45話『奴隷商』
夜宵殿の好意で買い付けの知らせが来るまで、この診療所の一角を借りることができた。
間借りの賃料は、治療で汚れた晒や布の洗濯、壊れた家屋の修復、薪割りなどの力仕事だ。
瀬織津姫様のおかげか、陸に上がると運気がマイナスに振り切れ、丘酔いや不運に襲われるバッドステータス「陸神の忌み子」の効果が薄れているようだ。海にいる時に比べれば力は落ちるが、人並みにはこなせている。
俺とグレードが診療所に転がり込んでからも、宵闇殿に助けを求めて次々と患者がやってきた。
怪我人はもちろん、性病に苦しむ者、心を病んでしまった者……自らの意思でやってくる者たちはまだいい。
いたたまれないのは、自ら命を絶とうとしたり、無理心中を図った者たちだ。本当に次々と運び込まれてくる。
一見華やかに見えるこの花街が「苦界」と呼ばれるのも、納得せざるを得ない。
数日後、療所へ数名の男たちが現れた。
竹笠を目深に被り、人目を避けるように長屋へ現れる時点で、怪しいとしか言えない。
「夜宵殿は居るか」
「あぁ居るよ。今から呼んでくるから、少し外で待っていてもらえるか?」
「その必要はない」
俺たちのやりとりが聞こえていたのだろう。長屋の奥の暖簾を掻き分け、夜宵殿が姿を現した。
今日は緊急で、馴染みの客と刃傷沙汰の末に無理心中を図った遊女が運ばれてきており、奥でその対応をしていたらしい。
「助かったのか?」
「……」
無言で首を横に振られ、俺は仏が居るであろう方角に両手を合わせ、黄泉の旅路の平安を祈る。
ぶっちゃけると、神々に実際に面識を得る前の俺は、仏教にしろ神道にしろ熱心に詣でるタイプではなかった。だが、実際に面識を得てからは、その考えを改めざるを得なかった。
「二十……もしくは三十」
「はぁ!? 馬鹿言ってんじゃないよ。寝言は寝てから言いな。前回は数人だけだったろう!」
「仕方なかろう。魔蟲の被害で海辺の村から連れてくるのが困難になったんだ。討伐隊を組みチェスアントを導入して攻めたようだが、突然現れた村人が魔術か呪術の類か、チェスアントに水を掛けたら蟻どもが次々と死に絶えて動かなくなったんだとよ」
――惜しい。魔術や呪術じゃなくて科学なんだけどな。
オーナガワ村での戦闘がどうやら災いしたらしいが、俺からすればもし負けていたら仲間たちが奴隷に落ちていたということだ。
「自力で歩けない者しか居ない」
「それで構わない。どうせクイーンビーの餌になるからな」
平常心を保ちながら、先ほどまでやっていた作業を続けつつ耳をそばだてて話を聞く。
「それなら意識すらない患者が数人は居る。クイーンビーの代替わりの噂は聞いている」
はぁ……と吐き出されたため息には、諦めが滲んでいた。
「しかし、それだけの仏予定者を運ぶとなると骨が折れそうだが、死なせずに運べるのか?」
「……」
瀕死の患者を死なせずに運ばせる自信がないのだろう。男たちは首を振る。
「夜宵殿についてきてもらいたい」
「それは無理な相談だねぇ。今は婆ぁだが元花魁、花街の大門は潜れない掟だよ」
「しかし……!」
「仕方がないねぇ。長屋の男衆を貸してやるよ。移動するだけで死ぬような患者ばかりだが、少しくらいは持つだろうさ」
煙管に火をつけて口に含み、言葉とともに煙が上がる。
「致し方ないか……」
「話は決まったね。カイト、あんたはすぐにグレードを呼んで来な」
「ハイ」とだけ短く告げ、俺は長屋の外へ。お使いに出ていたグレードを探しに歩き出した。
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