第1章:開戦⑥
この戦争のエルデンライヒ軍総司令官であるブラウエンが、現状を甘んじて受け入れる人物ではないことは有名であった。彼は猛将として名高いレオンハルト・ブラントに認められ、劣らぬ勇猛さと実力を備えた軍事指揮官であったからである。
膠着した戦線に直面したブラウエンは、前線部隊に命令を下した。塹壕防御陣地をそのまま攻め続けるのではなく、敵軍の後背を衝く形で攻勢をかけ続けることを選んだのである。たとえ一部の戦線が強固であっても、背後を衝けば撃破は可能であると考えたのだ。
参謀本部――特に参謀総長エリアスの立てた作戦を何としても成功させねばならないという強迫観念に囚われていたことも、後に彼の幕僚であった参謀将校が語っている。「とにかくサンテルラン軍を打ち破れ!」と怒鳴るその姿は、かつて帝国盟主大戦で対グラウエンシュタイン主力軍を率いた総司令官と同一人物であることを疑うほどであった。現場部隊に対しては、繰り返し攻勢に出ることを厳命したのである。
無謀とも言える大攻勢をかけたサンテルラン右翼軍を撃退したことでブラウエンは目的の半分を達成していた。しかし、サンテルラン左翼軍の抵抗により、アルツベルク=ローレナウ地域の完全な奪還は果たせていなかった。
だが、この状況で考えることはサンテルラン側も同じであった。
「マルネー要塞の背後を回られぬよう、別動隊を出動させ防御線を構築せよ。敵の攻勢が緩んだ隙に反撃せよ」
敗走した右翼軍の援軍として派遣され、第一次マルネー会戦で勝利を飾り、エルデンライヒ軍の猛攻を完全に食い止めた有能な司令官ガブリエル・ド・ル・フォール陸軍元帥は、全軍にそう命じた。
マルネー要塞群といえども、もとは国境監視用の小規模な要塞陣地の集合体に過ぎない。塹壕や防御陣地も未完成であり、機動力に優れるエルデンライヒ軍が側面に回る可能性は十分にあった。ガブリエルは防御有利が確保された自軍や、壊滅寸前の右翼軍残党を再編し、隙間や側面防御に配置した。その結果、側面攻撃を企図していたエルデンライヒ軍は撃退されることとなる。
しかしガブリエルは、その勢いのままエルデンライヒ軍が占領した地域に攻勢をかけることはしなかった。援軍として駆け付けたヴェルデール防衛軍は予備軍扱いの部隊であり、即時動員できる戦力は限られていたのである。80万の軍勢も、央都ヴェルデールの守りをがら空きにさせるかのようにかき集められた兵士で構成され、近郊の農家の荷馬車や牛車を用いて戦場に送られた兵も少なくなかった。
防御を主眼に置くサンテルラン軍の態勢に対し、司令官から攻勢を厳命されていたエルデンライヒ軍前線部隊は窮地に立たされた。前進すれば集中砲火を浴び、全滅の危険がある。特にデュラン機関銃やリュミエール速射砲は脅威であり、死傷者の多くはこれによるものであると誰も異議を唱えなかった。
命令に逆らうことはできない。しかし前進すれば部隊が壊滅する――幸いにもサンテルラン軍には前進する意志がなかった。現状の戦線を維持し、重砲の到着を待つことが、命令違反ともならない最良の判断である。
現場指揮官たちは特に訓練されたわけでもないのに、示し合わせたかのように各地で同様の行動を見せたのである。
結果として形成されたのは、互いに平行線を描く塹壕と防御陣地によって構築された二本の主要防御線であった。それは北西のオーバーロル戦線から南東のマルネー戦線まで、ついに繋がるまで延長されていったのである。
後方から重砲が到着し、緊急動員された予備兵力が戦線に送り込まれ、戦況を確認するために司令部から派遣された参謀将校が目にした光景は、兵士たちの亡骸が草木のように転がる平原と、互いに掘り進めた土の壁と溝に身を潜める兵士たちの姿であった。
戦場というには、彼らには見慣れぬ光景であった。しかし、エルデンライヒ――より正確にはローゼンベルク出身の古参兵であれば、この光景を「ノッセル回廊」と呼んだかもしれない。塹壕によって隔たれた戦線、互いに砲を打ち合って穴を穿つ戦闘、終わりの見えない長期戦争。それらが、戦場スケールを拡大させた形で広がっていたのである。
