44話『建材魔甲虫』
瀬織津姫様の祝福の後、俺たちは夜宵殿に案内されて長屋の奥間に通された。
どうやらこの長屋は簡易病院のようなものらしい。
玄関を跨ぐと感じた青臭い匂いに視線を向けると、天井に張り巡らされた縄に何種類もの草が吊り下げられている。
壁を覆うように小さな引き出しが無数にある美しい装飾が施された大きな収納棚があり、長屋の外観との不釣り合いにその存在感を誇示していた。
たとえ高価な収納棚でも、これを盗むには力自慢の大人が最低四人は必要だろう。
どうやら入院患者は居ないようだが、そもそもこの長屋自体が入院を前提にされていないように感じる。
この長屋には医師はおらず、夜宵殿が薬師として怪我人や病人の処置をしているらしい。
この世界でも医学や医師は存在するが、その大半は権力者のお抱え医師で平民や遊女など花街の住人を診察することはほとんどない。
時折権力者の馴染みの遊女が、客の好意で医師の診断を受ける事ができる時もあるが、医師への支払いは高級遊女の一晩の値段に匹敵する。
よほど羽振りがいい客でなければ、継続して医師を呼ぶことなど不可能だし、医師が使用するような高価な薬代や診療費を払い続ける事など遊女には無理だ。
そのため、権力者以外の住人は街の薬師に助けを求める。
板張りの軋む床が自分の体重に負けて抜けるんじゃないかとヒヤヒヤしながら進み、床に腰を下ろした事でやっとひと心地ついた。
「夜宵殿は医術も嗜む博識でいらっしゃるのですね」
夜宵殿が差し出してきた木製のコップを受け取る。
中には独特の香りがする液体が注がれており、匂いが苦手なのだろうグレードが眉間に皺を寄せている。
「どくだみ茶だよ、嫌なら飲むな」
「いや、ありがたくいただきます」
ギロリと睨まれてグレードが慌てて口をつけて噎せている。
「元が薬師の家の出だからね、物心着く前から父親と薬草取りや処理を習ったおかげだね」
音も立てず、どくだみ茶を啜る姿はやはり太夫の地位にいただけあり品がある。
「薬師の家に生まれたならなぜ花街に?」
グレード、ズバズバ聞きすぎじゃないか?
「ん、母親は幼い頃に死んでいたからね、ろくに薬代も取らずに治療する父親のせいで貧しかったし、父親が死んじまって見様見真似で調薬もしてみたが、子どもの処方した薬を誰が飲むってんだい」
座卓から引き出した煙管に丸薬を詰めると火を入れて燻らせる。
「そこからは遊女によくある話さ、あっという間に食えなくなって親のいない孤児は口減らしに村人に売られた……それだけのことよ」
この花街では決して珍しくないとはいっても、心が痛む。
この世界線に来る前も、花街のような繁華街や性サービスの店なんかもあった。
それだけに留まらず、都会のある通りではパパ活等と呼び名を変えて金銭と引き換えにする売春婦、夜鷹の真似事まで流行ってた。
まぁ子どもまで対象にしている鬼畜どもがいるのはこちらもあちらも同じで虫唾が走るがな。
「この花街はね、豪華な牢獄なのさ」
「牢獄?」
「あぁ、花街に来るときにくぐってきた扉があっただろう? この花街を囲む外壁もだけど、魔甲虫と呼ばれる魔蟲の甲羅で出来ているんだよ」
魔甲虫の甲羅はとても硬く木材が貴重となった現代では丈夫な建材として用いられるものらしい。
「なぁグレード、魔甲虫ってどんな姿の魔蟲なんだ?」
「あぁ、チェスアントの3倍位の黒い魔蟲で、とにかく力が強い。先端が二股分かれた強力な角と胴体にも短い角があるな」
ふむふむ……
「んでもって夜に明かりに集まってくる習性があるみたいでよく村の外壁に焚かれた松明に突撃してきては破壊しやがる厄介な蟲だ、しかも雄同士が争うと小さな村なんてひとたまりもねぇよ」
