第4章:第四次ノッセル回廊会戦①
4月のノッセル回廊付近では、明け方になると時折霧が立ちこめる。回廊北側に連なる丘陵は湿地質の土壌で水分を多く含み、さらに気温が上昇し始める季節であることが、その主な原因であった。大陸暦1270年4月2日の夜明けは、まさにその気象条件下にあった。
太陽が昇り、大地が日の光を受け止め始めると、放射冷却によって凝結した水蒸気はゆっくりと温められていく。ぼんやりとしていた視界は次第に晴れ、見通せる距離を伸ばしていった。その果てに、塹壕に籠もる兵士たちの目に映ったもの――それは、ずらりと並ぶ大砲の砲口であった。
「撃て!!」
後に捕虜となった共和国軍兵士の証言によれば、その号令は女性の声であったという。彼は、ノッセル要塞北側の観測所を守るために掘られた塹壕の中で夜の寒さに耐え、ようやく朝の交代を迎えた安堵の瞬間に起きた出来事であったと付け加えている。
一斉に放たれた砲弾は、この一帯で最も高い建築物である観測所へと殺到した。壁や柱を穿ち、内部に食い込んだ砲弾は次々と爆発する。突然の予期せぬ猛撃に観測所は耐えきれず、比較的被害の少なかった上層部も自重を支えきれなくなり、軋む音を立てて崩落した。
その場に居合わせた共和国軍兵士たちは、驚愕のあまり身動きが取れなくなった。なぜなら、その衝撃を生み出した大砲を、この地盤の緩い丘陵へ運び込み、運用することなど不可能だと、彼らは自身の経験から確信していたからである。だが、目の前に存在するのは、紛れもないローゼンベルク王国軍の砲列だった。いかに実現性を否定しようとも、大砲がそこにある以上、その現実を認めざるを得なかったのである。
「命中!次弾、散弾を装填!」
陣頭に立つのは、ローゼンベルク王国軍のシャルロッテ・フォン・アイゼンドルフ中尉であった。彼女の号令に従い、砲兵隊は命中の余韻に浸る間もなく次の砲撃の準備を始めた。共和国軍兵士たちが観測所を破壊された事実を受け入れるのとほぼ同時に、砲口から小型金属球を束ねた散弾――通称『ブドウ弾』――が周囲に放たれた。
陸戦最強と謳われたシャルル騎士王軍では、黎明期から大砲が大胆に運用されていた。その功績の一つに大砲を用途に応じて分類し、複数の種類を生み出したことがある。
シャルロッテの部隊が運用するのは『山砲』と呼ばれる小型軽量の大砲で、分解して馬や人力で運搬可能である。北側丘陵の緩い地盤では通常の『野砲』は運搬できず、歩兵支援も困難であったが、山砲なら夜霧に紛れて隠密かつ迅速に展開できる。これにより、共和国軍に察知されずに砲兵隊を配置することが可能となった。
山砲の欠点は威力不足だが、ろくな装甲も施されていない観測所や塹壕の歩兵相手には十分な火力を発揮できる。この特性を活かし、シャルロッテの砲兵隊は的確に観測所を撃破し、その後も塹壕に身を潜める歩兵に示威を示すことができた。
最優先目標であった観測所撃破を達成したシャルロッテの砲兵隊は情け容赦なく、塹壕の生身の歩兵に砲口を向け、躊躇なく砲撃した。石ころサイズの鉄球が目では捉えきれない高速で放たれ、鉄兜を被っていたはずの兵士の頭部を抉った。直後、噴出する血しぶきと鮮血の花が咲いた頭蓋を見た周辺の兵士たちはたちまち戦意を消失した。
「第11歩兵小隊!!俺に続け!!」
本能のままに頭を引っ込め、防御姿勢を取る兵士たちの隙をカールは見逃さず、砲兵隊の後方で控えていた自隊の歩兵小隊を塹壕に突入させた。
着剣した小銃を手にしたローゼンベルク軍の歩兵たちは、縮こまる敵を塹壕内で包囲し、至近距離での容赦のない射撃と銃剣の刺突によって彼らを戦闘不能に追い込む。目の前で死に絶える敵兵を目撃し、一瞬恐怖や罪悪感で動きを止める兵士もいたが、大声で戦果を誇り、常に先頭に立つ“突撃カール小隊長”の姿を見て、彼らは戦闘の熱気に巻き込まれた。銃剣を小銃に装着し、槍のごとく振り回すカール・フォン・ミュラー少尉は、文字通り一番槍の役割を果たし、名誉を総なめにした。
続いて塹壕に突入したエリック・グルーバー少尉率いる第21歩兵小隊は、残存する敵兵を掃討し、戦意を失った兵士を捕虜として確保する。エリックは戦闘不能になった味方の穴を埋め、塹壕を確実に安全化していく。彼らがカールの部隊と合流したことで、観測所周辺の塹壕は完全に制圧された。
ノッセル要塞北側観測所は、実質約15分で陥落した。共和国軍司令部がこの事実を把握し、北側丘陵を占領したローゼンベルク軍に対して反撃を決意したのは、およそ1時間後であった。その時間差は、情報の錯綜と混乱、そして現場最高意思決定者であるノッセル要塞司令官オスカル・ノヴァク大将が目を覚ますまでに要した時間によるものである。




