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展望台に行く  作者: 若葉
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その一

一年ずれこんだ東京オリンピックは、色んなごたごたを抱えつつも、なんとか開会式の日を迎えられた。

きっと私は自身の心の風景として、この東京オリンピックを忘れることはないだろう。


開会式が粛々と行われている頃、私は会社で一人、残った仕事の引き継ぎに関する書類を作成していた。

作業が終わり、パソコンの電源を切り、オフィスの戸締まりを確認してから家路についた。


緊急事態宣言下にも関わらず、駅前はまるでやけくそのニヒリズムみたいなお祭り騒ぎをする若者の群れが賑やかに騒いでいた。

オリンピック開幕に便乗して騒ぎつつも、内に抱えた未来への不安と虚無との入り交じる乾いた笑いをそこかしこに撒き散らしている。


スマホ片手に酒を飲む、その無邪気とさえ思われる笑顔の明るさは、絶望と狼狽と寂しさとを内包した悲しい影の叫びにも似ている。

私はもう若くはない。

不安も虚無もある。けれどもはね除けようと騒ぐ元気がもうない。彼らの仲間にはもうなれないのだ。それだけに、若者の賑やかな声がやけに遠く距離を感じる夜だった。

はしゃぐ若者達を尻目に、私は深くうつむいたまま、深海魚のようにひっそりと、ひどく淡々と粛々とした足取りで駅前通りを歩いていた。



七月の末で二十年近く勤めた会社を辞めた。

情けない話だが、会社の景気も悪く、規模縮小に伴う人員削減の対象になってしまったのだ。


気が付いた時には各部署で数名、早期退職希望者という枠に自然と入らざるを得ない空気が醸成せられていた。

ぱっとしない私は自然淘汰の流れに従うしかなかった。


わずかに割り増しされた退職金を貰って会社を辞めると同時に、住んでいた郊外のマンションから更に郊外の、良くいえば緑豊かな地域の安い小さな老朽化したアパートの一室に引っ越した。

再就職の目処は立っていない。

とりあえず失業保険も支給されるので当座は食べるには困らないが、それからどうしよう。


私にはこれからの日々、後半戦に入ろうかという人生の見通しがまったくなに一つ見当たらなかった。


コロナだ東京オリンピックだと抑圧のうちにも賑やかな八月が過ぎ、九月も下旬になろうとする今まで、私は新たなおんぼろ住みかで、一日のほとんどをただただ横になってばかりいた。誰にも会いたくない。何処にも行きたくない。眠っても眠っても、ただ眠くて体がだるかった。


産まれてこのかた学校に入り就職し、宿題やら人間関係やら仕事やら、いつも何かしらに追われてばかりの慌ただしい日々のルーチンをサイクルを、まがりなりになんとかずっと淡々とやり過ごしてきた。


その社会的生活をすっぽりと喪失して、多分産まれて初めての、いわば無所属の身となり、私はどこに行けばよいのか分からなくなってしまった。


敢えて言うなれば心の迷子になってしまった。


不惑と言われる四十にもなって迷子もないものだが、とにかく人生の道がぷっつり断絶してどこに向かえばよいのか分からなくなってしまったのだった。

とりあえずひどく疲れていたので横になる。

毎日いくら寝ても、疲れがとれず眠たかった。

本当に、なにもする気がしなくて、数日に一度、たまにスーパーを何軒かはしごして買い出しに行く以外はただひたすらにひっそりと眠り続けていた。


日々はゆっくりと、けれども確かに流れて行く。

気が付けば、昼はまだ暑くても夕方から秋の風が吹いてくる季節になってきた。

寝ながら、頭のなかはぐるぐる渦を巻いている。けれども、先の事はなにも考えられなかった。

ただただ今までの人生を夢うつつに回想するばかりだった。


振り返れば、我ながらいまいち、いや待て、かなりぱっとしない人生だった。


今、じっくり話したい人はいるかなぁと考えてみても、誰の顔も浮かばない。


そりゃそうだ。


愛想笑いと無難な会話をする相手は沢山いても、そいつらはあくまでその場の空気的友人に過ぎなくて、本当に腹の底を見せ合うような人間は誰もいないのだから。


思えば、ずっと何かに追い立てられてばかりいて、また、他人に気に入られようとして、嫌われないようにして、浅い人間関係ばかりしか構築できないままここまで来てしまった。

自分はどんな人間なのか、なにが楽しくてなにが嫌なのか、自分の事さえまるで分からないまま生きてきた気持ちさえする。



涼しい夜。秋の虫が賑やかに鳴いている。

暗い部屋の片隅で目を閉じたまま、ふっと、今までの人生の何もかもが虚しいくらいに無意味だった気がしたりもして、情けないほどに一人ぼっちの寂しさが胸に込み上げてきて涙ぐむ夜もあった。


いつからだろう。

こんなことじゃ駄目だ、なんでもいい、動かなくちゃ。

本能的な体の声とでも言うのか、心の声と言うものだろうか、不思議な声がまるで水琴窟の奥深い音色のように私の五体に染み渡ってきた。


むくと起き上がってみる。

今までみたいなひどい倦怠感がない。


涼しくなってきたおかげか、不思議に体の奥底から、体を動かそうよ、何処かに行こうよという気力も湧いてきた。


思えばまだこの小さな田舎街に引っ越してきたきり、役所や銀行、スーパーや小さな駅の場所以外に地理も名所も名物もなに一つ知らなかったのだ。

これからいつまでか知らないが、お世話になる街の事を少しは把握しなくちゃなと思ったのだ。



それから夜になると、格安の中古で買って十年近く乗っている大分ボロボロのスズキの軽自動車に乗り込み、まばらな街灯の向こうに暗い山並みが続く静かな街をあてもなくゆっくりと毎日のように一時間くらい走り続けた。


思えば私が産まれて初めて乗った車もスズキのおんぼろな軽自動車だった。

私が小学校にあがる頃、父が貧しい給料から頭金を捻出して、後は月々幾らかのローンで我が家初の車を購入したのだ。

私たち一家は、その車で何処にでも行ける自由を手にしたのだった。


実際父は私と母と妹とを乗せて休みの度に何処かへドライブに連れていってくれた。

四人乗れば狭苦しい車内もなんのその、時には海へ時には山へ。

時々、急な坂道にかかるとエンジンが苦し気に唸りながらも、四人をはらはらさせながらも車は走り続けてくれた。

海も楽しかった。山も楽しかった。しかし一番楽しかったのは、車を走らせながら一家で流行歌を歌ったり母が作ってくれたおやつを食べたりしている時だった。

父が口を大きく開ける。母がおはぎを父の口に入れる。頬張りながら美味しいとうなずく父の横顔。良かったと微笑む母の横顔。


私と妹は、父の口のはしについたあんこを母が指でそっと拭って自分で舐めるなんていう、本当になんでもない風景が心底おかしくて、狭い後部座席で笑ってばかりいたのだった。


あの頃は、毎日が楽しかった。

それこそ、箸が転がったって家族で笑転げていた。

今は弁当の割り箸を床に落としても、一人きり、しんと静まり返っている。


あの頃の日々は、すべてはまるで夢みたいに遠い昔の甘い物話になってしまった。



今も私が別段意識するでもなく、なんとなくスズキの中古の軽自動車に乗り続けているのは、やはり昔の無邪気な頃が、ささいな幸せを幸せと思う必要さえなかったあの頃が中年になった今も頭の片隅に残っているからかもしれない。


今は一人、鼻歌一つ口ずさむ訳でもなく、夜道を虚ろにただ黙々と走り続けている。


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