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第2章:ルーカス・クルーガー⑤

「先の会戦においては、我らがサンテルラン軍の“勝利”と言えるでしょう」


 対エルデンライヒ戦争におけるサンテルラン総軍最高司令官に任命された陸軍元帥ガブリエルは、シャルル英傑王にそう報告した。開戦以来、大攻勢に乗り出して戦死したラ・ロシュと、失態を演じ更迭されたサン=マルタンという二人の陸軍元帥が姿を消して以降、サンテルラン陸軍の最高位にあるのは、英傑王の信頼厚いガブリエルのみとなっていた。


「ほう、今回は一体何人死んだのだ?」


 だが、忠臣の言葉に含まれた“叙述の罠”を、英傑王は聞き逃さなかった。


「……我が軍の損失が6万、エルデンライヒ軍の損失が推定7万といったところでしょうか」


 先の会戦とは、第四次オーバーロル会戦を指す。そのわずか数日の戦闘で、両軍はそれほどの損害を被っていた。それは、これまでの戦争では想像もされなかった桁の戦死者数であった。


「差し引き1万の勝ちというわけか……」


「その通りです、偉大なる英傑王陛下」


 ガブリエルがこれを“勝利”と評した根拠は、あくまで犠牲者数の差分にあった。


 エルデンライヒ=サンテルラン戦争が開戦した当初、戦線は激しく推移していた。


 ラ・ロシュ率いるサンテルラン右翼軍はエルデンライヒ国境を越えて進撃したものの、敵の罠にはまり戦力の大半を消耗する。十分な抵抗もできぬまま撤退を余儀なくされ、ついには本国国境線まで後退したが、マルネー要塞群によってエルデンライヒ軍の進撃は辛うじて食い止められた。


 一方、サン=マルタン率いる左翼軍は展開地に踏みとどまり、攻勢に出たエルデンライヒ軍を迎撃することに成功する。その勢いのまま反攻に転じ、進撃中だった敵増援部隊と衝突し、現在のオーバーロル戦線を形成した。


 その後の数週間で戦線は大きく動いたものの、やがて急速に停滞する。互いに塹壕線を築き、睨み合いのまま戦況は膠着したのである。


 厳密に言えば、戦線は局地的には動いていた。しかし戦域はあまりに広大であり、投入兵力も桁違いに多かったため、補給能力の限界が前進を阻んでいた。一時的に占領した陣地も、敵の反撃によって容易に奪還される。逆に敵陣地へ踏み込めば、激しい抵抗によって押し戻される。そうした消耗戦が延々と繰り返されていた。


 結果として、開戦からわずか数か月で戦線はほとんど動かなくなった。


 この状況において、戦果とは何を意味するのか。それは敵軍にどれだけ損耗を強いるかという一点に集約されていく。すなわち、自軍の損耗より敵軍の損耗が大きければ、それを“実質的な勝利”と見なすほかなかった。


 果たしてそれを勝利と呼べるのかは疑問であったが、戦争の形態そのものが、すでにそうした価値基準を強いていた。


「我々の優位に働いているのはデュラン機関銃とリュミエール速射砲のおかげか?」


「ご慧眼の通りです。より正確に申し上げれば、機関銃の方であります」


 デュラン機関銃は、この戦争において最も真価を発揮している兵器と言っても過言ではなかった。絶え間ない連射能力を持つそれは、突撃してくるエルデンライヒ兵を容赦なく薙ぎ払う。わずか数名の運用員で、数百、時に数千の兵を殺傷しうる恐るべき兵器である。


 さらに、かつてのボレニア戦争で実戦投入され有用性が確認された有刺鉄線と組み合わせることで、射線はより効率的に最適化された。攻撃経路は制限され、敵兵は銃火の前に晒されることとなる。


 こうした機関銃と塹壕、そして有刺鉄線を組み合わせた防御体系においては、攻撃側よりも防御側が圧倒的に有利であった。この点においてサンテルラン軍は一日の長を持ち、エルデンライヒ軍に対して優位を保っていた。


 しかし、問題がないわけではない。そうでなければ、装備面で優越しているはずのサンテルラン軍が、戦況を決定的に動かせていない理由が説明できないからである。


「しかしながら、最近は機関銃の調達が滞っております。前線での需要が急増しているのは致し方ないとしても、植民地防衛隊からの転用にも限界がございます」


「そのあたりは工業担当大臣に発破をかけよ。一刻も早く機関銃と弾薬の増産体制を整えさせろ」


「しかし、それでは重砲の生産に支障が出かねません。ただでさえ、我が軍には重砲が決定的に不足しております」


 その工業生産力の脆弱さこそ、サンテルランの構造的弱点であった。彼らは広大な植民地を有し、そこから莫大な資源を吸い上げている。しかし、それを兵器へと転化する工業生産力は、必ずしも高水準とは言えない。


