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第1章:開戦③

 装備および直接戦闘能力において、エルデンライヒ軍がサンテルラン軍に遅れを取っていることは、参謀本部も十分に理解していた。サンテルラン軍は連発銃であるルノー小銃をはじめ、歩兵突撃を直接支援できるリュミエール速射砲を大量に装備していた。さらにデュラン機関銃は、セプテンデル戦役においてその威力をまざまざと示しており、両軍の間に存在する明確な「装備の差」を象徴する兵器であった。


 この差は経験という面にも現れていた。サンテルラン軍が植民地戦争で数多くの戦闘経験を積み重ねてきたのに対し、成立間もないエルデンライヒ軍は、兵力こそ揃えられていたものの、実戦経験に乏しい軍隊であった。軍隊としての水準に大きな隔たりがあることを、彼ら自身も率直に認めていたのである。


 しかし、この状況について最も真剣に向き合っていたのは、むしろ挑発的な態度を示していたエルデンライヒ参謀本部であった。


 サンテルラン軍は、従来の装備を無煙火薬化するなどの改良を積み重ねる、いわばアップグレード型の兵器体系を採用していた。これに対してエルデンライヒ軍は、同様の手法をとらなかった。そのため、装備面での不利を承知したうえで戦うことを前提とした戦略構想を練る必要があったのである。


 サンテルラン軍のように「使えればよい」という発想で武器を次々と開発し、前線へ無秩序に供給する方式を採用するつもりもなかった。また、アルバレオン軍のように、最高傑作と呼べる兵器が完成するまで開発を待ち続ける余裕もなかった。


 エルデンライヒにとって、武器とは戦争という国家事業を遂行するための最小単位の部品であった。それは芸術品でも、使い捨ての製品でもない。信頼できる道具として設計され、確実に機能することこそが求められていたのである。


 そのため、無煙火薬化された小銃の導入も、セプテンデル戦役でその威力を思い知らされた機関銃の配備も、まだ完全な体制とは言えない段階であった。未完成の装備を抱えたまま、いかにしてサンテルラン軍と戦うか――その問題について、彼らほど真剣に考え続けた者たちは少なかったであろう。持ち得る強みが少なかったからこそ、彼らはそれを徹底的に分析し、計算し、検証する必要に迫られていたのである。


 そして、その結果として導き出された合理的な作戦こそが、サンテルラン軍をエルデンライヒ領内へ深く引き込み、重砲の集中火力によって一挙に殲滅するという構想であった。


 歩兵装備の分野ではサンテルラン軍に後れを取っていたエルデンライヒ軍であったが、火砲、特に重砲の分野においては事情が異なっていた。口径の大きさ、そして配備数の双方において、エルデンライヒ軍はサンテルラン軍を上回っていたのである。


 これは一見すると意外な事実であった。大砲運用の大家として名高いシャルル騎士王の末裔を自負するサンテルラン軍は、歩兵を支援する速射砲の整備には並々ならぬ力を注いでいた。しかし、その一方で、重砲という大火力兵器に対しては比較的軽視する傾向が見られたのである。


 当初、参謀本部の面々はこの方針の意図を理解するのに苦労した。しかしやがて、それがサンテルラン軍の戦ってきた環境に適応した結果であることを悟ったとき、彼らはサンテルラン軍という大陸軍の本質的な特性を見抜くに至ったのであった。


 サンテルラン軍は確かにルガルディア大陸屈指の大陸軍を有していた。戦闘経験という点でも他国軍を凌いでいたことは疑いない。しかし、その経験の多くはあくまで“植民地戦争”という特殊な環境で積み重ねられたものであった。


 植民地戦争において敵となる勢力は、往々にして装備で劣り、大規模な組織的作戦を展開することも少ない。戦闘の大半は直接戦闘であり、持続的な補給体制や重砲による大火力支援が必要とされる場面は限られていた。サンテルラン軍がそうした兵器を軽視する傾向を示していたのは、ある意味で当然の帰結でもあった。


 しかし、それこそが彼らの弱点であった。


「一番から十番まで撃て!」


 番号で統制されたエルデンライヒ軍の重砲「21㎝重榴弾砲」が一斉に火を噴いた。十数㎞先まで届くその火力投射は、無防備にも前進に熱中していたサンテルラン軍の前線部隊に直撃する。


