第7章:火薬庫の余熱①
「アルツベルク=ローレナウ問題を、我々エルデンライヒ帝国は解決しなければなりません」
御前会議の席でそう切り出したのは、参謀総長エリアスであった。
『アルツベルク=ローレナウ問題』
それは、先の帝国盟主大戦においてローゼンベルク勢力とグラウエンシュタイン陣営が激突する最中、サンテルラン軍が正統ルガルディア帝国領内へ侵入し、武力によって占領したアルツベルク辺境伯領およびローレナウ地域の帰属問題に端を発する国際問題である。
武力による一方的な国境線の変更を実施したのはサンテルラン軍であり、エルデンライヒ帝国は一貫してその返還を求めてきた。正統ルガルディア帝国領を継承する形で成立した国家こそエルデンライヒ帝国であり、ゆえに同地域の正統な統治権は自らにある――それが彼らの主張であった。
しかし、この問題は決して単純ではなかった。
「武力によって占領した」という文言は、後世においてこそ批判の的となる表現である。だが当時においては必ずしもそうではなかった。長い戦乱期のみならず、後騎士王時代においても、戦争によって領土を奪取あるいは割譲する事例は数多く存在した。それは決して珍しいものではなく、むしろ国家政策の一環として正当な権利とさえ受け止められていたのである。
ゆえにエルデンライヒ帝国の主張は、外交上あるいは名目上の大義名分にはなり得たものの、その正当性が国際社会において広く支持されていたわけではなかった。
また、エルデンライヒ帝国が掲げる「正統ルガルディア帝国領の正統なる継承者」という立場も、必ずしも歴史的事実に裏付けられたものではない。帝国の盟主であったグラウエンシュタイン大公国の敗北、さらには時に武力を伴う所領の編入といった過程を経て形成されたのが、現在の領土であった。
つまり見方によっては、エルデンライヒ帝国という新興国家は、正統ルガルディア帝国の領域を徐々に戦争によって侵食しながら版図を拡大してきたに過ぎず、正式な政治的手続きによって継承された国家とは言い難かったのである。
そして最も厄介であったのは、アルツベルク辺境伯領およびローレナウ地域が、必ずしもエルデンライヒ帝国への編入を望んでいたわけではないという点であった。
確かに彼らはかつて正統ルガルディア帝国を構成していた諸邦の一つである。しかしそれが強固な同胞意識を生み出していたわけではない。むしろエルデンライヒ帝国を軍事大国ローゼンベルクの変形した姿と見る向きもあり、その体制へ加わることには少なからぬ躊躇が存在していたのである。
さらにこの問題を一層厄介なものとしていたのが、直前に勃発したエルデンライヒ=セプテンデル戦役の敗北であった。
エルデンライヒが掲げる「正統なる領土継承者」としての主張、そしてその実力行使としてのセプテンデルへの軍事侵攻は、出鼻を挫かれる形で失敗に終わった。その結果、「エルデンライヒ恐るるに足らず」という国際的認識が露呈し、サンテルランがますます返還要求に応じないという情勢が形成されつつあったのである。
だが、この事態にも小さな転機が訪れた。
「現在、同地域に進駐し展開しているサンテルラン軍の現地住民に対する振る舞いには、看過できないものがあります――」
エルデンライヒ=セプテンデル戦役において、エルデンライヒ軍を牽制する目的で実施されたサンテルラン軍の国境地帯への進駐は、その後も継続されていた。こうしてエルデンライヒとサンテルランの間には、長く緊張状態が保たれていたのである。
そこで次第に明らかになったのが、両軍の補給体制の違いであった。
エルデンライヒ帝国では、シモンスキ・プランに基づく鉄道網と道路網の整備により、帝国内の隅々に至るまで兵站線として活用可能な交通網が構築されていた。当時存在した26本の主要鉄道のうち10本がサンテルラン国境方面へと延び、強固な補給線として機能していたのである。
これに対し、サンテルラン側には同程度の補給体制は整っていなかった。植民地戦争の経験が長かった彼らは、補給物資を後方から輸送するのではなく、現地調達によって賄うことを常としていた。そのため軍内部には補給を軽視する風潮が根強く残っていたのである。
さらに組織面でも差があった。エルデンライヒには軍全体を統括する参謀本部が存在し、戦略構想、作戦展開、さらには補給体制の管理までも一元的に統制していた。だがサンテルランにはそれに相当する機関が存在せず、指揮系統は各方面軍司令部に分割されていた。そのため補給物資の確保は、それぞれの軍集団の裁量に委ねられていたのである。
この構造こそが問題の根底にあった。
エルデンライヒ国境線に展開するサンテルラン軍の大半はアルツベルク=ローレナウ地域に駐屯しており、やがて彼らは現地からの補給物資調達を開始した。だが、百万人を優に超える軍勢を養う負担は極めて大きく、当該地域だけでそれを賄うには明らかな限界があった。
しかもそれほどの規模の軍隊が長期間駐留すれば、現地住民との間に諍いや軋轢が生じるのは避け難い。被占領地の住民という立場は、サンテルラン軍による過酷な扱いを生み出す温床ともなり得たのである。
やがて事態は臨界点に近づいた。
かつてはエルデンライヒ帝国への編入を拒んでいたアルツベルク=ローレナウ地域の住民の間から、サンテルランの支配を脱し、エルデンライヒに助けを求める声が徐々に上がり始めたのである。これに対しサンテルラン軍は治安維持の名目で弾圧を加え、地域の緊張はさらに高まった。こうして同地は、エルデンライヒとサンテルランの双方にとっての火薬庫と化していった。
「我々は、先に締結されたアムステルブルフ条約の条項に則り、民間人の保護を目的とした行動を即座に開始するとともに――」
エルデンライヒが国際的正当性の根拠として掲げたのは、大国間の勢力均衡を目的として締結された『三鼎条約』として名高いアムステルブルフ条約であった。その中でも特に、「不要な軍事行動による民間人への危害の禁止および保護」に関する条項が拠り所とされたのである。
すなわち表向きには、占領地域の民間人に不当な被害を与えているサンテルラン軍に対し、エルデンライヒ軍が正義の名の下に行動を起こす――そのような形で事態は位置づけられたのであった。




