ちに現場部隊へ伝達する作業に移った。信号旗を持った兵士たちが駅伝式に命令を伝え、滞りなく各部隊へ届く。複雑な情報には向かない方法だが、事前に様々な作戦行動パターンを想定し訓練を重ねていたため、伝達速度は訓練通りで、ヴィルヘルムから観測所跡地まで命令が届くのにかかった時間はわずか数分であった。
「司令官から砲撃命令を受託した!これより敵砲台に向け“観測射撃”を行う!砲の仰角上げ、撃ち方用意!」
シャルロッテ・フォン・アイゼンドルフ中尉の号令で、山砲の砲身が一斉に空を向く。まるで砲弾を空に投げ上げるかのように。
「第一射、撃ち方始め!」
山砲は一定の時間差を保ち、順番に火を吹いた。砲弾は塹壕に展開する味方の頭上をかすめ、弧を描いて山肌の要塞群へと落ちていく。しかし、目標の砲台に命中することはなかった。
「着弾位置を記録し、報告しなさい。“修正射”用意!」
修正射とは、初弾の着弾結果をもとに、距離・方向・仰角を調整して再度砲撃する射撃のことである。報告と計算を経て、山砲の調整が完了すると、シャルロッテは第二射を命じた。再び砲声が回廊に木霊する。
「目標1・3命中!目標2は至近弾!」
「よろしい!目標2は引き続き修正射。目標1・3担当の砲兵は“効力射”開始!」
効力射とは、修正射で目標付近への命中を確認した後、射角を維持して続ける砲撃である。小型軽量の山砲では何度も命中させなければ目標を撃破できない。なにせ今回の目標はシャルロッテたちの山砲よりも大口径・高威力の要塞砲である。
砲撃を続けていると、シャルロッテの管理下にない大きな砲声が響いた。数秒後、後方で爆発が起きた。ノッセル要塞からの反撃である。しかし、いずれの砲弾も観測所跡地に陣取るローゼンベルク軍には命中しなかった。
「あいつら、勘で撃ってるのね。まったく、砲兵の名が泣くわ」
シャルロッテはわざと肩をすくめ、周囲の砲兵たちを鼓舞した。過去の事例から、北側からの歩兵攻撃に頼るローゼンベルク軍に対して、共和国軍は観測所の情報を基に南側要塞砲台から超越射撃を行い、容赦ない砲撃を降らせていた。しかし、現在は観測所は崩落し、ローゼンベルク軍が占領している。
「お返しするわよ!観測手、撃ってきた砲台の座標を教えなさい!そこを狙って撃ち込んでやるわ!」
やたらと物騒な言葉を吐くこの若き女性指揮官は、砲兵の名手を自負する家系に生まれ、大砲という武器の頼もしさと恐ろしさを幼い頃から叩き込まれてきた人物である。
だが周囲の誰も気づいていなかった。シャルロッテ自身は、先ほどから足が小刻みに震え続けていたのだ。
意志に反して勝手に動くその足を、彼女は何度も強く殴りつけた。しかし震えは収まらない。それが戦場に立つということの恐怖であり、この場にいるすべての者が等しく抱えている感情でもあった。
だからこそ、シャルロッテは笑った。
指揮官である自分が怯えを見せれば、部下は決してついてこない。鼓舞とは他者に向けて行うものだけではなく、自らを奮い立たせる行為でもあるのだ。
かくして、シャルロッテ率いる砲兵隊の反撃が始まった。
発砲した砲台を起点に、すべての山砲が順番に砲撃を集中させる。非効率で、過剰とも言える射撃――だが、その判断がもたらした戦果は圧倒的だった。
ドンッッッ!!
土砂崩れのように地面が唸る轟音。それは要塞砲台付近に積載されていた弾薬が、山砲の砲撃を受けて誘爆し、周囲一帯を根こそぎ吹き飛ばした音であった。
「やったわね!どの分隊の砲?勲章ものだわ!」
戦場に一瞬の静寂が訪れる。続いて、砲兵たちの笑いがこみ上げた。喜びではなく、極限状態の緊張と恐怖が生んだ奇妙な高揚である。これもまた、人間が極限下で自らの人間性を保つために起こす防衛反応だった。
気丈で怖いもの知らずとして知られたシャルロッテも、戦場の過酷さという洗礼を余儀なく受けたのだった。




