第7章:火薬庫の余熱④
「ラ・ロシュ元帥も節操がないですな」
その声は、サンテルラン陸軍元帥の一人のものだった。
「サン=マルタンの失態を見て、居ても立っても居られなかったのであろう。これで両者一敗ずつだ。釣り合いも取れよう」
特に興味を示さず、シャルル英傑王は口に酒気を飛ばした葡萄酒を運んだ。
英傑王はアルコールに敏感な体質であったと、サンテルラン宮廷史には記されている。それは珍しい性質ではなかったが、本人曰く「前世で酒をあおって死んだことへの戒めのようなもの」らしい。とはいえ、サンテルランは葡萄酒の名産地であり、献上されるのはほとんどがそれだったため、英傑王は温めてアルコールを飛ばし、ホットワインとして愛飲していた。
「相変わらず陛下はお人が悪うございますね」
普段は人前で酒が飲めない弱点を見せることなどほとんどない英傑王。しかし、その場に居合わせ、ややフランクに話せる者だけが例外だった。
「ガブリエル、余としてはそなたにも戦場に赴いてほしいものだが、このように逸る者ばかりでな。申し訳ないが、貴様には最後の締めくくりを願いたいものだ」
「はい、シャルル英傑王のお心のままに」
そうして恭しく一礼したのは、陸軍元帥の一人、ガブリエル・ド・ル・フォールである。白髪へと脱色された頭髪をアンバランスなオールバックに整え、一房だけ前髪を垂らす姿は大人の色気を醸し出していた。しかし、目を引くのはその外見ではなく、左目付近に残る大きな火傷痕と、そこに埋まった白濁した瞳だった。
彼は先々代アンリ恐怖王の治世から軍人として仕え、自由共和派に容赦のない弾圧を加え「処刑人」と恐れられた若き士官であった。任務中に暴徒から投げられた火炎瓶で左目を失明して前線を離れ、穏健派ルイ調和王の治世下では、植民地方面へ左遷される不遇の期間もあった。
しかし、植民地戦争で出会った王子ルイ(後のシャルル英傑王)に感銘を受け、彼に最も早く仕えた忠臣でもある。英傑王自身も、彼を「ガブリエル」と名で呼ぶ数少ない者の一人だった。その特別扱いは他の臣下の嫉妬を刺激し、ガブリエルはそれに応えるかのように奮闘していた。
「ガブリエル、貴様には当面の間、ヴェルデール防衛司令官の任を与える。対エルデンライヒ戦線の予備兵力であると同時に、この央都に潜む自由共和派のネズミ狩りもしてほしい」
「ハハハ、それは腕が鳴りますな」
アンリ恐怖王の治世で冷酷無比な辣腕を振るったガブリエルにとって、自由共和派の弾圧は朝飯前であった。
「ですが、英傑王陛下。ラ・ロシュ元帥とサン=マルタン元帥の2名のみでエルデンライヒを相手にできましょうか」
「不足あったか?」
「陛下の正式な命令なしで越境攻撃を仕掛ける猪武者と、小国の要塞に陣取る外国軍に遅れを取り、外交では簡単に押し切られてしまう、名ばかりの大貴族です。小官としては少々心配でなりません」
これは他の2名の元帥に対する皮肉であった。
ラ・ロシュ元帥率いる右翼軍は、エルデンライヒ=セプテンデル戦役のマールスドレヒト要塞攻防戦の報を受けて以降、正式な交戦許可が下りないまま国境を越える独断行動を続けていた。規模は小さく、問題になるほどではなかったものの、誇れる戦果は一つも上げられていない。そして、その動きはエルデンライヒ軍、特に参謀総長エリアスの開戦論を後押ししていた。
一方、サン=マルタン元帥率いる左翼軍は、要塞占領もエルデンライヒ撃破も果たせず、停戦交渉においても皇帝ヴィルヘルムとセプテンデル元首タイスに外交的優位を取れず、軍事的にも政治的にも敗北した。
確かに2名だけでサンテルラン軍180万を率い、エルデンライヒを打ち破るのは力不足に見えた。
だがシャルル英傑王は、ふふと笑い、近臣に心境を明かした。
「余としては、余の治世にふさわしい、新しき時代の有望な将の到来を見たいものだ。そのためには新陳代謝が必要。固く悪臭を放つ皮膚であっても、塵芥を防ぐ程度には役立とう」
実のところ、英傑王は2名の元帥に過度な期待をしていなかった。浮世離れした言動と不遜な構想を口にする一方で、現実に盲目ではなく、古い慣習ばかりに栄光を求める人物ではなかったのだ。
「格下ばかり相手にしていたエルデンライヒも、正統帝国を下し、余に反抗する勢力をまとめ上げた。その手腕を今一度見定めてから、本命の手札を切れば遅くはあるまい」
英傑王にとって、対エルデンライヒ戦争は植民地戦争と異なり、主要大国との小手調べの前哨戦であった。兵力は割いているものの、首都ベルデンを陥落させるつもりはなく、エルデンライヒ軍の部分的撃破と幾分かの領土獲得で十分と考えていたのである。
「なるほど、英傑王陛下の御構想は大変よろしい」
ガブリエルは前置きし、本題に入った。
「そこでどうでしょう。前哨戦に陛下の御世にふさわしい若き有能な人材を送り、今後の糧とするというのは」
「ふふ、用意の良い奴め。すでに連れてきておるのだろう?」
「はい。ぜひ、陛下にお目通り頂きたく」
ガブリエルは後ろの部下に合図を送り、2名の若き将校が前に出た。
「紹介いたします。クロード・ド・サン=ラザール大佐とオノレ・ド・ラ・ヴァリエール大佐です」
二人は姿勢正しく敬礼した。
「確かに若い…余に拝謁させるのだ。貴様の肝入りで間違いないな、ガブリエル?」
「勿論にございます」
植民地戦争で有能と判断され、昇進した彼らは、将来のサンテルラン軍を担う若き将校であった。
「両名を前線司令部へ配属せよ。ラ・ロシュ元帥指揮の右翼軍に加え、逐一前線報告を任務とする」
「「はっ!シャルル英傑王のお心のままに!!」」
二人が勇ましく敬礼するのを見て、英傑王は満足そうに口角を上げた。
「そろそろエルデンライヒが仕掛けてくるだろう。ガブリエルよ、ラ・ロシュ元帥とサン=マルタン元帥には各方面軍を指揮し、エルデンライヒ軍を撃退せよと命じよ」
「陛下自ら檄を飛ばされずとも?」
「構わん。貴様からの通達なら、奴らも勝手に奮起するだろう」
英傑王は残った酒を一気に飲み干し、空のグラスを掲げた。
「果たして今回は、どちらが余に美酒を捧げるやら」
「陛下、飲む酒が少々増えまする。前世の二の前になりかねませんよ」
「中々言うではないか、ガブリエル」
英傑王は、迫る対エルデンライヒ戦争を心待ちにしていた。
もっとも、その勝敗を決するのに“年”単位の時間がかかるとは思っていなかったであろうが。




