↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
204/216

第2章:ルーカス・クルーガー③ ⚔

「畜生が…足が…外れない!」


 砲撃の爆風で飛ばされた弾みで、ルーカスは左足を有刺鉄線に絡ませてしまった。防御陣地で多用されるささくれだらけの鉄線は、軍服の繊維に絡まり、彼の身動きを阻害する。蹴ろうが振り回そうが、びくともしない。戦場のど真ん中で、ルーカスは動けなくなっていた。


 砲弾が降り注ぎ、機関銃の的となるその状況は致命的だった。


 周囲を見回して助けを呼ぼうにも、誰も余裕はない。倒れた兵士を平気で踏み越えていく光景を目の当たりにしたルーカスは、自分も生き延びていることを示す必要があった。


 結局、彼が思いついたのは、伏せ撃ちの姿勢になり小銃で射撃することだけだった。突撃中に伏せて撃つのは命令違反や臆病と見なされかねない。しかし、今の状態でできる戦闘行動はそれしかなかった。もし余裕のある兵士がいれば、有刺鉄線を外してもらえる――そんな思いもあっての行動だった。


 バンッ! カチャン!


 ルーカスは小銃の引き金を引き、ボルトを後退させて戻す。次弾が装填される。改良型『フォーゲル小銃FV76』の性能であった。


 従来の単発式FV73では、弾倉装着型の連発小銃に分が悪かったため、エルデンライヒ軍の技術総監部は急遽複数弾装填可能な小銃の導入に躍起になった。サンテルラン軍のルノー小銃に対抗するためである。火薬が黒色火薬から無煙火薬に変わったことで威力は増し、弾丸や薬莢も小型化。小銃に複数弾薬を装填できるようになった。


 射撃に自信のあるルーカスは撃ち続ける。しかし敵兵の姿はほとんど見えない。混乱した戦場で、かぼちゃほどの大きさの頭に狙いを定めるのは至難の業だった。グロスマン軍曹の「途中で小銃を撃とうなどと思うな」という言葉は、単に時間的余裕の話だけではなく、狙ったところで当たらない現実も指していたのだろう。


 それでもルーカスには、撃つしかできなかった。命中させる自信がなくとも、今の自分にできるのはそれだけだった。


 そして、5発撃ち切ったとき、ルーカスは射撃を止めた。


「弾、弾っ……!」


 焦る手で腰の弾薬入れをまさぐる。


 エルデンライヒ軍が制式採用するフォーゲル小銃は、サンテルラン軍のチューブ弾倉型小銃ではなく、アルバレオン軍のボックス型固定式小銃をモデルにしていた。チューブ型は一度に多く装填できるが、再装填に時間がかかる。対してボックス型固定式は構造が単純で故障や作動不良のリスクが低く、コストも抑えられるため、大量生産に適していた。さらに、小銃弾5発をまとめたストリッパークリップで装填すれば速度も速く、携行性も良好である。合理的な設計は、他国に比べて装備が後進であったエルデンライヒ軍の長所だった。


 しかし戦場では、理論通りに事が運ぶわけではない。ルーカスは、普段なら容易いはずの装填作業に手間取っていた。


「震えるな…いいから大人しく、入ってくれ…」


 震える手でストリッパークリップを小銃の機構部に押し込み、何とか弾を装填する。しかし焦燥感のせいで時間は異様に長く感じられた。射撃に自信のあるルーカスですら、それを痛感していた。


 そして、そこで手間取ったことがさらなる追い打ちとなった。


 ドバァン!!


