その二
この街には何も見るべきものはなかった。
ただ、退屈な風景のなかを走り続けるのも、ひどく虚ろな今の私には幽かに心地好く思われた。今の行くあてのない人生と暗い街並みとが丁度程よく調和しているように思われたのだ。
いつものように寂れた街並みをゆっくりと走っていたある日、カーナビに映る街外れの小さな山が気になった。山自体よりも、その山の頂上にある展望台とやらが気になった。
月のきれいな夜だった。
開かれた車の窓から入ってくる月の光が誰もいない助手席を明るく優しく照らし出している。
柔らかな風が心地よい。
一寸遠出したくなり、いつも真っ直ぐ走る道を左に曲がった。
左に曲がったらそのまま山に一本道である。
たださえ少ない人家は、山麓の軽い勾配に入ると共にどんどんまばらになっていった。
十分くらいだろうか。
山の外周をぐるぐる半時計回りの左に回りながら頂上の展望台とやらを目指す。車の古いエンジンが、苦し気な唸り声をあげながらなんとか頑張っている。
等間隔の古びた街灯がすすけた光と闇を互い違いに運んでくる。そのリズムが苦し気に唸るエンジン音と相まって、虚ろな心の底に不安と好奇心とのない交ぜになった鼓動を全身に響き渡らせた。
やがて山頂の駐車場についた。
結構広々としていて、ざっと見たところ乗用車三十台に観光バス二台は止まれるスペースがあった。
今は平日の夜更けという事もあるのか、がらんとしていて止まっている車はほんの数台だった。
駐車場の隅に車を止めて、古ぼけて苔のはえた看板に書かれてある矢印の方に歩き出す。
未舗装の灯り一つない山道を足元に気を付けながら恐る恐る歩くこと数分、山頂の斜面をコンクリートで固めたような質素な展望台に出た。
錆びた手すりの向こうに小さな街が広がっている。
それは思わず息を飲むほどの、言葉に言い表せないくらいの、とても素敵な眺めだった。
暗い夜空が遠い彼方の山並みを黒々と縁取る中に私の住む小さな街がまるで箱庭のようにすっぽりと収まっていて、街の真ん中を流れる大きな川が街灯に照らされて水面に白く揺らいでいる。街のまばらな灯りがまるで散りばめられた星屑みたいにキラキラと光り続けている。
見上げれば、頭上にも小さな無数の星がゆったりときらめいている。
飽くことのない静寂に訳もなくため息が出た。
展望台にはいい景色を求めてきた若い二人組もなん組かいた。みんなつがいの鳥みたいに肩を寄せ合っていて、私までやけに優しい気持ちになってしまうのだった。
なかには一人で来ている女もいた。
星空に何を思うのか、虚ろな横顔からは計り知れない。
歩きか自転車か、どうやってきたのか、小学生位の男の子も一人で空を眺めていた。背丈ギリギリの欄干に手を添えてじっと夜空を見つめている。
低いとはいえやはり山の上である。しばらくすると、やはり秋の風が半袖の体にひんやりと感じられて、その日はいそいそと退散することにした。
家に帰り、狭い風呂には入りながら、今日はいい場所を見つけたなぁと一人鼻歌も出る位には一寸いい気持ちになっていた。
あの景色と凛とした清潔な空気が忘れられなくて、それから時々、よく晴れた寂しい夜には展望台を目指して車を走らせるようになった。
欄干にそっと体を預けて、街のまばらな光と夜空の儚い星達の瞬きとをぼんやり眺めていると、心がほんのりと癒されてゆく気がした。
最初は気が付かなかったが、展望台の隅っこには四人入ればぎゅうぎゅうになりそうな小さく粗末な休憩所もあった。
トタン屋根の休憩所に壊れかけの黄色いペンキが塗られた木製のベンチが二つある。隅にはジュースの自販機に並んで古ぼけたうどんの自販機がひっそりと佇んでいた。
最初は大丈夫かな、と不安に思いながら、お金を入れてうどんを食べてみた。
美味かった。
寂しい夜に、トタン屋根の向こうに広がる星空をぼんやり眺めながら、冷たい空気のなかで食べる一寸しょっぱい汁のうどんは、私が今まで生きてきて慌ただしく食べてきたこの世のうどんのどれよりも美味かった。
うどんをすすり、汁を一口飲んで、ほっとする吐息がうっすら白い。
小さいとはいえやはり山の上である。そこだけ季節が一月位は進んでいる。
展望台をネットで調べてみると、なんでも展望台は街の絶景スポットとしてだけではなく、いわゆる心霊スポットとしても知名度があるそうな。
深夜誰もいないのに、悲し気な笛かあるいはオカリナみたいな音色が聞こえてくるらしい。
心霊は知らないが、ある夜不思議な出会いはあった。
その時、悲しい音色も確かに耳にしたのだ。




