第2章:ルーカス・クルーガー⑦
エルデンライヒ帝国では、17歳から20歳までの成人男性に対し、2年ないし3年の徴兵と戦時予備役制度が義務付けられている。
これは国家的事業として兵力を確保するための制度であると同時に、帝国臣民としての共同体意識と帰属意識を育む目的も担っていた。
さらにエルデンライヒ特有の制度として、一定期間の兵役を果たした者には政治参加権が付与される。
そのため兵役は、単なる義務にとどまらず、市民としての権利を得るための通過儀礼としても広く受け入れられていた。
とはいえ、すべての者が進んで戦場に赴くことを望んでいるわけではない。
軍人という職業が尊敬される空気は確かに存在するが、それでも古今東西、兵役を逃れようとする者が絶えることはなかった。
後世には良心的兵役拒否が制度として認められるようになるが、この時代にその概念はない。
兵役拒否は犯罪であり、前線においては死刑すら科される重大な違反であった。
最も一般的な回避手段は、病気や障害の偽装である。
故意に負傷したり、精神異常や身体的欠陥を装ったりする例は後を絶たなかった。
とりわけ精神異常は判別が難しく、多くの場合で兵役免除が認められたが、エルデンライヒではその代償が大きい。
該当者は通常の社会生活にも支障があると見なされ、就労に厳しい制限が課される。
さらに虚偽が発覚した場合には、重い刑罰が科された。
一方で、制度として認められた免除も存在する。
代表的なのが、『特定技能保有者』である。
経済や産業を支える高度技能者は兵役を免除され、また大学など高等教育機関に在籍する学生も一時的な免除対象とされた。
彼らは帝国の生産力を担う人材として、特に財務相アーデルハイトの主導のもと手厚く保護されていた。
さらに、やや特異な抜け道として「志願兵になる」という選択もあった。
一見すると矛盾しているが、これは合理的な制度である。
徴集兵は短期間の勤務に限られるため、高度で専門的な兵科に就くことは難しい。
しかし志願兵は長期の軍務に就くことを前提としているため、専門技能を習得する機会が与えられ、後方勤務に配置される可能性も高くなる。
つまり、軍に属しながらも前線に出ずに済む道が開かれていたのである。
そのため、あえて志願兵を選ぶ者も少なくなかった。
そして、エルデンライヒ=サンテルラン戦争という総力戦の只中にあった当時、前線に立たずに済む“安全な軍務”が存在していた。
それが『エルデンライヒ帝国海軍』である。
当時の海軍はまだ創設期にあり、実戦に耐え得る戦力とは言い難かった。
その多くは訓練段階にあり、前線に投入される見込みも薄い。
ゆえに、同じ軍務でありながら戦闘の危険が比較的少ない部署として認識されていたのである。
結果として、創設期にもかかわらず人員の確保に苦労することはなかった。
もっとも、それはこの組織の長である海相ライナーにとって、頭を抱えたくなる状況でもあった。
「まったく、近頃の若者ときたら……」
ローゼンベルク王城内に置かれた陸軍省と比べれば、海軍省の規模はあまりにも小さい。
当時それは、キルベックの港町の一角にある屋敷に設置されていた。後に帝国海軍艦隊司令部となる場所であるが、この時点では海軍関連の部署がすべて集約される程度の規模に過ぎなかった。
その長として、ライナーは帝国海軍の創設と錬成に心血を注いでいた。
だが、彼自身に艦隊運用の経験はなく、さらに寄せ集めの人材をどう扱うべきかという問題にも日々頭を悩ませていた。
「やっとセプテンデルから艦艇が届いたというのに……肝心の扱う人間が揃っていないようではな」
海軍大臣に任命されたあの日。
皇帝ヴィルヘルムから告げられた言葉――キルベック軍港砲撃事件の責任は、海軍創設によって贖え――それが、今も彼の背を押し続けていた。
かつてライナーは、先王フリードリヒ2世の不興を買い、貴族位を剥奪されたうえで、キルベックにおける情報収集と国境検疫という閑職に追いやられていた。
危険も名誉もない職務に甘んじる、いわば斜陽の軍人であった。
だがヴィルヘルムに見出され、旧ローゼンベルク王国軍にわずか6人しか存在しなかった軍団長の一人へと抜擢される。
その恩がある以上、今さら投げ出すわけにはいかない。
それでも、多忙に追われる日々の中で、ふと、かつての静かな職務を懐かしく思ってしまう瞬間があった。
「またそんな顔をしておる。お前を見ていると、こっちまで気が滅入るわ」
気安くぼやいたのは、ある意味でライナーの“相棒”とも言うべき男だった。
「ダルブルク司令長官……大臣執務室でくつろぐのはやめていただきたい」
「いずれ儂の部屋になるのだ。細かいことを言うな」
ライナーの抗議を意にも介さず、オイゲン・フォン・ダルブルクは立派な顎髭の手入れを続ける。
彼こそ、エルデンライヒ帝国海軍初代艦隊司令長官――ダルブルク海軍大将である。
ライナーとダルブルクの関係は、海軍創設から始まったものではない。
