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第3章:同じ戦場、それぞれの戦争③

 ある夜、ヴィルヘルム指揮下の親衛戦闘団の軍営で、侵入者騒ぎが起きた。捕らえた兵によれば、男はローゼンベルク軍の兵士で、補給倉庫に忍び込もうとしたらしい。着用していた軍服が戦闘団のものではなかったため、一目で部外者と見抜かれた。通常なら窃盗未遂として処理される事件だが、この夜は事情が違っていた。


「それで――我々の基地に何の用で侵入した? ニクラス・ベッカー一等兵」


「ぼ、僕はただ空腹で……食べ物を探して入り込んでしまっただけで……」


 名乗ったニクラス・ベッカーは、くすんだ金髪の、いかにもひ弱そうな青年だった。みっともないほど必死に赦しを乞う姿は哀れですらある。


「ま、まさか王子の部隊とは知らず……! どうかお命だけは……!」


「お前、いつまで続ける気だ」


 低い声で遮ったのは、彼を捕えたハンスだった。うんざりした様子で後ろから足蹴にする。慣れない数学の勉強を連日続けた鬱憤が積もっていたせいか、今夜のハンスはどこか苛立ちを帯びていた。


「ヴァルツァーよ。罪人とはいえ乱暴が過ぎるぞ」


 戦闘団の憲兵隊長に就任したグスタフが眉をひそめたが、ハンスは短く理由を述べた。


「こいつは共和国人だ」


 ひやり、と幕舎の空気が凍りついた。さきほどまでの規律的なざわめきが消え、空間にいる全員の視線が一斉に青年へ突き刺さる。それを悪い兆しと感じ取ったのか、青年――“ニクラス”は、慌てて声を裏返した。


「ち、違います! 僕はローゼンベルク人です!」


「王国民は“ローゼンベルク人”とは名乗らぬ。それは我が家名だ。領民が自身を領主の家名で呼ぶことはない」


 失言に気づいた男は、冷や汗を浮かべて唇を噛みしめた。そこへ、ハンスが容赦なく追い打ちをかける。


「それにお前、共和国訛りだ。俺たちは猟師でな。国境の山道を越えて獲物を追い回すうちに、王国の訛りも共和国の訛りも嫌でも覚えるんだよ」


 ルガルディア大陸では共通語が千年以上前から普及しているため、国が違っても意思疎通は可能である。だが発音や言い回しには地域ごとの癖があり、同じ言葉でも別物のように聞こえることすらあった。


「えっと、それは……」


「そんなお前が王国軍の軍服を着て、俺たちと似た名を名乗って、王子の基地に何しに来た?」


 グスタフが怒りで顔を紅潮させた。


「貴様、共和国の間者だな! 殿下のお命を狙ったなら即刻処刑してやる!」


 激昂した彼はサーベルを抜き、男の首元へ突きつけた。すでに時代遅れの武器ではあるが、恐怖を与えるには十分だった。


「あ、あの……」


 青年は完全に怯えきり、震えが細かく強まっていく。喉がつぶれたような声しか出ず、ついには失禁してしまった。地面に膝をつき、涙声で哀願した。


「申し訳ございません! 本当の名前はヤン・ピレツキ! 共和国人です! でも王子様だとは本当に知らなくて、旗が豪華だったから金持ちの貴族かと……盗みに入っただけなんです! 本当にすみません!」


 あまりの慌てぶりに、グスタフですら少したじろいだ。その姿は惨めで、弱者そのものだった。もし共和国の刺客だとしたら、こんな怯え方は芝居の域を超えている。とんでもない名優か、あるいは手練か――そう疑いたくなるほどだった。