 その要因はいくつかあるが、最大のものは社会構造と歴史的経緯にある。


 サンテルラン央王国は本国が肥沃な国土を持つ農業中心社会であり、長らく農業生産を基盤として繁栄してきた。そのため、小規模自作農が広く存在し、土地所有が分散した社会構造が定着していた。この構造は工業化への転換を遅らせ、都市への労働力集中も阻害した。結果として、物資の現地調達に依存する戦時経済の発想が根強く残ることとなった。


 さらに、産業革命期に相当する後騎士王時代において、サンテルランは国内に厄介な政治的対立を抱えることになる。都市労働者層を中心とする自由共和派の存在である。工業化を急速に推し進めれば、彼らの勢力拡大を招きかねないため、国家は意図的に分散的な工業発展を選択せざるを得なかった。これは大規模工業地帯を形成したエルデンライヒとは決定的な差異であった。


 こうした複合的要因により、サンテルランは国家総力戦体制において根本的な工業力の脆弱性を抱えることとなった。


 これを是正するため、サンテルラン政権は植民地や属国からの徴用に加え、本国においても労働力と兵力の総動員を進めている。しかしそれは一朝一夕に成果が出るものではなく、継戦能力には依然として不安が残る状況であった。


 加えて、こうした強硬な政策は国内不満の火種ともなりつつある。王政打倒を掲げる自由共和派の台頭や、属国の不穏な動きにもつながっていた。それらへの対処もまた、ガブリエルの責務の一部であった。


「現状はエルデンライヒ軍に対して装備面および戦闘能力の点で優位に立っています。しかし、それも決して永続するものではありません。彼らもまた、我らのデュラン機関銃の模倣品と思しき兵器を配備し始めております」


「贋作であろう?」


「現時点では。しかし、今後もそうであるとは限りません」


 つまるところ、消耗戦の観点ではエルデンライヒ軍に“劣勢”を強いているとはいえ、サンテルラン軍にも余力があるわけではなかった。仮に1万、2万と多くの損害を敵に与えていたとしても、その絶対的な母数はサンテルランにとっても軽視できるものではない。


 現状の優位は、ひとえに装備面においてエルデンライヒ軍を上回っていることに起因するに過ぎず、その差が今後も維持される保証はない。なぜなら、エルデンライヒは急速な工業化と軍備増強によって、旧正統ルガルディア帝国に取って代わった重工業国家であるからである。


「では、現状の優位を活かし攻勢に出て、エルデンライヒ軍を撃破するほかない……と言いたいところだが、それができぬから困っているのだったな」


「小官の力不足、痛恨の極みであります」


「貴様の責ではない。若く有能な人材は一朝一夕には得られぬ。彼らにそれが果たせぬ以上、現状を打開できる者は限られていよう」


 シャルル英傑王は決して無能な野心家ではない。むしろ彼は、現場指揮官に大きな裁量を与え、それを統合することで戦略的優位を築くタイプの軍略家であった。エルデンライヒのような精緻な参謀組織を持たぬサンテルラン大陸軍を運用できるのは、彼の統率力あってこそである。


 シャルル英傑王が権力を掌握した当初、その臣下の多くは旧来の体制を支えてきた年長の軍人たちであった。現在は、その体制から脱し、若く有能な人材を発掘し、要職へ登用する過渡期にある。


 その一環として対エルデンライヒ戦線にも新進の指揮官が投入されているが、いまだ成果は乏しい。さらに指揮官が頻繁に交代するため、現場には学習の蓄積がなく、過去と同様の作戦が繰り返される結果となっていた。


 今回の第四次オーバーロル会戦においても、過度に無理な攻勢をかけた結果、消耗した隙を突かれてエルデンライヒ軍の反撃を招いている。最終的に戦線は維持され、損害数も敵軍の方が上回ったが、それは指揮の成果というより、戦場構造そのものがもたらした帰結に過ぎなかった。


 もし現状に変化をもたらし得る手段があるとすれば、それは英傑王自らが前線指揮を執ることであろう。事実、彼が自ら指揮した戦いにおいて敗北した例はなく、敗戦の多くは配下への権限委譲後に生じている。


 しかし、その切り札を切ることには、サンテルラン軍、特にガブリエルは慎重であった。確かに英傑王の指揮によって一時的に士気は高揚し、局地的な突破口を開くことは可能であろう。だが、それが戦局全体を覆す保証はない。


 戦争はもはや個々の指揮官の力量で決する段階を超え、国家の総力をもって衝突する段階へ移行しつつある。英傑王による勝利が仮に得られたとしても、それは局地的成果に留まる可能性が高い。


 その場合、英傑王のカリスマによって辛うじて統合されているサンテルラン央王国に綻びが生じかねない。それだけは、絶対に避けねばならなかった。


 ゆえに、この戦争はシャルル英傑王にとっても、決して満足のいく戦いではなかったのである。

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