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第4章:母親たちの杯、父親たちの盃①

 エルデンライヒ帝国において、9月1日は祝日と定められている。年度の始まりにあたる節目の日であると同時に、何よりも帝国建国の日として、特別な意味を持っていた。


 帝都ベルデンの街はどこも祭りの熱気に包まれ、皇帝の居城であるクレオサリア宮殿でも盛大な祝宴が催されていた。無論、皇帝ヴィルヘルムはその中心にあったが、皇后アーデルハイトは別室にて、帝国を支える女性高官や高官の妻たちと交流の場を設けていた。


「ルイーゼ様、よくベルデンへお越しくださいました」


 アーデルハイトの挨拶に、エルンストの妻ルイーゼもまた、貴族出身者らしい優雅さをもって応じる。


「とんでもございません。皇后陛下にお目にかかれるなど、これ以上の栄誉はございませんわ」


「いいえ、どうかそのように畏まらず。アーデルハイトとお呼びください」


 二人の対面は、歴史的な会合と呼んでも差し支えないものだった。かつては敵対する立場にありながら、今やエルデンライヒ帝国のもとに統合され、同じ“帝国民”として、さらには同じ皇帝を支える臣下、あるいはその妻という立場に身を置いているからである。


「帝都ベルデン……噂には聞いておりましたが、本当に素敵な都市ですね。帝国の中心にふさわしい、荘厳な街並みです」


「いいえ、まだノイ・ヴィーンには及びません。ここは発展途上の都市ですから。いつか、その評価に見合う都へと育てていきたいものですね」


 ノイ・ヴィーン出身のルイーゼにとって、かつて他国であった大都市ベルデンを訪れるのは初めてのことだった。これまではノイ・ヴィーンの自宅で暮らし、長期赴任という名目で家族と共に過ごしていたエルンストが、帝都ベルデンへ戻るのを機に、彼女もまたこの地へ居を移したのである。


「お二人とも、立ち話ではなく、こちらで腰を落ち着けてお話しになりませんこと?」


 こうして、女性たちの戦場とも、あるいは華やかな社交の場とも言える『お茶会』が幕を開けた。




 エルデンライヒ帝国、あるいは伝統的な呼称である旧正統ルガルディア帝国領では、午後のひとときに『コルネル』と呼ばれる飲み物を嗜む習慣を、お茶会と称していた。コルネルとは、ライ麦や大麦などの穀物を焙煎して淹れる飲み物で、この地域においては、いわば“穀物コーヒー”とも言うべき伝統的な嗜好品である。


 これが庶民にとっても一般的な飲み物であったのは、土地柄と交易事情によるところが大きい。紅茶を主とするアルバレオン王国や、コーヒー文化が根付くサンテルラン央王国では、いずれも国外に安定した入手先を持っている。一方、エルデンライヒ帝国――あるいは旧正統ルガルディア帝国は、そうした輸入路が細く、紅茶やコーヒーは上流階級の限られた者のみが口にできる贅沢品であった。


 そのため、作物として広く栽培され、手に入りやすい穀物を原料としたコルネルを中心とする独自のお茶会文化が、まず農民の間で広まり、やがて洗練されて貴族社会にも受け入れられていったという歴史的経緯がある。もっとも、アーデルハイトやルイーゼのような貴族出身者にとって、紅茶やコーヒーの入手に困ることはなかったが、この宮殿のお茶会では、もっぱらコルネルが供されるのが慣例となっていた。


「大きくなりましたね。予定日は、12月でしたか?」


「ええ、そうよ。ここまで来ると、身体を動かすのも一苦労で困ってしまうわ」


「これから、もっと大きくなりますから。その感想は、まだ取っておいたほうがよろしいですよ、シャルロッテ様」


 大きくせり出したシャルロッテの腹部を、ソフィアやアーデルハイトが愛おしそうに見つめながら、そんなやり取りが交わされる。


 そもそもコルネルにはカフェインが含まれていない。そのため、妊婦でも安心して口にできる飲み物として、アーデルハイトはお茶会の供物にこれを選んでいた。当時すでにカフェインという物質自体は発見されていたものの、その知識が広く共有されていたわけではない。ただ、紅茶やコーヒーには覚醒作用があり、妊婦には好ましくないということは経験則として知られており、自然と敬遠されていたのである。


 それでもアーデルハイトは、妊婦であっても女性同士の交流の場としてお茶会に参加できるべきだと考える人物だった。だからこそ、妊娠中、あるいはその可能性のある女性でも安心して過ごせる場を用意することを重視していたのである。女性同士の交流や情報交換の場として、お茶会が果たす役割の大きさを、彼女は誰よりも理解していたからだった。


「あの……」


「どうかしましたか、エレオノーラ?」


 おずおずと控えめに声を上げたのは、ヨハンの妻であり、アーデルハイトとも親しい旧男爵令嬢エレオノーラであった。先王の妃カタリーナの姪にあたる彼女は、幼い頃から宮廷のお茶会や社交界に出入りする機会が多かった。


 貴族制の廃止や宮廷解体といった大きな変革があった後も、貴族令嬢同士の交流の場としてお茶会は慣習的に続いており、そこに参加していたアーデルハイトに連れられる形で、男性でありながら顔を出していたヨハンに想いを寄せるようになったのである。やがてアーデルハイトの後押しもあり、二人はつい先日、晴れて夫婦となった。