……それってカブトムシじゃねぇか、まぁ蟻や蜂、魚が大変貌を遂げているのだから、怪獣みたいなカブトムシがいても別段おかしくはないか。
「そりゃ危険だな」
「あぁ魔蟷螂に比べりゃ飛ばなければ動きも遅いからな、関節を棒で固定できれば何ということもない」
「巨大な蟷螂とか冗談でも遭遇したくないな」
「同感だよ、とにかく魔甲虫はそんな感じの魔蟲なんだよ、だから見つけたら優先的に駆除して、外殻は建材として高値で取引されるんだ」
「そう、その魔甲虫の甲羅は外界から花街を守ってくれるが、外に出ることも容易じゃない」
借金を全額返金し自分を買い戻すか、金持ちの旦那を見つけて身請けしてもらう、または死んだときにしか遊女はこの華やかで豪奢で残酷な牢獄を出られない……
「金さえありゃ、身請けさえしてもらえりゃ幸せになれると刷り込まれてそれを信じられているうちはまだマシさ、夢をみられるからねぇ……でもさ、ある日突然気がついちゃうんだよ」
ゆらゆらと湯呑みの中のドクダミ茶を揺らす。
「いくら金を貯めても、豪華絢爛な着物や高価な調度品に囲まれても死んだら、ボロ雑巾みたいな襦袢一つで打ち捨てられる」
昔の美貌はとっくに薄れケロイドばかりが目立つ。
「身請けされようとは考えなかったのですか?」
少なくともこんな花街に通って大金を落としていく者たちならば、身請け後の生活は保証されるのではないだろうか。
「もうじき死ぬ老いぼれに身請けされた所で、本妻も跡継ぎも決まっていて割り込む隙なんざありゃしない……しかも、あいつらはどれだけの女たちを身請けしているか分かったもんじゃない」
太夫程の地位の者たちを身請けするのは一種とステータスだが、買われた先で何をさせられるかは身請けした旦那次第なのだ。
「旦那の客の相手を強要され、老いぼれのシモの世話と介護する女中と変わらない生活ならばまだマシだよ、人様に言えないような胸糞悪い悪癖がある奴らもいるからね。 しかも女中扱いすら老いぼれが生きているうちで、遊女の容姿が良いうちだけさ、牢獄の場所が変わるだけじゃないさね」
吐き捨てるように話す夜宵殿は、どれほどそんな遊女達を見送ってきたのだろうか。
「必死に掴んだ金も、高価な装飾品も地位も旦那さえも死ぬ時にはあの世に持っては帰れないってのにさ」
「なら何をもって帰るんだよ」
不機嫌そうなグレードの問に頷く。
「さぁね、それを考えるのが人生の課題だろうね、
偽りだらけの花街でこんな診療所を開いてこうしているのにも、何か意味があるんだろうさ」
この診療所は、身請けの話もなく歳を重ね、身体や心病んでしまったことで自らを買い戻すことも出来ず、浮浪者や病持ちの相手をして食いつなぐ夜鷹たちの避難所となっている。
「話がそれちまったね。 最近は妙な事が続いていてね、外界で買われて花街へとくる女児や年頃の女が極端に減ったんだよ、それだけじゃない、花街産まれの女児たちや高級妓女や遊女に上がるには器量が足りず、下女や夜鷹をしていた女、客くらい取れなくなった病人すら二束三文で次々に花街から売られていくんだよ」
こんな事、数年前までありえないことだったらしい。
「おかげで遊女の平均年齢は上がる一方だし、次代を育てようにも器量良しどころか不細工すら大金を払わなければ手に入らないってんで遊郭じゃ騒ぎになってる」
かつて患者で溢れかえった診療所を思い出しているのか、遠い目をしながら夜宵殿は深い溜息を吐き捨てる。
「誰が買い付けて行っているのかわかるか?」
「さぁね、関わったところでろくな事にならないだろうさからね……そうだね、そろそろ買い付けに来る頃合いだろうよ」
「なら……」
「自分たちで調べるしかねぇよな」
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