キルベックがエルデンライヒに併呑される以前から、港湾や海上交易に関する情報提供者として、ダルブルクはライナーに重用されていた。
そして併合の際、真っ先に協力を申し出たのも彼であった。
彼が艦隊司令長官に就いた理由は、単なる縁故ではない。
かつてノルドハーヴァン海軍に属していた経歴を持ち、実務としての艦隊運用を知る数少ない人材だったからである。
エルデンライヒに協力的な海軍経験者は極めて少なく、その中で実戦的な知識を持つ彼が長に据えられるのは、ある意味で必然であった。
二人はしばしば「海軍創設期の二大巨頭」と称される。
だが、私的に親しいわけではない。
仲が悪いというほどではないが、気質が合わなかった。
とりわけライナーにとって、ダルブルクとの付き合いは気苦労の種である。
一方のダルブルクは細事に頓着しない性格で、ライナーに対して特別な感情を抱いている様子もない。
かつて正統ルガルディア帝国で貴族位を持っていたとは思えぬ、粗野で無遠慮な振る舞い。
それが、ライナーの神経を静かに逆なでしていた。
「当面は、再整備されたヴァルデンハーフェンでの勤務となります。艦隊の方は任せましたよ」
「ふん。小さな港町に過ぎなかったあの街が、エルデンライヒのものになった途端、立派な軍港都市とはな」
「仕方ないでしょう。キルベックはノルドハーヴァン艦隊の本拠地に近すぎる。当面は安全な場所で艦隊錬成を――」
「ああ、分かった分かった。何度も言うな。お前の声は耳障りだ」
“粗暴のダルブルク”の異名に違わぬ物言いに、ライナーはこめかみに青筋を浮かべた。
とはいえ、当面ダルブルクが新軍港ヴァルデンハーフェンで艦隊と海兵の育成に当たることは既定路線である。
志願理由も芳しくない海兵が半数を占める現状を思えば、さぞや苦労するだろう――ライナーは内心で、いささか意地の悪い期待すら抱いていた。
自分には海兵の教育などできない以上、任せるしかない。
ならばせめて、思う存分苦労すればいい。
その感情が顔に出ていたのか、ダルブルクはライナーの内心を見透かしたように、皮肉めいた声で言った。
「言っておくがな。海兵は陸の兵士とは勝手が違う。育て方も、求められる資質も、そう単純ではない」
元陸軍大将であるライナーにとって、その言葉は聞き流せるものではなかった。
「戦わずに済むからと志願した腰抜けどもで最強海軍が作れるというのなら、ぜひとも見せていただきたいものですな。くれぐれも――艦隊を全滅させるような真似はしないでいただきたい」
ライナーもまた、精一杯の皮肉で応じた。
そもそも、ダルブルクの指揮していたキルベック艦隊が無事であれば、今さら一から海軍を作る必要などなかったのだ。
責任は大臣である自分が負うとしても、その一端が目の前の男にあることは否定できない。
しかしダルブルクは、相変わらず意にも介さない。
「分かっておらんな。伝統も下積みもないということの価値を」
「艦隊を失った司令長官の言葉は、一味違いますな」
挑発的な視線を向けるライナーに、ダルブルクは淡々と続けた。
「伝統とは、言い換えれば過去への執着だ。それが通用している間はいい。だが、古びてもなお縋りつけば、腐った船のように沈むだけだ」
いかにも海の男らしい比喩だった。
「キルベックの艦隊がそうだ。旧来の戦い方に固執し、抜け出せなかった。戦艦や巡洋艦を相手に、コルベットで正面から艦隊決戦など――愚の骨頂だ」
「……では、集められた海兵たちは違うと?」
わずかに興味を覚え、ライナーは問い返した。
「そうだ。奴らには伝統がない。定石も知らん。そのままでは海に出ても相手にされず負けるだろう。だが――これからの戦い方を見つけられれば話は別だ。伝統という木材でできたノルドハーヴァンの大型艦など、いくらでも沈められる」
「随分な大口ですな。腰抜けにそんな芸当ができるとは思えませんが」
「勘違いするな。今の帝国海軍に必要なのは勇敢さではない。“先を見る目”と“本質を見抜く力”だ。その点で言えば、むしろ上等だ」
要領を得ない言い回しに、ライナーは黙って先を促した。
「つまりだ。海軍に志願した連中は、“帝国海軍はまだ実戦に出ない段階にある”と見抜いたのさ。戦いたくないなら、後方勤務の道はいくらでもある」
「……買いかぶりすぎだ。そこまで考えて志願したとは思えない」
「そのうち分かる。黙って見ていろ」
「……なら、お手並み拝見といこう。やってみろ、顎髭提督」
こうしたやり取りこそが、後に二人が帝国海軍創設期の名コンビと称される所以であった。
ライナーは海軍の実務を知らないがゆえに、現場に口を出さず委ねるタイプの大臣である。
一方ダルブルクは、伝統に縛られない“新しい海軍”を一から作ることに執念を燃やす、豪放な現場指揮官だった。
性質はまるで異なる。
だが――だからこそ、噛み合う。
互いを活かし合う関係とは、必ずしも似た者同士である必要はないのかもしれない。