 しかし――その表情は、決して明るいものではなかった。エレオノーラは、夫婦生活において大きな悩みを抱えていたのだ。


「その……どうすれば、ヨハン様は私を必要としてくださるのでしょう……。私、妻として何か欠けているのではないかと……」


 エレオノーラは、ヨハンとの間に夫婦としての営みが乏しく、なかなか子宝に恵まれないことに思い悩んでいた。結婚してまだ日が浅い以上、決して異常ではない。それでも、そもそもその機会自体が少ないのではないかという疑念が、彼女の心を重くしていた。


 かつてこの種のお茶会に参加したことのあるヨハンは、「男性は猥談を笑い話として消費するが、女性は真剣に営みについて語り合うものだ」と表現していた。つまるところ、アーデルハイトがこの場を設けている理由の一つが、まさにそうした“性に関する情報交換”にあった。


 女性にとって妊娠や出産は、身体に大きな負担を強いる一大事である。何が危険で、何に注意すべきか、何を避けるべきか――それを知ることは、健康だけでなく命に関わる重要な問題だった。特に、世継ぎを残すことを重責とする価値観が根強かった旧貴族階級の女性にとって、それは避けて通れない関心事でもあった。


 当時は情報の発信や共有の手段が未発達で、正確な知識が自然と手に入る環境ではなかった。ゆえに無知は危険であり、それを補うため、年長者や出産経験のある女性が若い世代に知恵を伝える場として、お茶会は大きな役割を果たしていたのである。


 実際、アーデルハイトはすでに二児をもうけており、ソフィアも半年前に出産を経験している。シャルロッテは出産こそこれからだったが、“結婚早々”に妊娠したという点において、エレオノーラにとって教えを乞いたい存在であった。


「そんなことはないわ。エレオノーラはとても素敵よ。むしろ、ヨハンがヘタレなだけなのよ」


 ケーキを頬張りながら、シャルロッテがあっけらかんと評する。


 ちなみに、貴族社会において「甘いものを食べれば跡取りの男の子が生まれる」という噂は、お茶会で堂々と菓子やコルネルを口にするため、女性たちが勝手にでっち上げた方便であり、科学的根拠が実証されたことは一度もない。


「言い方には少々難がございますが……確かに、ヨハンは奥手ですからね……」


 個人的な交流も多いアーデルハイトも、その評価を完全に否定することはできなかった。実際、ヨハンはエレオノーラから慕われた結果として結婚に至ったのであり、彼自身が積極的に彼女へ求愛したわけではない。


 そのためヨハンは、「なぜ由緒ある家柄のエレオノーラが自分を選んだのか分からない」という戸惑いを抱えたまま、新婚生活を送っていた。軽率に彼女に触れてはならないと、自らに制約を課している状態でもあったのである。無論、それは彼の誠実な人柄によるところも大きかった。


「でも……ヨハン様も殿方です。殿方は女性を欲するものと聞いております。やはり、私に何か欠けているのでは……」


 エレオノーラは、限られた知識と曖昧な常識に振り回され、不安を募らせていた。むしろ、そのような無知な状態にある女性を放っておけなかったことこそ、アーデルハイトたちが女性だけの社交の場を重視した理由なのかもしれない。


 たとえば――もしエレオノーラが、ヨハンではない男性と結婚していたなら。十分な知識を持たぬまま、相手から一方的な要求を突きつけられた場合、その異常性に気づけなかった可能性もある。そう考えれば、誠実なヨハンと結ばれたことは、幸運だったと言えただろう。


 とはいえ、夫から望まれていないのではないかと思い悩むことは、妻として大きな不安であることに変わりはなかった。


「そういえば、今夜はその旦那様たちが酒場で飲み会をするらしいわよ。だったら、その酔った勢いに任せて、距離を縮めちゃえばいいのよ」


 シャルロッテの何気ない提案に、場の空気が一瞬だけ凍りつく。


「ええ……そんな……」


「シャルロッテ様、言い方が少々はしたないですよ」


 頬を赤らめるエレオノーラと、淑女らしくたしなめるアーデルハイト。しかし、意外にもソフィアはシャルロッテの肩を持った。


「いいえ、案外名案かもしれません。男というものは、どれほど誠実そうに見えても、一皮むけば野獣です。きっかけさえあれば、あとは自然に任せればよいのですから」


 ハンスを夫に持つソフィアの言葉には、妙な説得力があった。もっとも実情は逆で、女遊びに節操のないハンスを管理しているのはソフィアの方であり、そのしっかりとした人柄と、ハンスの軽薄そうな風貌が、それを感じさせないだけなのだが。


「でも……私……そんな大胆なことは……」


 なおも踏ん切りのつかないエレオノーラに、シャルロッテとソフィアは声を揃えて発破をかけた。


「重要なのは抱き心地よ、エレオノーラ」


「ええ、温かさは何よりも男性を安心させるものです」


「え……? ええっ!?」


「お二人とも、その言い方は……」


 視線が自分の身体のある一点に集中していることを察し、エレオノーラは思わず胸元を押さえる。アーデルハイトは、ただ静かにため息をつくしかなかった。


「まったく……お楽しいご婦人方でいらっしゃいますこと」


 その一連のやり取りを黙って聞いていたルイーゼは、エルデンライヒ帝国を支える女性たちの姿を見渡し、そう言って微笑んだ。


 女性たちの交流の場とは往々にしてこのようなものであり、グラウエンシュタイン時代も同様だった。こうしてコルネルを飲み交わしながら、談笑する彼女たちがかつて敵同士であったなどとは、どうしても思えなかったのである。

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