 近くで砲弾が炸裂し、泥を巻き上げる。空中に舞った土砂はパラパラと乾いた音を立て、ベチャベチャと湿った音で地面に落ちた。それらがルーカスに雨のように降り注ぐ。


「…はあっ⁉動けよ、この!!」


 泥は装填中の小銃の機構部にも入り込み、1発目を撃ってボルトを後退させようとした瞬間、動かなくなった。泥が複雑な機構部に入り込み、作動不良を起こしていたのである。


 どうしようもない小銃を叩きながら、ルーカスは悪態をつく。かつて戦果を共に誓った仲間であったはずの自分の小銃に、彼は乱暴に手をかけ続けた。


「ああぁ!もう!誰か!誰か助けてくれぇ!」


 ルーカスは、数分前の自分が聞いたら悶絶しそうな情けない声を上げた。小銃も使えず、身動きも取れない。戦闘の役に立たない自分に、絶望の声を上げるしかなかった。


 しかし、その声に耳を貸す者はいない。戦場の音にかき消されたのではない。誰も、危険を冒してルーカスを助ける余裕などなかったのだ。そして、ルーカス自身も、逆の立場なら助けなかっただろうという残酷な自己理解に至る。無力感に押し潰されながらも、声を上げ続けるしかない。


 数秒だったかもしれないし、数分だったかもしれない。その声がようやく報われる。


「大丈夫か⁉怪我はないか⁉」


 その声に、ルーカスは涙で潤んだ目を擦りながら答えた。


「ああ、怪我はない…有刺鉄線に足が絡まって…」


「分かった!今、切るから大人しくしてろよ!」


 声の主は、ルーカスと同じ二等兵の工兵だった。金属製の有刺鉄線を切断するワイヤーカッターを取り出し、ルーカスを励ます。


「よく頑張った!これを切ったら動けるようになる!」


 恐怖を抱えながらも、勇敢に立ち止まり、助けてくれるその姿に、ルーカスは心から感謝した。


 パチン、パチン――音を立てて有刺鉄線が切れていく。


 その瞬間、ルーカスは目の前の新人工兵を英雄のように思った。彼の役割は戦場で銃を撃つことではない。それでも、その勇気に胸が打たれたのだ。


「ありがとう……ありがとう……」


 思わず涙が溢れ、ルーカスは感謝の声を漏らす。工兵には聞こえなかったかもしれないが、それでも言わずにはいられなかった。


「よし、取れた!これで歩け――」


 その瞬間、工兵の頭を銃弾が貫いた。鉄帽のど真ん中である。


「え……なんで……鉄帽を……被っていたのに……」


 ルーカスは両手で自身の鉄帽を触る。昨夜、右側頭部についた弾痕を確認しながら呟いた。


 鉄帽の本来の目的は銃弾を防ぐためではない。それをするには首が折れかねない重量を必要とするからである。砲弾の破片や衝撃から守るためのもので、銃弾にはほとんど無力である。昨夜ルーカスが助かったのは、偶然の角度と位置のおかげに過ぎなかった。


 無論、そんな理屈など瞬時に理解できず、ルーカスはただ混乱していた。すると、先ほど飛び出した塹壕の方からラッパの音が聞こえた。


「突撃停止の……ラッパだ……」


 当時、兵士個人に通信機はなく、大規模な命令伝達には軍用ラッパが用いられ、曲調で命令を理解していた。


「おい……お前……撤退の合図だ……早く下がれ……なあ、おい!」


 すでに絶命している若い工兵の身体を揺すりながら、ルーカスは声を荒げるがそれに対する返答はなかった。


「早く下がれ……命令だぞ……塹壕に戻るんだ……」


 混乱の中、言葉だけが繰り返され、ルーカスの身体は動かなかった。


 その時、微かに見覚えのある兵士が自軍の塹壕へ引き返していくのが見えた。ルーカスはようやく立ち上がる。


「撤退だ……撤退だぞ……」


 壊れたように繰り返しながら、ルーカスも元来た道を引き返した。手には、共に武勲を立てると誓った小銃はなく、工兵が扱っていたワイヤーカッターだけを握っていた。


 命の恩人の形見のように、それを決して離さぬまま、ルーカス・クルーガー二等兵は退却した。


 これが、大陸暦1277年2月26日~3月2日に勃発した『第四次オーバーロル会戦』の一幕である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。