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第5章:忠実なる警告者③

「グルーバー総監殿。……お気持ちに、何か変化でもございましたか?」


「いいえ。心変わりはありません。ただ――やはり、貴官と話をしなければならないと思ったのです」


 応接室に通されたエリックは、つい先日意見の一致を見ぬまま別れたフロリアンと、再び向き合っていた。


 実のところ、フロリアンはこの数日間、内心で怯えていた。帝国高官であるエリックに、帝国からの離反と反乱計画を明かした以上、調査や拘束の手がいつ伸びてきても不思議ではない。


 だが、こうしてエリック自身が足を運んできたことは、彼を安堵させるには十分だった。


 ――やはり、この人だけは違う。


 そう思えたからこそ、フロリアンたちはエリックにだけ計画を打ち明けたのだ。彼ならば、あるいは解決の糸口を見いだしてくれるかもしれないと期待して。


 結論こそ得られなかったが、エリックは話を遮らず、理解しようと努める人物であった。


「まず一つ、伺わせてください。西方諸侯連合とは、どの程度の規模で結成された連帯なのでしょうか」


 エリックは、対話の糸口としてまず規模を問うた。戦力を探る意図もあったが、それ以上に――それほどの大事を成そうとする人間が、どれほど存在しているのかを知りたかった。


 理念や理想は、賛同者がいて初めて連帯となる。さらに言えば、それを実行に移す覚悟と能力がなければ、勇ましい言葉はただの不満と愚痴に堕する。


 それはかつて、ヴィルヘルムが王位継承戦争で相手取ったルートヴィヒ一派が証明していた。


「旧正統ルガルディア帝国の西方諸侯……と言っても曖昧ですが、かつて我が公爵家に参陣した諸侯たちです」


「――正統帝国軍第2軍、ですね」


「ええ。当時の司令官は、父でした」


 フロリアンは、先の帝国盟主大戦において、エルデンライヒ大同盟軍西部方面軍と対峙したリュッケン公第2軍の生き残りである。司令官であった父は、ジークハルト率いる機動戦闘団によって討ち取られた。


 有力諸侯の筆頭でもあったリュッケン公の戦死は、第2軍を致命的に動揺させた。部隊は再編されることなく瓦解し、諸侯たちはそれぞれの領地へと逃げ帰った――それが、今の西方諸侯連合の実像であった。


「率直に申し上げますが……彼らに、ヴィルヘルム陛下と戦えるだけの戦力があると、本気でお考えですか?」


「……何ですと?」


 フロリアンは眉をひそめた。


「私の知る限り、西方諸侯の中で有能と呼べる人物は、リュッケン大尉――貴官だけです」


 軍警予備隊の戦果報告書を確認できる立場にあるエリックには、それがはっきりと分かっていた。


「貴官は、彼らに担ぎ上げられているだけなのではありませんか。彼ら自身に覚悟も能力もなく、責任感の強い貴官が、否応なく先頭に立たされているだけなのかもしれない」


「……」


 フロリアンは、反論できなかった。


 事実、西方諸侯連合がフロリアンを旗頭としているのは、彼が名門公爵家の嫡子であり、かつ彼らの中では突出して有能だからに過ぎない。


 もし彼らに本気の覚悟があれば、危険を承知で指導者をエリックの前に差し出すような真似はしない。拘束されれば、連帯は即座に瓦解するのだから。


 その空気を、フロリアン自身も薄々感じていた。


「ですから、今は一度、冷静になりましょう。私も最大限の協力はいたします。帝国陸軍への正式採用によって、貴官の――」


「グルーバー総監」


 フロリアンは、エリックの言葉を遮った。


「貴方には……お子さんがおありですか?」


「……はい。娘が一人。まだ1歳です」


「私にもおりました。息子が二人……母親にべったりの、甘えん坊でした」


 フロリアンは、静かに、しかし痛みを含んだ声で続けた。


「それが、あの日――我々が敗れ、おめおめと逃げ帰った時……」


 彼は一瞬、言葉を詰まらせた。


「――自死しました」


「……なっ」


「正確には、母親……私の妻の手によって、です」


 それは、正統ルガルディア帝国の貴族として、大義に殉じるという名目の下で行われた、命を賭した抵抗であった。


 名門リュッケン公爵家の男児である以上、敗北は許されない――そう信じ込まされた末の死である。


 無論、幼い彼らが自ら選べるはずもない。貴族の意地を押し付けられた、不本意な死であった。


「帝国が敗れ、エルデンライヒに併呑された後……私は、狂ったように戦いました」


 妻子を失った喪失感を埋めるため、フロリアンは反乱鎮圧に没頭した。考えなければ、生きていられたからだ。


 その結果として積み上がった異様な戦果と評価――だが。


「……気づいたのです。かつての同胞と戦うこの戦いが、あまりにも空しいと」


 どれほど評価され、将来を約束されようとも、その理由は彼の心を癒さなかった。


 むしろ、必死に抗う叛徒たちの姿に――彼は、自分が失った誇りの影を見た。


 傍から見れば、後世から見れば、それは愚かな選択だろう。意地や矜持に殉じた死が、未来を切り開いた例など稀であり、歴史は決して寛大ではない。


 彼らの名は語り継がれず、英雄として扱われることもない。


 それでもなお――


 そこに生きる理由を、死ぬ理由を見いだしてしまう人間は、確かに存在する。


 そして歴史とは、そうした人間の血を吸い上げることで、巨大になってきたのだ。


 その死生観は、エリックにとって、合理性では測れない――感情に突き動かされる人間の本質を、これ以上なく鮮烈に示すものであった。


「グルーバー総監……愚かな我々を、どうかお許しください」


 来るべき未来がすでに定まっていることを承知の上で、それでも進むと決めた男が、ただ静かに頭を下げた。


「……では、なぜ私に参陣を求めたのですか?」


 敗北も、滅びも理解した上で――それでもなお、その死地に自分を誘った理由を、エリックは問わずにはいられなかった。


「貴方なら、何か解決の糸口を見いだしてくださるかもしれない……そう考えたのも事実です。ですが――」


 反逆の将となる男は、帝国内務相を前にして、恐らくこれが最後となる本心を口にした。


「貴方にだけは……我々の存在を、姿を、大義を、意地を――知っておいてほしかったのです」


 それはあまりにも身勝手な願いであった。


 だが同時に、たとえ後世において反逆者の汚名を着せられようとも、自分たちが確かにここに生き、抗ったのだという証を、信頼できる誰かの心にだけは残したいという、切実な意地でもあった。


「……リュッケン大尉」


 エリックは、言葉を失った。


 フロリアンは軍人らしく背筋を伸ばし、寸分の乱れもない敬礼をもって、エリックに謝意を示した。


「ご迷惑をおかけしました。……いえ、これからおかけします。ですが、どうか――この先のことを、よろしくお願いいたします」


 その敬礼は、彼がこれまで受けてきたどの敬礼よりも、ひどく美しかった。


「…やはり、貴官の離反計画をみすみす見逃すわけにはいきません」


 エリックは厳かに言葉を紡いだ。


「貴官のような優秀な人材を手放すほど、我々エルデンライヒ帝国は非合理的ではないはずです」


 その眼差しは、非情な判断の裏にある確かな敬意を隠さず示していた。


 そして静かに、だが力強く付け加えた。


「ですから――“別の道”を指し示すことを、どうかお許しください」


 フロリアンは言葉を失い、しばし沈黙が室内を支配した。


 それは、抗えぬ運命の前で提示される、僅かに差し伸べられた救いの手のようでもあった。

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