第1章:開戦⑤
「どういうことだ。説明しろ」
参謀総長の不機嫌な問いに対し、その部下である参謀将校たちは皆、押し黙ったままであった。もっとも、彼らが閉口しているからといって、内心まで静まり返っているわけではない。非難の色濃い問いに対し、矢面に立つことを避けようと集団で沈黙するのは、幼稚な反応とも言える。しかし、それも無理からぬことだった。
なぜなら、この場にいる誰よりも状況を把握しているのは、ほかならぬ質問者本人だからである。その彼に対して、改めて説明できる者など、この中にはいなかった。
サンテルランとの戦争が始まって、すでに5週間が経過していた。
それは、エリアスがアルツベルク=ローレナウ地域を奪還するために必要だと計算していた期間である。本来であれば、この期限までに目標は達成され、次に控える真の目的の実行段階について思案を巡らせていなければならない時期であった。
しかし、その計画とは裏腹に、いまだアルツベルク=ローレナウ地域の奪還は果たされていない。
当初の計画は順調であった。
120万の兵力の大半を動員して敢行された、サンテルラン軍による前代未聞の総攻撃。それに対して、サンテルラン右翼軍をエルデンライヒ軍の重砲火力投射地域へと誘引し、圧倒的な火力によって大打撃を与えることに成功したのである。
国境線に沿って横並びに突撃してきたサンテルラン軍前衛はことごとく撃破され、正面火力を失った彼らは敗走した。
エルデンライヒ軍はそれに対し、10個軍団の50万以上の兵力をもって追撃を開始した。サンテルラン軍を削りに削り、彼らが辿ってきた進撃路を奪還しながら国境線を越え、アルツベルク=ローレナウ地域へと突入したのである。
戦線の推移は順調であった。瓦解した大軍の残党は組織的とは言い難い混乱の中で敗走を続け、エリアスの立てた作戦どおりの動きを見せていたからである。
しかし、サンテルラン左翼軍60万はそうではなかった。果敢に前進する右翼軍とは対照的に、彼らは布陣している地点から動こうとしなかったのである。
当初、この動向について参謀本部はサンテルラン軍の作戦行動であると分析した。考えられる構想としては、右翼軍が突出してエルデンライヒ軍を撃破し、その勢いを反転させて左翼軍と挟み撃ちにする、半包囲の態勢を取るのではないかというものである。この分析には一定の妥当性があった。
しかし、それに否を唱えた人物がいた。参謀総長エリアスである。
エリアスは次のように分析した。
「サンテルラン軍の目的は、エルデンライヒ帝国国境を突破して帝国領内へ侵入し、領土を奪取することにある。極端な攻勢主義を採用している彼らが、大規模な半包囲作戦のようなまどろっこしい手法を取るとは考えにくい。そのような作戦を構想し、統制する指揮機構も存在しないはずだ。
敵左翼軍の動向は右翼軍との連携を欠いており、現場指揮官がもたついた結果と見るのが妥当である。よって我が軍は、この敵左翼軍に圧力を加え、攻勢に移ろうとする脆弱な態勢に楔を打ち込み、これを撃退ないし後退させることを目的とした作戦行動を取る」
エリアスの分析は、その大部分において正確であった。
サンテルラン軍には、エルデンライヒ軍のような統一された参謀組織が存在しない。秘匿されている可能性も考えられなくはないが、それにしては戦線の動きがあまりに精細を欠いている。むしろ、戦線の動向から判断するに、現場指揮官の裁量が異常に強い体制――エルデンライヒ軍とは正反対の指揮体系にあると読み取ることができた。
ゆえに、左翼軍が前進しない理由を、現場指揮官の能力や判断力の不足、あるいは補給体制の不備など、すぐには攻勢に移れない不測の事情によるものと見ることには一定の説得力があった。
そして、エルデンライヒ軍が目的を達成するためには、このサンテルラン軍を撃退し、アルツベルク=ローレナウ地域を迅速かつ完全に奪還する必要があった。
当初の作戦では、サンテルラン右翼軍と同様に、前進してきたところを重砲や榴弾砲による集中砲撃で撃滅し、その戦力を減損させたうえで追撃を行い、完全に戦闘力を奪う構想であった。予定どおりとはいかない状況ではあったが、左翼軍をこのまま放置するわけにもいかなかったのである。
この分析には十分な妥当性があり、さらに目的達成には明確な期限が存在した。こうして、エリアスの攻勢案は実行に移されることとなった。
だが、その分析は大部分において正しかったものの、残されたわずかな部分こそが、この状況において最も本質的な要素であった。