塹壕線はついに両国の国境線の長さを越え、国境線が交わるセプテンデル連邦共和国のマールスドレヒト要塞からも見える位置にまで伸びた。中立を宣言し、三鼎条約によって辛うじて立場を保っていたセプテンデルは、高みからその様子を見守ることができた。もっとも、娯楽のつもりで観戦できる戦場ではない。これから展開される光景は、血の気を失うほどの凄惨な地獄であるからである。
「記録を取れ。一切書き漏らすな。これは新しい戦争の形だ」
マールスドレヒト要塞に派遣され、両軍の国境侵犯を監視する任務を与えられたヴァル大佐は、双眼鏡を手放さずにそう語ったという。中立国のこの要塞には各国の観戦武官たちが多数押し寄せ、エルデンライヒとサンテルランという陸軍大国の衝突を目の当たりにした。彼らは、これまで知っていた戦争の形とは全く異なる光景を目にし、時代の移り変わりを肌で実感したのだという。あるいは、それがバラバラに存在していた各勢力が“世界”という尺度で物事を捉える契機になったのかもしれない。それほどの影響力を、この戦争は持っていたのである。
「エルデンライヒ軍を撃退せよ。アルゼーヌ=ロリヴィの奪還だけではない。奴らを徹底的に打ち滅ぼさねば、我が王国の未来に陰が差すことになるぞ。貴様らの働きを余に見せよ」
サンテルラン央王国の主シャルル英傑王は、徹底抗戦を軍に命じた。開戦直後の大攻勢で戦死したラ・ロシュ陸軍元帥の空席を好機と捉え、若く有能な人材を次々と昇進させ、現場指揮に就かせたのである。それは真に英傑王体制と呼ぶにふさわしい、若く活気に満ちた人材によって戦力を補強する布陣であった。
「陛下、更なる動員の御許可を。サンテルランは我ら帝国にとって不倶戴天の敵です。共存は不可能であることが、今回の戦争で明らかになりました。帝国の未来のため、何卒継戦の御許可を」
無論、この戦争を仕掛けたエルデンライヒ陸軍参謀総長エリアスも、同様に徹底抗戦の構えを取った。膠着状態は予想外であったが、サンテルラン軍が防御線を強化し、前線に兵力を増強している現状を確認すると、戦闘を終息させることは不可能と悟った。彼は、対抗するためにエルデンライヒ軍も相応の戦力を投入すべきと具申したのである。
膠着状態に対する停戦の試みは、全くなかったわけではない。失われる命の数を考えれば、ここで両軍が一旦立ち止まることは合理的な判断とも言えた。
だが、開戦からわずか2か月で、両軍合わせて40万人の戦死者が出ていた。
エルデンライヒ軍約22万、サンテルラン軍約18万――ざっと計算しただけでもその犠牲は膨大であった。
国家に恐怖を与える数字もさることながら、それ以上に鮮烈な恐怖があった。すなわち、敵を徹底的に打倒せねば、さらなる犠牲が生まれるという根源的な恐怖。国家の滅亡という社会的現象に対してではなく、強大な武力を持つ敵が近隣に存在し続けるという、生物的に抗えぬ恐怖である。
結果として、両軍は戦いを止めることができなかった。相手を徹底的に無力化するまで、戦争は終わらせられなかったのである。
その病は、国家の首脳部だけに蔓延したものではない。戦争が始まり、流れる血と戦う時間が増すごとに、寒気と高熱を伴って市民層にも感染していったのである。
開戦直後に行われたエルデンライヒ帝国成立を祝う式典において、ある作家は当時の状況をこう記している。
「去年のこの日は町中が帝国成立を祝う催しで溢れていた。しかし今年は戦没者を忍ぶお言葉が皇帝陛下より賜られた。そして翌年になると軍の将軍から戦意高揚の檄文が高々に叫ばれる。まさか、それがさらに数回も続くと教えられたとしても、私は戦争を止めるための本を書く気にはならなかっただろう。帝国のために手にしたペンを置きたくなった理由は、つまりそれである」