 突然の砲撃に彼らが動揺したのも無理はない。植民地戦争の戦場において、重砲の集中砲火に晒された経験など、彼らにはほとんどなかったからである。重砲という兵器の存在を知らないわけではない。しかし自軍においてそれは、要塞砲や陣地防衛用として少数配備される特別な兵器に過ぎなかった。そのような大火力が野戦において大量に展開されるなど、想像の外にあったのである。


「榴弾砲も砲撃を開始させろ。火力投射範囲内の敵部隊は例外なく攻撃せよ」


 サンテルラン方面軍総司令官ブラウエンは作戦図を見つめながら砲兵部隊へ命令を下した。地図には「火力投射エリア」と書かれた範囲が赤い線で囲まれている。その内部には、サンテルラン軍を示す駒が並んでいた。


 ブラウエンはそれを眺めながら、静かにほくそ笑む。


「今さら気づいても遅い。そこから逃げ出すには、数㎞は走らねばならん」


 この迎撃作戦を立案したのは、参謀総長エリアスであった。


 サンテルラン軍は攻勢主義を戦争哲学とする軍隊であり、その主力は歩兵突撃にあった。優れた小銃と速射砲による瞬間的火力と機動力は確かに脅威である。しかし、その戦術は距離を取った砲撃戦に対してあまりにも脆弱であった。


 その弱点は、すでにマールスドレヒト要塞攻防戦において明らかになっていた。サン=マルタン元帥率いるサンテルラン軍は、彼らにとって常套である歩兵突撃によって攻撃を開始した。しかしエルデンライヒ軍は、自軍の3倍を超える兵力を有する敵の前進を、防御陣地の構築と重砲火力によって撃退することに成功したのである。


 セプテンデル攻略の際、エルデンライヒ軍は前線まで鉄道を敷設し、重砲を輸送する計画を立てていた。洪水によって作戦は一部阻害されたものの、その結果としてマールスドレヒト周辺には大量の重砲が集結することとなった。


 砲兵火力を重視するエルデンライヒ軍の戦術ドクトリンは、ここで明確な強みとして発揮された。そして同時に、サンテルラン軍が歩兵突撃を主軸とする戦術を採ることも確信するに至ったのである。


 この分析をもとに、エリアスは対サンテルラン戦線の配置を修正した。敵軍を最も望ましい戦場へ誘導し、そこで撃破するという構想である。


 大量の重榴弾砲と軽榴弾砲を配置した砲兵陣地が各地に設置され、予備の砲身と弾薬が集中的に補給された。砲列はまるで「鋼鉄の森」とも呼ぶべき巨大な火力陣地を形成していた。


 さらに彼らは測量を行い、自国領土内の地形を徹底的に調査した。地図作成と距離測定によって重砲の射撃地点を事前に計算し、実戦では設定された数値に従って砲撃を行い、わずかな修正を加えるだけで敵を効率的に撃破できる体制を整えたのである。


 その準備は、砲撃を番号で指示できるほど徹底したものであった。


 そしてサンテルラン軍は、まさにその火力発揮地点へと入り込んでしまった。


 歩兵突撃を主軸とする攻勢主義によって必ずそうなると断言できたわけではない。しかしエリアスは、前線に一定の兵力を配置し、適度な抵抗の後に後退を許可すれば、敵軍は追撃してくると判断していた。


 実際、その誘導は驚くほど容易であった。


 もっとも、この構想は前線部隊には伝えられていない。複雑な作戦を実行できるほどの練度がない彼らに詳細を知らせる必要はなかったし、情報が漏れたり、不自然な行動を取られたりすれば作戦は破綻する恐れがあったからである。


 こうした冷徹な判断のもとで実行された誘引作戦は、完全な成功を収めた。そこで失われた兵士の数は、これから砲火の中心に置かれるサンテルラン軍の損害と比べれば、微々たるものであった。


 そして、出番を待ち続けていた重砲群がついに咆哮を上げる。


 その砲火は、サンテルラン軍の前衛集団に壊滅的な打撃を与えた。しかも敵軍は、特定の一点へ縦深をもって突入してきた部隊ではない。前線に沿って横に広がり、面として深く侵入してきた軍勢であった。


