ユズリハ邸にて
兄の来訪後、ヒノ達がアルセリアスに発った。その後よくない知らせが届き、お爺様が商社の業務を人に押し付け飛び出していったのが数日前。
その投げられた業務を手伝う為に今私はユズリハにいる。
ヒノ達一行が魔物の集団に襲われ、ヒノが意識を失ったまま目覚めないという知らせ以降、目覚めたとも眠ったままとも私が知る事はできていない。
ここ数日、心配でソワソワして仕事が手につかない故に、逆に私がライドから心配される始末だ。
半年ほど前、自身の彼女に焦がれる感情を自覚してからも、私は普段通りの行動に務め、その感情を表に出すことなく心に秘めたままの生活を送っている。それは、ウェンディの忠告があったのもあるが……それ以外の要因が大きい。
歳が両手の指の数以上離れているのだ。
世間から見たらヒノに抱くこの感情はきっと良くないモノで、せめてあと10年後なら許されるかも知れないが、まだ余りにもヒノは幼い。
私自身も貴族としての地位は貴族社会を遠ざけていた上、幼い頃の叔母の事件もあり、正直あまり高いものではなく、ヒノが正式なセテルニアバルナの娘となった今、一族間の関係、地位など、年齢以外でも私には釣り合わないだろう。
それにヒノ自身が他人……特に異性を近づけたがらないのだ。初めて会った日、頭を撫でようとした時の怯えた表情は今でも忘れられない。
それでも恋しい。愛おしい。
日の沈んだ頃、ヒノが自ら手を入れて作った庭園を彼女を思いながら散策していると、視界に大きく育ったベンジャミンと特徴的なおさげを結ったウェンディが入った。
「ウェンディ、此処にベンジャミンを連れてきてはならないと言われているのでは?」
雑食性の角兎に綺麗にした庭を食い荒らされるのを嫌がったヒノからそう言われている筈だが、そんなのは関係ない、誰の言葉も聞く気はないとばかりに私の言葉を意に介さず、コチラを見る素振りもないウェンディは何度もベンジャミンの毛をなでる。
「エルトディーン様、リザの犯した一番の罪は何だと思います?」
何の脈絡も無く放たれた言葉に心臓が跳ねた。
近くには誰もいないが、堂々と神の名を口にするウェンディには驚かされる。アドレンスではリザ神を信仰する事が罪故にどうしても警戒してしまう。
女神の犯した罪、そう言われて頭に浮かぶものはない。王族に力を与えた事、はたまた人間を作り出した事?
「人を愛した事でも、過剰な力を与えた事でもありませんのよ」
私の答えを待つ事なくウェンディは続ける。
「最も重い罪は最高神に作られた女神でありながら、女神である事を辞めてしまった事ですわ。……その原因は末娘にあるのですけれど」
ネヴェルディア神に立場を取って替わられ、混沌の女神などと不名誉な扱いを受け、触れることを禁忌とされ、人の心から消し去られていく。どれだけの屈辱だろう。
耐え難い心の傷を受けた筈だ。自ら作り出した人間が……長い間保護し国の繁栄に手を差し伸べたリザ神に牙を剥いたのだから。
「……リザが女神としてこの地に戻る事はありませんわ。それでも、リザの鱗片に触れ精霊達は喜びに震えている……」
「理解し難い。いったい何が起こっているのだ」
「あってはならない事が起こっているのですわ。今し方リザが帰ってきたのだと。遠く離れた地より風に乗って精霊達の噂が広まっているのです」
ウェンディはリザ神の消滅をもって、原因たるネヴェルディア神を討つよう神々に遣わされた武神の遣い。なのに、リザ神が女神としてではなく他の何かとしてトルニテアに戻ってきた……と、状況はよくわからないが、その噂で精霊達が喜んでるらしい。
「残酷ですわ。現実は貴方にとって」
「豊穣を司ったアドレンスの女神がもう存在しないということが?」
「いいえ」
一度伏せられた瞳が私の方をしっかりと捉える。
「リザが戻れば貴方の愛は実らないという現実ですわ」
「……」
「愛を捧げては別れが近づき、見守れど愛は伝わらないまま彼女は消えてしまう。愛とは残酷で儚いものですわね」
「いつも、話が遠回しで理解が出来ない。一体何が起きているというのです」
ウェンディの言う彼女がヒノの事として、思いを伝えても伝えなくても別れが待っているというのだ。別れの意味が遠く離れる事なのか死を意味するのかは分からないが、リザ神の復活に何故関係がある??
「あの娘が望んだのです。自らの肉体をリザの依代として手放す事を」
「何故っ」
そのような……。まだ幼い子供が何故。
「わかりかねます」
相変わらずベンジャミンを撫でるウェンディはやはり核心を言葉にする気は無いようで……。
リザ神が戻れば愛は実らない。
ヒノは体を手放す事を望んだ?
ヒノの体はリザ神の復活でヒノのものではなくなる?
リザ神が帰って来たと精霊達が喜びに震えているのだから、ヒノは今いったいどうなっているのだ??
声を発することも出来ずに嫌な汗が流れて、やけに心臓の音が響く。
「私はもうヒノに会えないと?」
「いいえ。まだ、暫くは大丈夫でしょう。けれど、彼女の心を変えられない限りは、いずれリザの意思にとって変わることは避けられないでしょうね。リザ自身が望まずとも」
リザ神は望んでいない??
ならば何故??
「全てはシオが知るところ。私は何が起こっているのか、あの娘が何を考えているのかまではわかりかねますわ。二人とも何も語ることはないでしょうけど」
ここまでの会話からするとウェンディは……リザ神が戻ることを好ましく思ってはいないと取れる。
二人が隠している情報を一部とはいえ私に告げるのだから、ヒノの意識を変えてリザ神の復活を阻止したいのだろうか。
「そうは見えないが……ウェンディはリザ神の復活を望んではいないのか?」
「夫の最も可愛がっていた妹君ですもの。私もこの国が出来る前からの仲ですから、会いたいと思う気持ちはありますけれど、リザは絶望の末に消滅を選んだのです。本人が望まない復活を喜ぶ事など出来ませんわ」
「神さえ望まない復活で何故ヒノが犠牲に……」
「先程も言いましたが、本人の意思ですの。彼女もまた何かに絶望しているのでしょう」
神だけでなく、ヒノ自身の問題もあるという事か。絶望感に死を望むにはまだ幼過ぎる。
私が心を痛めている間に、「もう伝えることは無い」とばかりに、ベンジャミンに跨りその場を離れようとするウェンディ。
「ただ、シオは……賢く見えてずっとずっと子供ですわ。素直になれず捻くれ、手に入らない愛を求める小さな子供。ヒノの方がよほど大人かも知れませんの」
そう、言い残してベンジャミン用の小屋がある方に軽い地響きを起こしながら消えていった。
角兎に跨り乗りこなす姿は異様でしか無い。
「何もせずに失うくらいならば……歳の差など恐れてじっとはしていられないな」
例え別れが近づくとしても、思いを伝える努力はせねば、後悔する事になるのだけは確実だから…………。