「もういい。では、なぜ王国軍の軍服を着ている。前線の死体からはぎ取ったのか?」


「い、いえ! 共和国の基地から拝借しました! 王国から逃げてきた兵士の物らしくて、燃やされそうになってたのを……もらっただけで……」


 脱走兵か、と自軍の規律の乱れに眉間を揉むグスタフ。しかし、黙って聞いていたヴィルヘルムは別の点が気になった。


「ピレツキ。その軍服は共和国軍の基地で拾ったと言ったな」


「はい……」


 ヴィルヘルムの氷のようなまなざしに、ヤンはハンスやグスタフとは異質の恐怖を感じた。なぜか、この男には嘘が通じないと本能が告げてくる。


 ヴィルヘルムは机の引き出しから地図を取り出した。


「どのあたりにその基地があったか分かるか?」


 ヤンは国境付近の地図を必死に目で追ったが、土地勘がないうえに記号の意味も分からず、視線が彷徨うばかりだった。その様子を冷静に観察していたヴィルヘルムは、無駄だと判断し、問いを変える。


「では基地の大きさは? 我々の基地と比べてどうだ?」


「ええっと……もう少し大きかったです。もともとは村だったみたいで、家や倉庫がたくさんあって、厩舎も……大きなやつがありました」


「かなりの規模だな。周囲には何かあったか。要塞か、山か?」


「要塞は国境近くのやつですよね? 少し離れてます。半日くらい歩いたところで……近くに川がありました」


「おいおい、それって……」


 基地の特徴を聞き、ハンスは思い当たる場所があるようだった。


「パン焼き窯が並んでたろ。細い煙突が林みたいにずらっと立ってる」


「そ、そうです!」


 ヤンは勢いよく頷く。


「こいつ、共和国軍の後方基地から来たんだ。俺とジークが言ってたとこだよ」


「ほう。『ブジェゴフカ兵站基地』か」


 ヴィルヘルムはわずかに笑みを浮かべ、ハンスへ命じた。


「ヴァルツァー伍長。この男をジークハルトとシュトラウセンのところへ連れていけ」


「はいよ、王子様」


「え、え? ちょっと待って! 僕、何されるの!? 嫌だ、死にたくない!」


 ハンスに首根っこをつかまれ引きずられながら、ヤンは最後の望みとばかりにヴィルヘルムへ助けを求めた。しかし返ってきたのは、情け容赦のない宣告だった。


「処罰は保留だ、ピレツキ。今後の働き次第で決める」


 ヤンはひたすら後悔した。盗みにも当たり外れがあるが、ここは最悪の“外れ”だった。


 その後、ヤンはハンスに散々痛めつけられ、抵抗心を粉々に砕かれ、まるで野良犬のようにボロボロになって縄で首をつながれた姿で現れた。その異様な光景に、シュトラウセンら幕僚は顔を引きつらせたが、ハンスと長い付き合いのジークハルトだけは動じる気配がなかった。


 ヤンは半ば調教じみた扱いを受けながら、ブジェゴフカ兵站基地の詳細――建物の配置、倉庫の中身、人員数など――を知る限り話した。軍隊の設備を知らぬため説明できない部分も多かったが、それでも地図の空白は次第に埋まり、基地のおおよその構造が見えてきた。


「かなり全体像が見えるようになってきたな」


 ヘルマンが頷く。しかし表情は晴れなかった。


「やはり、一度は中を調べないといけませんね」


「それは難しい。君たち猟兵なら基地までは行けるが、中は敵で溢れている。内偵には限界がある」


 すると、ジークハルトとヘルマンが同時にヤンへ視線を向けた。


「……へ? なん、れすか?」


 頬を腫らしたヤンが、怯える子犬のような目で彼らを見上げる。


 こそこそと相談する二人の様子を見て、ヤンは胸が締めつけられるような恐怖に襲われた。今度は何をさせられるのだ。再び殴られて知らぬ情報を吐かされるのか――そんな地獄を思い出した瞬間、告げられた命令は予想の遥か上をいった。


「おい、ヤン」


 ジークハルトは、まるで天気の話でもするような気軽さで言った。


「お前、もう一度あの基地に潜入してこい」


「……は?」


 耳を疑うヤンに、ジークハルトは無神経に続けた。


「途中までは俺たちが護衛してやるから、安心しろ」


 安心できるわけがなかった。


 軍基地へ潜入しろという無茶もさることながら、何より――護衛のジークハルトとハンスと再び行動を共にすることのほうが、よほど悪夢だった。

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