 国境線に沿って配置された無数の重砲が、この瞬間、どれほどのサンテルラン兵を粉砕したのか、正確な数を知る者はいない。


 しかし、防御陣地すら築く暇もなく、生身の兵士が数mのクレーターを穿つ砲撃を数㎞にわたって受け続けたとき、いったい何人が生き残れるというのだろうか。


「勝ったな、エリアス」


 有線電話越しに、国境地帯の前線司令部から帝都ベルデンの参謀本部へ、ブラウエンは誇らしげに勝利の報を伝えた。


「お見事です、ブラウエン元帥」


 受話器の向こうから返ってきたのは、淡々としたエリアスの声であった。


「謙遜するな、エリアス。間違いなくお前の作戦のおかげだよ」


 感情の昂りをほとんど見せないエリアスとは対照的に、ブラウエンは笑みを抑えることができなかった。


「さて、それでは作戦は第二段階に移行するということで問題ないか、エリアス?」


 もちろん、このサンテルラン軍迎撃作戦だけが参謀本部の用意した計画ではない。敵戦力を削っただけでは戦争は終わらないのである。


「はい。予定通り“前進”を開始してください」


「承知した」


 ブラウエンは受話器を一度耳から外すと、司令部の幕僚たちに向けて命令を発した。


「作戦通り、10個軍団を前進させろ。サンテルランの右翼軍はすでに壊滅状態だ。さっさと揉み潰してしまえ」


 10個軍団――すなわち50万以上の兵士が、一斉に前進するという意味である。数字だけ見ればサンテルラン軍より少ないようにも思えるが、これほどの兵力を同時に作戦行動に投入するのは、エルデンライヒ陸軍にとって初めての経験であった。


 参謀本部の作戦はこうである。開戦直後はサンテルラン軍に攻めさせ、エルデンライヒ軍に有利な地点まで誘導する。そこで重砲の大火力を集中させ、敵前衛を撃滅する。続いて撤退する敵軍を追撃し、防御態勢を整える余裕を与えないまま殲滅する。


 作戦そのものは、軍事学の常道とも言えるものであった。しかし、それを数十万、さらには百数十万規模の軍勢を相手に実行するとなれば、もはや常識の域を超えていた。


 だが、そのような大規模作戦を奇策に頼ることなく実行してみせるのが、エルデンライヒ陸軍参謀本部の手腕であり、エリアスという“戦場の構成作家”の実力であった。ブラウエンは、ただその構想を忠実に戦場で演じたに過ぎない。


「右翼軍はこれでいいとして、問題は左翼軍だな。てっきり一緒に前進してくるものと思っていたが……」


 ブラウエンは作戦図を見つめながら呟いた。


「現場指揮官が異なるのでしょう。その切れ目が戦力配置の境界線です。敵右翼軍撃破の後、そこへ向けて部隊を進めれば、我々はサンテルラン軍を半包囲する形になります」


 エリアスは落ち着いた声で答える。


「では、押さえとして敵左翼軍にも部隊を前進させるか?重砲の支援は期待できない距離だが」


「……そうですね。この機会に一気に前線を押し進めてしまいましょう。前進しか能がない連中です。恐らく、突撃の足並みを揃えられなかっただけと見るのが自然です」


 確かに、エリアスの分析には一定の説得力があった。指揮官が異なる軍集団、しかも兵力規模が不均一な軍勢であれば、連携を欠いた行動に陥ることは珍しくない。そのような軍隊に対しては、時間を与えずに主導権を握り続けるのが最善の対応である。


 しかし、この時、エリアスは珍しく判断を誤った。


 それは、敵の行動を希望的観測で解釈してしまったことである。


 普段の彼であれば、この敵軍の動きに違和感を覚え、より慎重な分析を行ったはずであった。しかし、この時の彼は、その“いつもなら行うべきこと”を忘れていたのである。


 後になって振り返れば、これこそが綻びの始まりであったのかもしれない。


 ブラウエンもまた、この時気づくべきであった。感度の悪い有線電話の向こうで、エリアスが柄にもなく浮かれていたことに。


 だが、そのわずかな異変は、勝利に酔い始めていたブラウエン自身の浮ついた声によって、かき消されてしまったのである。

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