第7章:火薬庫の余熱②
「「「……」」」
エリアスの演説に、帝国政府の高官たちは一様に押し黙っていた。
先のエルデンライヒ=セプテンデル戦役からさほど時を置かぬうちに、再び対外戦争――それもサンテルラン央王国という大国との正面衝突を引き起こすというのだ。これに積極的に賛同する者はほとんどいなかった。
セプテンデルとの戦いに賛成の立場であったエルンストやヨハンでさえ、エリアスに同意を示そうとはしなかったのである。
「参謀総長、一つよろしいか?」
沈黙を破ったのは皇帝ヴィルヘルムであった。
エリアスは短くうなずく。
「どうぞ、何なりと」
そう言って、彼は皇帝へ真正面から向き直った。
エルデンライヒ=セプテンデル戦役以降、ヴィルヘルムとエリアスの関係は冷え切っていた。
戦争遂行の方針、終戦の形、その後の処理――両者の間には幾つもの行き違いが生じていたが、決定的であったのは処分の在り方に対する考え方の違いである。
ヴィルヘルムは、セプテンデルとの戦争に関与した者たちに厳罰を与えなかった。
それぞれが任務に誠心誠意向き合い、全力を尽くしたと判断したからである。その中には参謀総長エリアス自身も含まれていた。
しかし、エリアスは違った。
自決したヴァイス中将を除き、セプテンデル攻略軍の司令部および指揮官クラスの人員に対し、降格や配置換えなどの処分を容赦なく下したのである。
ジークハルトの謹慎処分やシュナイダーの降格もその一環であり、参謀本部の決定として機動戦闘団の解体も実施された。
さらに各軍団・師団には、エリアスの意向を強く反映した参謀将校の配属が命じられた。
その結果、参謀本部の人員補充が必要となり、組織規模は従来の2.5倍にまで拡大されることとなったのである。
ヴィルヘルムが寛容であったのに対し、エリアスは苛烈であった。
そしてその苛烈さは、結果として参謀本部の権限と勢力を大きく拡張させることにつながっていた。
この動きを知る者であれば、エリアスが皇帝ヴィルヘルムに対して公然と対抗する姿勢を取りつつあることを読み取るのは難しくなかった。
だからこそ、この御前会議の場で居並ぶ者たちは、固唾をのんで二人のやり取りを見守るしかなかったのである。
「サンテルランとの交戦は、今この時期でなければならない根拠は何か?」
ヴィルヘルムの問いは簡潔であった。
皇帝としての彼は、セプテンデルとの戦争を終えたばかりのエルデンライヒに、サンテルランとの戦争を急ぐ理由はないと考えていた。むしろ今回の戦争を反省材料とし、陸軍の体制を立て直すとともに、海軍の増強を待つべきだという立場であった。
エリアスは迷いなく答えた。
「明確な理由は二つあります。
第一に、現在アルツベルク=ローレナウ地域の住民は、サンテルラン軍による非人道的行為の暴力に晒されています。しかもその元凶たるサンテルラン軍は、同地から撤退する意思を全く示していません。現状では問題の解消は望めないのです。
そして第二に――」
続く言葉は、その場の空気を凍りつかせた。
「――先の“敗戦”を帳消しにする、明確な戦果が必要であることです」
――「敗戦」
エリアスは確かにそう言った。
その一言こそが、列席者たちを最も驚愕させたのである。
確かにエルデンライヒ=セプテンデル戦役は、勝利と呼べる戦争ではなかった。
軍事的には敗北、あるいはせいぜい引き分けと評するのが妥当であった。
だが「敗戦」という言葉は、あまりにも断定的であった。
エルデンライヒとセプテンデルの両国は、最終的に共に停戦を求め、どちらが優勢とも言えぬまま戦闘を終結させた。確かにエルデンライヒは停戦保証金と賠償金を支払ったが、セプテンデルもまた南部2州に壊滅的な被害を受け、戦闘継続が不可能な状態に陥っていたのである。
したがって、どちらか一方を明確な勝者とするのは適切ではなかった。
むしろこの戦争を通じて、エルデンライヒは近代戦争の経験を得た。さらに当初の最大目的であった海軍力強化の一環として、セプテンデル製艦艇の購入に成功している。加えて国際会議の場において一定の立場を確立し、国際社会の一員としての地位を明確にすることもできた。
つまりこの戦争は、軍事的には失敗であったとしても、政治的目的の多くは達成されていたのである。
それにもかかわらず、エリアスはそれを「敗戦」と断じた。
その言葉は、これまで負け知らずであったエルデンライヒ帝国の歴史に明確な汚点が刻まれたことを意味すると同時に――その終結を主導した皇帝ヴィルヘルムを、暗に非難する響きをも帯びていたのであった。
これに対して反論したのは、皇后であり財務相でもあるアーデルハイトであった。
「シュトラウセン参謀総長。貴殿の発言は帝国の公式見解と致命的に矛盾しています。訂正を要求します」
しかしエリアスは、その抗議を意に介する様子もなく言葉を続けた。
「言葉狩りはお止めいただきたい。どれほど体裁を取り繕おうとも、中身まで偽ることはできません」
些か無礼で、不遜とも言える物言いであった。
だが厄介なのは、その認識に異を唱える者が――とりわけ軍部において――決して多くなかったことである。
実際に戦場で戦ったセプテンデル攻略軍の将兵ではなく、むしろそれに参加していなかったより多くの者たちにとって、この戦争はエルデンライヒ軍の敗北と映っていた。
そして、その屈辱をいずれ雪がねばならないと考える者も、決して少なくはなかったのである。
同様の空気は国民の間にも存在していた。
「最強帝国エルデンライヒ」の威信という観点から見れば、政治的な成果がいかに大きかろうと、軍事的敗北という事実の方に目を向ける者は多かった。
ゆえに事情を知るごく少数の首脳部や高官たちとは対照的に、圧倒的多数の軍人や国民――すなわち表面的な結果のみを受け取る層にとっては、エリアスの提案するサンテルラン軍との交戦はむしろ好意的に受け止められる雰囲気にあったのである。
その危うい風潮は、もちろんヴィルヘルムにも読み取れていた。
彼は国民によって選ばれた皇帝である。
彼が決断さえすれば、あらゆる政策は即座に実行される。文字通り、障害なく。
しかしヴィルヘルムは、それを行うことに躊躇していた。
強権的な手段で事態を一時的に抑え込んだとしても、根本にある不満が消えるわけではない。むしろその不満は地下で膨張し、いずれ制御不能な形で爆発しかねなかった。
「……よかろう」
しばしの沈思ののち、ヴィルヘルムは静かにそう言った。
「ただし、条件がある。エルデンライヒ帝国陸軍の作戦目的は、あくまでアルツベルク=ローレナウ地域の奪還に限定すること。サンテルラン央王国の領土奪取でも、政権転覆でもない――その点をこの場で確約してもらいたい」
皇帝からの許諾に対し、エリアスは特段の感慨も見せず、恭しく一礼した。
「無論です。此度の出兵は、アルツベルク=ローレナウ問題の解消を目的とするものです。決してそこから逸脱することはありません」
エリアスの言葉に嘘はなかった。
しかし、その戦争目的が達成され、軍が勢いづいたとき――それ以上の行動を起こさないとまでは、彼は約束していなかった。
――軍部の暴走
歴史の中で幾度となく語られてきたその現象の片鱗が、エルデンライヒ帝国においても、すでに見え始めていたのである。