左翼軍が前進しなかった理由は、攻勢準備の遅れではない。単に、司令官サン=マルタン元帥が失敗を恐れ、前進を躊躇した結果であった。
そして、サンテルラン軍にはエルデンライヒ陸軍参謀本部のような戦略機関による統制が存在しない。そのため、軍そのものが指揮官の感情一つで動いてしまう余地があった。
この点についてはエリアスの読みも当たっていたが、左翼軍は攻勢に移ろうとする脆弱な態勢にはなかった。むしろ戦闘になった際の損害を最小限に抑えるため、防御を徹底的に固めていたのである。損耗を後から英傑王に咎められないようにするためであった。
こうして、感情的な思惑と合理的に見える判断、そして偶然が重なり合った結果、万全の防御態勢を構築していたサンテルラン左翼軍は、敵を甘く見ていたエルデンライヒ軍20万の攻勢を撃退することに成功した。
それを命じた総司令官ブラウエンが、勝利の美酒に酔うどころか冷水を浴びせられたことは言うまでもない。
しかし彼は、この攻撃の失敗を「戦力の不足」と判断した。そこで攻撃部隊をさらに増強し、30万の兵力を左翼軍へ投入したのである。
重砲の運搬はまだ完了していなかったものの、野戦砲や榴弾砲を急いで前線へ送り込み、不足する火力を補おうとしたのであった。
そこで再び悲劇が起こった。ほぼ同時に前進を開始したサンテルラン左翼軍と、エルデンライヒの攻勢部隊が遭遇戦を演じたのである。
それ自体は戦場では珍しくもない戦闘の形態であったが、問題はその規模であった。互いに攻勢を試みる30万と60万の軍勢が正面から衝突する――そのような戦闘は、それまでの軍事史において前代未聞であった。
野戦であれば敵軍に優位を得られると確信して攻勢をかけるサンテルラン軍。参謀本部と司令官の命令の厳守を言い渡され、攻勢を強いられたエルデンライヒ軍。
両者は膨大な兵力と絶大な火力を投入し、一大野戦を繰り広げた。
これが『第一次オーバーロル会戦』である。
エルデンライヒとサンテルランの戦争において、「双方が攻勢を企図した軍勢同士の衝突」という性質を持つこの会戦は、数少ない前時代的な野戦の一つであった。
結果だけを見れば、それは“引き分け”であった。
前面火力に優れるサンテルラン軍と、砲兵火力に優れるエルデンライヒ軍。とにかく部隊を前進させようと無理な攻撃態勢を取り続けるサンテルラン軍と、味方をも巻き込みかねない距離で砲撃を撃ち続けるエルデンライヒ軍。
戦闘が短時間で終結しなかった理由は単純である。両軍が、あまりにも“多すぎた”からだ。
それまで一つの会戦に投入される兵力は、多くても3、40万程度に収まるのが常であった。ところが第一次オーバーロル会戦では、その最大値の倍以上の戦力が一堂に会していたのである。
――どこを撃っても誰かに当たる。
そう表現しても過言ではない乱戦であった。
そして両軍は一日中戦い続け、日没とともにようやく戦闘を終結させた。しかし、あまりにも死傷者が多く、それ以上前進することができなかった両軍は、夜のうちに塹壕を掘り、防御陣地を築き、野戦砲を敵方へ向けて対峙する態勢を取った。
どちらも退くに退けなかったのである。
こうして『オーバーロル戦線』が形成された。エルデンライヒ=サンテルラン戦争における北西戦域である。
一方、順調に進んでいたサンテルラン右翼軍への追撃戦も、アルツベルク=ローレナウ地域を越え、サンテルラン本国領内へ侵入したあたりで頓挫した。サンテルラン軍の援軍による待ち伏せを受けたのである。
それは、ヴェルデール防衛司令官ガブリエル・ド・ル・フォール元帥率いるサンテルラン軍80万の大軍であった。彼らは、サンテルランがアルツベルク=ローレナウ地域を占領する以前、旧国境線上に築かれていた要塞群と防御陣地を強化した態勢で待ち構えていた。
追撃の勢いを殺せないまま突入したエルデンライヒ軍は、この防御線に激突し、大打撃を被ることとなる。
これが『第一次マルネー会戦』である。
のちに『マルネー要塞群』と呼ばれることになるこの防御線は、コンクリート構造によって段階的に強化されていく巨大な防衛体系であった。エルデンライヒ軍もまた、この防御線に沿って塹壕を掘り、徹底抗戦の構えを見せた。
これが南東戦域――『マルネー戦線』である。
エリアスが説明を求めた理由は、この一連の作戦行動にあった。迅速かつ決定的な制圧を旨として実行された作戦は、当初定められた期限を迎えた時点で、完全な成功には程遠かった。
それどころか、戦線はすでに膠着の様相を呈していたのである。




